ニッチャメンの我道行願~我が道を行きたい。

「我が道を行きたい」とちょっと弱気な、
でも「我が道を行く」と強気な所もある日記です。

『X-GUN 西尾』

ヒデタカ感激!

2006年10月13日 03時00分51秒 | Weblog
こんばんは、ニッチャメンです。

昨日はFM FUJIのラジカルリーグでした。
そこに、な、な、なんと最強のゲストが来たんです。
それは西城秀樹さん
いやー1ヶ月前ぐらいにゲストに来るって聞いた時から
もう大緊張。
そりゃあんた俺ら36歳ぐらいの男子って言うたら、
めちゃくちゃ秀樹世代ですから。
秀樹世代とか関係なく、俺秀樹の大ファンですから。

さかのぼる事33年前、俺3歳。
親戚の前で「♪君がー望むならっ」って秀樹さんの
『情熱の嵐』を熱唱してました。
で、その『情熱の嵐』、「♪君がー望むならっ」って歌ったら
ファンが「ヒデキー!」って声援するわけですよ。
だから俺が歌ってもちゃんと声援が入るわけで、
俺が「♪君がー望むならっ」って歌ったら、おばあちゃんが
「ヒデタカー!」って字余りで声援してくれるんです。
でもおばあちゃん、浅草生まれの江戸っ子やから
「ひ」が言えなくて「シデタカー!」って声援してくれてました。

その後小学校5、6年。
その頃は秀樹のファンクラブに入ってました。
が、まだ小学生。コンサートの案内がくるものの
親に「一人では行ったらダメ」と言われ 泣き出してしまい
その夜姉ちゃんと「これから先俺は秀樹のコンサートに行けますか?」と
コックリさんに聞いたほどでした。

その頃秀樹は『ヤングマン』が大ヒット中で、その年の
賞レースはすべて秀樹がグランプリでした。
そして大晦日、レコード大賞。
親戚の家で超余裕を持って俺は見ていました。
なんやったら、親戚のおばさんに「秀樹大賞取れてよかったね」って
言われた事を想像して、少し照れてるぐらいでした。
いよいよ発表の時。
「レコード大賞は……ジュディオングさん!
俺は小学校ももう高学年なのに、声を出して嗚咽をもらしながら
泣きました。

そんなエピソードまだまだあるよ。
でも今回は書かないけどね。
そんな小さい頃から大ファンの秀樹さんがゲストに来たんです。
嬉しいけど大緊張ですよ。

とりあえず秀樹さんのシングルコレクションBOXを持っていって
楽屋では言えないので、本番中にサインをしてもらいました。
しかもですよ、ファンだと言う話をした上に、そのCD BOXを
見せたら「これも持っててくれるなんて、ヒデキ感激ですよ」って
俺にあの名ゼリフを言ってくれたんですよ。
もうヘロヘロでした。

で、とりあえず秀樹さんには俺がやってる
『YMCAの「C」のマネ』を見せました。
そしたら「おーよく見てるねー。俺はCに命かけてたからね」って
言ってました。
最初は見せようか迷ったけど、見せてよかった。

いやー夢のような30分やったなー。

これでまた一人ファンやった人に会えたよ。

後はいよいよ見るだけじゃなくて、ちゃんと会うジャッキーチェンやな。

そしたら、全員達成かも知れん。

秀樹さんはすごく優しくて、気を使ってくださる方でした。
本当にゲストに来ていただいてありがとうございました。