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東横『学芸大学駅』近くの産直パブ、地元に必要なお店として。明るく楽しく、天を敬い、人を愛する。楽しく飲みたい

美味しい産直料理 元気楽しいスタッフ、カラオケ&トークで盛り上がり、ストレス解消♪、常に新風!良心的なお店。

叡山を想う

2017年01月13日 02時05分26秒 | The news now(今のお知らせ)
一杯飲みながら
叡山雑考、
まるでそこに天女が
横に居るような感覚、
天女に話をしてる。
天女は、
ニコニコしながら、
興味津々で聞いてる。
叡山
叡知の山、
なんと素敵な、
琵琶湖の反対側から眺める

長浜~から
今は長浜だが、
記憶が正しければ、
昔の地名は、
今浜、
これは、
羽柴秀吉が、
織田信長から領地を貰い、
オベッカで、
秀吉が、
信長の長を使い
長浜にしたんだ、
今は今川に通じるし、

確か、
信長に益々可愛がられたい、
秀吉の切なる願いが籠っている。
と、言えなくもない。
羽柴秀吉の保護者、
庇護者の織田信長への忠誠心。
さて、
叡山、
天台宗、
最澄、
素敵な知識人。
当時は最高の
インテリ、
想いを馳せると、
楽しい
この人が居たから、
次の世の鎌倉期の仏教が
発展した。
これは間違いない。
続は、
また、
続きの始り、
唐から帰国した最澄は
直ぐに天皇からの呼び出しで京都へ、
新しい宗教、
皇居守護の祈りを任されたような感じ、
奈良仏教との問答の一切を任された。
たまったものではない。
しかし最澄は生真面目、
何処までも出掛けて行った。
お寺を造るのも許されたが、
京都には作らせなかった。
では、何処に?
最澄は生真面目に考えた。
京都から鬼門の方向に
造る事を考え、
今の叡山に延暦寺を建立した。
最澄は中国から持ち帰った書物を研究し、
体系化がする時間が無さすぎた。
天台宗の教義はその後の弟子達が研鑽し、
個人個人が違う方向に向かう。
これがその後の日本の宗教発展に役立った。
続は、また、


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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叡山 (Unknown)
2017-01-16 21:40:35
叡山からの琵琶湖の眺めは最高。
本当に異次元へと誘われているような気持ちになる、神妙にて深淵な雰囲気に包まれてついつい合掌をくりかえす。
素晴らしいところです。
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