4月17日、渡部昇一先生の命日で有る。
『お懐かしいや~』
渡部昇一先生と言えば、庄内平野の生まれ、確か鶴岡
英語の大先生、最後まで上智大の名誉教授として名高い。
超人気のゼミ、この渡部昇一先生、英語の大家だが、
超日本が大好きな先生だった、何度かお目に係り講義も聞いた、
びっくり、左翼系の人が聞くと、右翼思想の人間だ!!
『右翼』と烙印を押される(笑)
上智大の生徒は絶対海外留学する、その生徒に向かって
心構えを言う、先ず、英語の前に国語をしっかり勉強しろ、
日本人としての宗教心をシッカリ持って行け、
これまたびっくり、
表情は穏やか、それは同じ荘内平野出身の言えば、
藤沢周平あの人の表情も穏やか、
なんとかも穏やか、
それは荘内平野の穏やかな平野が生み出した産物か?
う~~荘内と言えば、庄内武士、
以外と知られていないが、庄内武士は明治維新の頃、強かった。
その強さは郷土愛、幕末の頃、薩長連合が攻めて来ても
その強さは凄かった、
『奇兵隊』ではないが農民が大勢荘内兵に参加して戦った。
まあ、最後は降伏するのだが、
西郷隆盛の配慮でその罪は軽いモノになった、
荘内武士はその恩に報い、庄内に西郷さんの神社を作った程、
庄内武士と言えば、
明治10年、日本の九州の南端で勃発した西南戦争時、
荘内武士は西郷隆盛応援の為、山形から鹿児島へ向かう
びっくり、電車も無いのに、どうやって向かっんだ???
感動はもう敗戦濃厚の頃、
西郷隆盛が荘内から来た人々にもう帰れ~と言っても帰らず、
今も西郷隆盛のお墓の近くで眠っている。
確かその時の話、庄内武士の代表だった人物は配下の者に
もうお前達は荘内へ帰れ、俺は残る。
その訳は
『南洲先生の側に居たら、
1日接すれば、1日に愛が生じ、1日接すれば2日の愛が生じ、
今では側を離れるわけにはいけぬ』と言う内容の事を言って
自分は残った!
東北の出羽地方、鄙びた場所だが、見事に荘内文化が咲いた
人と人が強く結びつき、団結力の強さ、
藤沢文学にみてとれる人物、庄内の人達はそれらを誇りとし、
荘内の歴史・文化を紡いで欲しい、
しかも山形県鶴岡市と鹿児島県鹿児島市は兄弟都市盟約を結ぶ間柄になりましたね!