こんばんは、ニッチャメンです。
昨日、仙台で『丁半コロコロの一発かましたれ!!トークライブ
これがホントの最終回!8年3ヶ月かけても言えなかったこと
大放出しちゃいますスペシャル!!』 って言うライブをやってきました。
これで本当に8年3ヶ月続いた『一発かましたれ!!』が終わりました。
本当に1番好きな仕事でした。
2000年1月。
『X-GUNの一発かましたれ!!』が始まりました。
正直、2000年と言えばボキャブラブームも終わり
自分達にとって決していい状況ではなかった時です。
最初に番組が始まると聞いたときは「俺らの番組が?」って
思いました。
「今の状況で始めてくれるところがあるの?」って。
だからそんなに長く、いや、そんなに長くではなく
長くは続かないと思ってました。
マイナス思考の俺の考えは「多分半年、良くて1年」でした。
が、知らぬうちに8年と3ヶ月。
結成18年の俺らは、約半分をこの番組と過ごしてきました。
終わるとは思っていながらも、どこかで「終わりませんように」と
がむしゃらにやってきた最初の1年。
ディレクターも変わったりしながら、知らぬうちに4年やってきた時
単独でやっていた番組が『イキナリ!』と言う枠になり
月曜~金曜までの帯番組になり、そのまま月曜を担当しました。
あたりまえのように仙台に来て、あたりまえのように楽しく番組をやり
あたりまえのように終わって呑みに行きを、あたりまえのようにやっていました。
でも正直ここ2年程毎回3月と9月の改編期が恐かったです。
「6年も続いたんやから、そろそろやばいでしょ?」
「7年やで。めちゃめちゃ長いやん。もう今回はな」
そんな事をすごく思ってました。
毎回「あと半年」なんて心で思っていました。
でもどこかで「なんて言いつつ、ここまで終わらないんやから
終わらないんやろうな」なんて思ってたりもしてたんでしょうね。
でも今年の1月、番組が終わる事を聞きました。
「え?終わるの?」
めちゃくちゃショックでした。
終わるんやろうななんて思ってても、現実に終わる事を聞くと
そんな心の予防線はまったく意味がありませんでした。
聞いたとき全身から血の気が引くのがわかったほどでした。
「1番好きな、1番楽しい仕事が終わってしまう」
それを聞いてからの3ヶ月はすごく早かった。
そんな1番好きな仕事が終わってしまうなんて、
最終回はどうなるんやろう?なんて思ったりもしましたが
なぜか不思議と終わってしまう実感が湧かなかったのも本当です。
最終回の日、集まれる歴代のスタッフが集まってくれました。
リスナーの皆さんもたくさんお別れのメールをくれました。
でもなぜか涙は出ませんでした。
最後まで楽しく番組をやってました。
昨日のライブもたくさん来てくれていいライブが出来ました。
でもやっぱり涙は出ませんでした。
ライブが終わってからスタッフの人たちが、お疲れ様の意味も込めて
温泉で1泊して打ち上げをしてくれました。
本当なら8年3ヶ月もやらしてもらったんやから
感謝すべきは俺たちの方なのに。
しかもみんながみんな、宴会で挨拶をする時に
「ありがとうございました」って言ってくれる。
「ありがとうございました」は俺たちの方なのに。
でもスタッフのみんなが「ありがとうございました」って
言ってくれるけど、俺らは本当にちゃんと出来てたんでしょうか?
俺は思うんです。
ボキャブラブームが去って立ち上げてくれたこの番組。
人に聞くと、番組を始めるに当たって色んな人が
めちゃめちゃ頑張ってくれてこの番組が出来たらしいです。
その恩を俺たちは返さなきゃいけなかったんです。
でも俺たちはそれが出来なかったと思います。
番組が始まってから8年3ヶ月の期間で色んな芸人が成長して
活躍の場を広げていきました。
中には自分達の名前のついた番組を持ってるやつらも出てきました。
8年3ヶ月前は全然そんなんじゃなかったのに。
なのに俺らは8年3ヶ月もの間何をしてたんでしょうか?
こんな俺らに番組をやらしてくれたみんなが、仙台の人たちに
「丁半がTBCでラジオやってるんですって?すごいですね」なんて
言われるようになりたかった。
8年3ヶ月も待ってもらってたのに、恩返しどころか
俺らは何も出来なかった。
それが本当に悔しいです。
宴会の最後に「2人から一言を」と言われ話をしたんですが
「しんみりしてもなぁ」なんて思いもあったからか
涙は出ませんでした。
朝、仙台駅に向かうバスの中で嵯峨根と俺に1冊づつ
アルバムをくれました。
駅に着いて新幹線の改札までみんな来てくれました。
これで本当に『一発かましたれ』は終わりです。
8年3ヶ月通った仙台ともお別れです。
新幹線に乗って通いなれた外の景色を見てました。
しばらくして、バスでもらったアルバムを見ました。
それは朝までかけてADの女の子達が作ってくれたものでした。
アルバムには写真とメッセージカードが添えてありました。
それを読んで色んな事を思い出したり、別れの悲しさや
終わる悔しさ、感謝の気持ち、色んな事が頭をめぐりました。
そして何より俺らもこの番組も本当に愛されていたんだなぁと思って
泣いてしまいました。
この番組にかかわってくれたスタッフの皆さん、そして
番組を毎週聴いてくれたリスナーの皆さん、
本当にありがとうございました。
俺たちはもっともっと頑張って成長しますので、
その時はまた一緒にラジオをやって下さい。
このラジオの事は一生忘れません。
本当にありがとうございました。
昨日、仙台で『丁半コロコロの一発かましたれ!!トークライブ
これがホントの最終回!8年3ヶ月かけても言えなかったこと
大放出しちゃいますスペシャル!!』 って言うライブをやってきました。
これで本当に8年3ヶ月続いた『一発かましたれ!!』が終わりました。
本当に1番好きな仕事でした。
2000年1月。
『X-GUNの一発かましたれ!!』が始まりました。
正直、2000年と言えばボキャブラブームも終わり
自分達にとって決していい状況ではなかった時です。
最初に番組が始まると聞いたときは「俺らの番組が?」って
思いました。
「今の状況で始めてくれるところがあるの?」って。
だからそんなに長く、いや、そんなに長くではなく
長くは続かないと思ってました。
マイナス思考の俺の考えは「多分半年、良くて1年」でした。
が、知らぬうちに8年と3ヶ月。
結成18年の俺らは、約半分をこの番組と過ごしてきました。
終わるとは思っていながらも、どこかで「終わりませんように」と
がむしゃらにやってきた最初の1年。
ディレクターも変わったりしながら、知らぬうちに4年やってきた時
単独でやっていた番組が『イキナリ!』と言う枠になり
月曜~金曜までの帯番組になり、そのまま月曜を担当しました。
あたりまえのように仙台に来て、あたりまえのように楽しく番組をやり
あたりまえのように終わって呑みに行きを、あたりまえのようにやっていました。
でも正直ここ2年程毎回3月と9月の改編期が恐かったです。
「6年も続いたんやから、そろそろやばいでしょ?」
「7年やで。めちゃめちゃ長いやん。もう今回はな」
そんな事をすごく思ってました。
毎回「あと半年」なんて心で思っていました。
でもどこかで「なんて言いつつ、ここまで終わらないんやから
終わらないんやろうな」なんて思ってたりもしてたんでしょうね。
でも今年の1月、番組が終わる事を聞きました。
「え?終わるの?」
めちゃくちゃショックでした。
終わるんやろうななんて思ってても、現実に終わる事を聞くと
そんな心の予防線はまったく意味がありませんでした。
聞いたとき全身から血の気が引くのがわかったほどでした。
「1番好きな、1番楽しい仕事が終わってしまう」
それを聞いてからの3ヶ月はすごく早かった。
そんな1番好きな仕事が終わってしまうなんて、
最終回はどうなるんやろう?なんて思ったりもしましたが
なぜか不思議と終わってしまう実感が湧かなかったのも本当です。
最終回の日、集まれる歴代のスタッフが集まってくれました。
リスナーの皆さんもたくさんお別れのメールをくれました。
でもなぜか涙は出ませんでした。
最後まで楽しく番組をやってました。
昨日のライブもたくさん来てくれていいライブが出来ました。
でもやっぱり涙は出ませんでした。
ライブが終わってからスタッフの人たちが、お疲れ様の意味も込めて
温泉で1泊して打ち上げをしてくれました。
本当なら8年3ヶ月もやらしてもらったんやから
感謝すべきは俺たちの方なのに。
しかもみんながみんな、宴会で挨拶をする時に
「ありがとうございました」って言ってくれる。
「ありがとうございました」は俺たちの方なのに。
でもスタッフのみんなが「ありがとうございました」って
言ってくれるけど、俺らは本当にちゃんと出来てたんでしょうか?
俺は思うんです。
ボキャブラブームが去って立ち上げてくれたこの番組。
人に聞くと、番組を始めるに当たって色んな人が
めちゃめちゃ頑張ってくれてこの番組が出来たらしいです。
その恩を俺たちは返さなきゃいけなかったんです。
でも俺たちはそれが出来なかったと思います。
番組が始まってから8年3ヶ月の期間で色んな芸人が成長して
活躍の場を広げていきました。
中には自分達の名前のついた番組を持ってるやつらも出てきました。
8年3ヶ月前は全然そんなんじゃなかったのに。
なのに俺らは8年3ヶ月もの間何をしてたんでしょうか?
こんな俺らに番組をやらしてくれたみんなが、仙台の人たちに
「丁半がTBCでラジオやってるんですって?すごいですね」なんて
言われるようになりたかった。
8年3ヶ月も待ってもらってたのに、恩返しどころか
俺らは何も出来なかった。
それが本当に悔しいです。
宴会の最後に「2人から一言を」と言われ話をしたんですが
「しんみりしてもなぁ」なんて思いもあったからか
涙は出ませんでした。
朝、仙台駅に向かうバスの中で嵯峨根と俺に1冊づつ
アルバムをくれました。
駅に着いて新幹線の改札までみんな来てくれました。
これで本当に『一発かましたれ』は終わりです。
8年3ヶ月通った仙台ともお別れです。
新幹線に乗って通いなれた外の景色を見てました。
しばらくして、バスでもらったアルバムを見ました。
それは朝までかけてADの女の子達が作ってくれたものでした。
アルバムには写真とメッセージカードが添えてありました。
それを読んで色んな事を思い出したり、別れの悲しさや
終わる悔しさ、感謝の気持ち、色んな事が頭をめぐりました。
そして何より俺らもこの番組も本当に愛されていたんだなぁと思って
泣いてしまいました。
この番組にかかわってくれたスタッフの皆さん、そして
番組を毎週聴いてくれたリスナーの皆さん、
本当にありがとうございました。
俺たちはもっともっと頑張って成長しますので、
その時はまた一緒にラジオをやって下さい。
このラジオの事は一生忘れません。
本当にありがとうございました。