新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代36「音楽班に入る(その6)」

●音楽班に入る(その6)

 単純に格好良さの憧れだけで飛び込んだ比角小学校児童による任意の音楽班であったが、あてがわれたユーホニウムを始めてみれば、みるとやるとでは大違いで、これはマズイと思ったと時には既に遅く、演奏メンバーに組み込まれてしまった。
 自宅に毎日のように持ち帰ってまで練習した甲斐あってか、ユーホニウムの演奏は我ながら少しはさまになってきたと思えたギリギリのタイミングで市内のメーンストリートを練り歩くマーチングバンドのお披露目がやってきた。
 校歌と有名な行進曲だったと思うのだが、私のユーホニウムはいずれもリズムパートのみで面倒な旋律がなく、また、巷の賑わいの中を行進して歩き抜けるものだったので、結果卒なくこなせたものと安堵できた。
 余談だが、この時は演奏が終わったあとに直ぐに解散というのではなくて催しがあった。我々にマーチングバンドを要請してきた地元商店会からの礼金を原資にしたのかもしれないが、演奏した児童達と指導にあたった教諭らが校舎内ホールに集められ、各々にショートケーキとジュースが振舞われた。
 教頭か誰かの「お疲れ様でした」の発声の後に皆で歓談しながら甘味を楽しんだ。裕福な家庭育ちでは無かった私はケーキなどクリスマスでもなければありつけなかったし、大勢の前でしかも行進しながらデカい楽器を抱えての演奏により、達成感を持ちながらほどよく疲れてもいた私にはとても美味しかった。思えば"慰労会"とか"打ち上げ"というものの初体験だったように思える。
 マーチングバンドをクリアした私は、晩秋に控えた市の音楽祭に向けた課題曲の練習も面白楽しく取り組めるようになっていた。時間をかけて努力した結果に得られた達成感というのはそこまでの苦労や注力が大きいほど大きくなって返ってくるということが実感として体得できて、それがヒトを次の何かに向かわせる力になるのだろうなあと思ったものだ。今で言うところの動機付けとかモチベーションだろうか。金銭とかモノとかに釣られてというのではなく、自分自身の達成感という内発的なものにより自らを動かしていけるということを内心にビルトインすることが小学生の時期に出来たことは、半生を振り返ると大きな事だったと思えてならない。
 しかし流れが良くなって調子づき過ぎるのも私の欠点。十分に練習して我なが上出来と思えるタイミングで市の音楽祭の日がやってきた。市で一番大きな会館にて大勢の聴衆を前にステージに居並んで我が比角小学校児童音楽班の楽団は晴れ舞台に臨んだのだが、教諭のタクトが振り下ろされると私だけ外れた音から入ってしまった。
 なんと2曲ある演奏曲目の順番を間違えてしまったのだ。全く緊張していたわけでもないのに単なるポカというか覚え違いというか、なんとも間抜けな話である。瞬間でそれに気づいたので直ぐに本来の一曲目に戻ったのであるが、出端で音を外した瞬間の指揮者である教諭の首をかしげ私に向けて目を見開いた顔は今でも忘れられない。
 演奏が全て終わって舞台裏に引き上げると私は即座に教諭に平謝りに行った。教諭はもう終わったことで仕方がないという気持ちだったのであろう、「大勢の演奏者による中では、それに音楽に詳しい人でなければ、あの程度は気づかれないものだし、そういうアレンジだと思う人もいるから大丈夫だよ」と慰めてくれた。
 私は自分の慢心や注意不足を大いに反省したのであるが、一方で、自分の出来不出来は、自分としては世の中における最も大事の如くとても気になるものの、大勢の一員となって何かをする時には周りはそれほど自分ごときに着目するものではないということを、まるで哲学の教えのように何となく憶えたのだった。

(「柏崎こども時代36「音楽班に入る(その6)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代37「いたずらをごまかして(その1)」」に続きます。)
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