新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代34「音楽班に入る(その4)」

●音楽班に入る(その4)

 オーケストラでの担当楽器というのはどのように決められるのか。ある程度の年頃になればそれまでの経験とか色々と試した中での好みとかが反映されるのであろうが、小学5年生で全くの楽器演奏未経験者だった私は音楽班担当の教諭の指示に従うほかなかった。
 「君にはユーホニウムをやってもらう」という。初めて聞く楽器の名前だった。私がポカンとしていると近くの楽器置き場から現物を持ち出して私の目の前で構えて吹く仕草をしてくれた。知っている楽器で言えば丸い形状のホルンを楕円にして一回り大きくし、ラッパを上に向けたという感じか。同じスタイルといえば見覚えがある中でチューバと同類のようだが、それをやや小さくした感じだ。
 初見でのそんな感想を言うと教諭も「比較的低音域だけどホルンのようにメロディも奏でる…」そんな類の説明があったと思う。一方で私はこの楽器が推奨された理由を直感していた。当時の私は同じ学年の中では比較的背の高い方で、加えていわゆる肥満体型でもあり、見た目に肺活量も大きそうだったので、わが小学校の音楽班によるオーケストラの吹奏楽器の中で、しっかりした身体で抱え込むのが似合う一番大きなユーホニウムが適していると思われたに違いない。
 小学生にとって大きな楽器と言えば、チェロやコントラバスなどもあったのだが、演奏会までの短期間を考えると弦楽器はさすがに下地が必要で端から対象外であったのかもしれない。もっとも私は、幼児の頃に父親から叱られて殴り飛ばされた時に痛めたせいだと思うのだが、左手の指が意のままに滑らかに動かせないということがある。やはり基本的に右手指のみで演奏できる金管楽器に絞らざるを得なかったのだ。
 そんなわけで、一応納得すると、秋の演奏会に向けた課題曲のユーホニウムパートの練習に臨むことになった。音楽班に入る前の昨年、音楽室の前の通学路で下校時に漏れ聴こえてきたのは「戦場に架ける橋のテーマ」で、カッコいいなと思っていて、それがオーケストラに加わりたい誘因の一つにもなっていたのだが、今年のお題はヘンデルの「水上の音楽」と他一曲。これはこれで優雅な宮廷を思わせて魅力的な楽曲なので不満も無かったが、練習を始めるとムムッと思い始めた。
 ユーホニウムのパートはボンボンボンボンと低音のリズムが基調なのである。サビというか盛り上げの部分では旋律を奏でるのであるが、あくまでも副旋律。主旋律の裏を這うようにしてその引き立て役に徹するパートであり、単体で聞くと何の曲だか分からないような世界。もともと音感の悪い私にとって、根を詰めて練習すればするほどに、何かマイナーなセンスが体に染みついていったのではないかと今でも疑っている。音楽を聴くと自然に副旋律の方に傾注してしまうのだ。
 更に、成長期で多感なこの時期に、ベースラインの単調なボンボンボンボンを毎日繰り返していたというのも、先々の私の行動に少なからず影響を与えているに違いないと考える。楽器演奏を小学生の良い思い出で終わりにして、以降は左指の不具合も勘案して音楽に関わることなどよせばいいのに、大学時代に学友からのロックバンド編成の誘いに「ドラムがやりたい」などと調子こいて安易に乗っては”大ヤケド”をすることになるのだ…。
 ※大学生時代にバンド活動に手を出して大ヤケドした話はこちら。

(「柏崎こども時代34「音楽班に入る(その4)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代35「音楽班に入る(その5)」」に続きます。)
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