新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代46「卒業祝いの自転車選びで落胆(その2)」

●卒業祝いの自転車選びで落胆(その2)

 昭和半ばの柏崎市立比角小学校の6年生当時といえば、中高生向けの特に通学用の自転車は過剰なまでに電飾やら変速機やらが装備されたものが大ブームとなっていて、私も見た目の煌びやかさに目を奪われてはいたが、何事にも流行りものを斜に構えてとらえる癖のあった私は、自身の自転車買い替えに向けては別の方向性を考えていた。
 それは華美な装飾とは真逆の無駄をそぎ落としたスポーツタイプの自転車だった。何事も行き過ぎのものには反動があるもので、極めてシンプルでスポーティを追求するような車種が密かにだが確実にシェアを伸ばしてきた状況でもあった。
 ブリジストンのユーラシアというブランドが当時”出たて”であり、少年漫画誌か何かの広告ページでその姿を初めて見た時は息を飲んだものだ。シンプルなフレームと今まで握ったこともないドロップハンドルがあまりに美しかったのだ。
 一切の虚飾を排除しつつも、なんと15段変速という機能。そのスペックが本来活かされるべきスパルタンな道路や自身の運動能力など全く知りもしないで、何とかこれを使いこなしてみたいという願望に駆られてしまったのだ。
 折しも私は食べすぎと趣味の漫画描きによる運動不足が祟って兄から一緒に歩きたくないと言われるほどの酷い肥満になっていて、私を疎むそんな周囲にはヘラヘラとニヤケ笑いで応じつつも、内心では馬鹿にされない身体になりたいという炎がじわじわと熱くなり始めていた頃だった。何か形や道具から入るのは不順な感じがしたが、新たな自転車の力を借りて生まれ変わりたいと本気で考えていたのだ。
 ある日、親に以前から考えておくように言われていた中学進学を前にしての自転車の買い替えについて話し合あおうということになった。私はここまでに記したような色々な思いを経てはいたのだが、良くも悪くも昭和の男児らしさというか、あまり検討の過程などをクドクド言うのは格好よく思えず面倒くさくもあったので、結論としての「ブリジストンのユーラシアの○○」という車種だけを母親に言い伝えた。
 子供が選ぶ自転車のことなど詳しく知りようもない母親は、結構高価なものであったはずなのだが子供に選択を一旦任せたものについて金目で文句を言う事はないという良いところもあり、すんなりとオーケーしてくれたのでホッと安心して緊張の糸がほぐれたものだ。そして憧れの自転車をフルに乗りこなしたいという期待で胸が一杯になった。
 数日して帰宅すると母は、僕に話をするために近所の自転車店の店主が来宅しているという。希望の自転車を発注した店舗のオヤジさんだ。母親の表情から何となく悪い雲行きが感じられた。
 待ち構えていた店主を前にして炬燵に座ると、発注した自転車を変更しないかと話し始めた。要するに僕が希望する自転車は僕には不相応だと告げに来たのだ。
 バラ色のサイクリング生活を日々夢見ていた私は奈落の底に突き落とされるような思いだった。どうみてもスポーツマンとは縁遠い私のような肥満体型の子供には乗りこなせない過ぎた代物だということなのだ。ドロップハンドルは不慣れな子供には危険だと小中学校からお達しも出ているとも言う。横にいる母親まで店主に味方してこれはお前には合わないのではないかと畳みかけて来た。
 私は押し黙り、結果として「分かりました」と引き下がって諦めた。希望が叶わないことそのものよりも、現状の外見や生活ぶりを見て上から目線で不適と評価されたことに大きく落胆したのだ。例えば、同級生でも水泳班で活躍するガタイの良い児童になら同じ話にはならないだろう。ドロップハンドルについてはセミドロップハンドルに変えるという腹案も持っていたのだがそんな抗弁をすることも空しくなりそうで止めたのだ。
 もうどうでもいいやと投げやり半分になっていたもののオンボロ自転車の買い替えは速やかに選ばなければならなかったので、結局、私に相応しいとされる選択肢の中から「丸石自転車のベルファスト」を私が指定したところで話し合いは終了した。
 自転車店主のオヤジさんも母親も安堵した表情で散開したが、私の心は晴れずに暫くの間曇り続けた。親も含めて権威ある大人たちにしてみれば、私の内心の強い決意など分かってもらえるものではなく、見た目と日々の行動が評価の全てであることを悟った。
 自転車騒動は収束したのであるが、この時から沸々とたぎってきた反骨精神というか劣等感の反動というか、そんなダークな(?)エネルギーは、中学入学して直ぐに周囲を大きく驚かせる私の行動に結び付くことになるのだ。
〓比角小学校時代おわり。激動の中学時代編に続きます〓

(「柏崎こども時代46「卒業祝いの自転車選びで落胆(その2)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話がまだまだ続きます。仕事遍歴編も「病院局業務課1「振り出しに戻った状況に驚き(その1)」」で再開しました。)
☆ツイッターで平日ほぼ毎日の昼休みにつぶやき続けてます。
https://twitter.com/rinosahibea
☆現在進行型の仕事遍歴あります。


コメント一覧

niigatahisanori
コメントありがとうございます!!
鯖石ぶどう園の記憶が無いんですよね…残念。
中学時代編を細々と始めたいと思いますので、
仕事遍歴編なども併せてご笑覧いただければ幸いです。
ところで"廊下"から"老化"へ変えられたのですか。
石渡り老化
あぁ、比角小学校時代編、遂に終わりですか。
楽しませていただきました。
格好良いサイクリング車も中学校の校則でハンドルを逆に付け替えるハメになるんですよね。
私は鯖石ぶどう園の遠足が強く記憶に残っています。
中学時代編も楽しみにしています。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「回顧録」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事