新潟久紀ブログ版retrospective

柏崎こども時代37「いたずらをごまかして(その1)」

●いたずらをごまかして(その1)

 昭和半ばの柏崎市立比角小学校の5年生の頃、見かけの格好良さに憧れて門戸をくぐった音楽班であったが、全くの楽器初心者がユーホニウムを宛がわれて、やり始めてみたらとんでもなく大変な事と知っても後の祭り。マーチングバンドやら演奏発表会のメンバーに組み入れられて四苦八苦。それでも、大型楽器を日々自宅に持ち帰ってまでの個人練習など汗と涙の努力を重ねて、紙一重で発表の舞台を各々クリアしてきた。
 こう振り返ると、そこには嘘は無いのだが、あまりに純粋で清廉な小学生の一途さが実った美しいお話と思われるかも知れない。
 しかし、幼稚園児の頃に警察官に保護される事件を起こした私が終始良い子ちゃんのままでいたわけはないのだった。
 5年生の初冬の頃に、私の小学生時代の思い出ランキングで1,2位を争うような大いなる”しでかし”があった。
 担当楽器がユーホニウムに決まって、来年度6年生になった年に行われる演奏イベントに向けて個々人での練習に明け暮れていた12月頃の放課後の音楽室。音楽班に入って間が無くて人一倍練習を重ねなくてはならずに居残りしていた面々というのは、私とおなじようにカッコつけ半分で楽器演奏に首を突っ込んだ輩たちであり、更に私とおなじように、真面目な優等生とは言えないような面子の3人であった。
 同じ譜面を見て同じ練習を繰り返していることにさすがに飽きてきた我々は、楽器をケースに置くと、音楽室を温める大型の石油ストーブの周りに自然と集まって、冷えた手指をかざして温めながら、流行りのテレビ番組の話など取り留めも無い雑談を始めるようになっていた。
 当時は、教室のストーブの着火は教諭が行っていたが、途中の管理や消火はその部屋に居る児童達に任されていて、最後に引き上げる児童が教務室に居る担当の教諭へ報告して終わりというようなルールだったと思う。ストーブはかつての石炭式から振動で即消火されるような機能もついた新しめのものに入れ替わった頃だったし、その頃は小学生とはいっても家の手伝いで現在は禁止されている落ち葉焼きの焚火などを行うのも当たり前のような時代だったので、子供に大人じみたことが任されていることも多かったと思う。ストーブから放してあるとはいえ着火用のマッチでさえも児童が容易に手を出せる場所に置いてあった。
 そんなユルい環境の下だったこともあり、火の扱いについて安易に考えがちになっていたのかも知れない。退屈凌ぎを探すような雑談の中で、私か誰かが「ストーブの上にマッチを置いたらどのくらいで火が付くかな」と言い出した。
 「マッチ箱のヤスリ部分で擦らない限り付かないだろう」とか「いやいや相当な熱さになれば燃えるのでは」などと喧々諤々が始まり、こんなつまらない話でも”丁か半か””白か黒か”的な賭け事のようになってくると子供ながら大いに盛り上がってしまった。
 「それではやってみるか」というのが火を扱うにしては簡単に乗り越えてしまう非常に低いハードルだったのは前述の生活環境のとおり。誰かが片手に余るような大きなマッチ箱を持ってきて試すように一本を取り出し、小窓から燃え盛る炎が見える石油ストーブの鉄製の天板の上についに置いた。
 即座に着火するのではなく、取り囲む児童皆が暫く正に固唾を飲んで注視していたのだが、誰かが「点かないじゃん」と言いかけた途端にマッチの頭が小さくパチパチとしかし一気に火を放ち始めたから、皆が大興奮だ。

(「柏崎こども時代37「ボヤ騒ぎをごまかして(その1)」」終わり。仕事遍歴を少し離れた実家暮らしこども時代の思い出話「柏崎こども時代38「いたずらをごまかして(その2)」」に続きます。)
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