2013年秋の園遊会で山本太郎参議院議員が天皇に手紙を手渡してメディアの注目を集めたその翌日の11月1日。
首相官邸前金曜日行動では、さっそく「天皇にお手紙書いちゃいけないの?」という問いが投げかけられた。
憲法原理に基づく建前では、国民は主権者であり、国会議員はその代表者であることは誰でも知っていることで言うまでもないこと…、と考えがちなのだが、ときたま「陛下」が雲の上からお出ましすることはあっても、主権者の立場からアクセスすることは不可能(不謹慎?)なのが実際だ。※1
しかし、国民も、国民ではない「陛下」も※2、人間であることに変わりないのなら、気持ちを伝えていけないはずはない。山本議員へのバッシングはお門違いであり、この件に乗じて山本議員を懲罰にかけようとなどと蠢くことこそ「政治利用」にあたると言っておきたい。
さて、この件で記憶をたどれば、棋士で東京都教育委員(当時)の故・米長邦雄が、「国旗・国歌は強制でないのが望ましい」と「陛下」自身からたしなめられた2004年の椿事をあらためて想起することができる。
●国旗・国歌「強制でないのが望ましい」 天皇陛下が園遊会で
これに関連して、天皇主義者を自認?する社会学者の宮台真司が、政治利用の歴史を説明する中で「陛下のご意向」と自民党政権のやろうとしていることには乖離があるという認識を語っているのも興味深い。
● ビデオニュース・ドット・コム
さてさて、この件に関してもうすこし大きい視点から歴史を遡ってみよう…。
すると、没後100年にあたる田中正造が1901年(明治34年)日本の公害の原点ともいうべき足尾鉱毒事件で明治天皇へ直訴した義挙と対比して考えてみることの必要性が見えて来るかもしれない。
●田中龍作ジャーナル
●田中正造 その行動と思想
※1宮内庁の総務課あたりに宛ててお手紙を出すことはできそうだが、どう扱われるかは不明。
2「日本国の象徴」および「日本国民統合の象徴」であって、すべての“国民”に保障される人権は有せず、同時に義務も課されない。
(練金術師) ページトップ
首相官邸前金曜日行動では、さっそく「天皇にお手紙書いちゃいけないの?」という問いが投げかけられた。
憲法原理に基づく建前では、国民は主権者であり、国会議員はその代表者であることは誰でも知っていることで言うまでもないこと…、と考えがちなのだが、ときたま「陛下」が雲の上からお出ましすることはあっても、主権者の立場からアクセスすることは不可能(不謹慎?)なのが実際だ。※1
しかし、国民も、国民ではない「陛下」も※2、人間であることに変わりないのなら、気持ちを伝えていけないはずはない。山本議員へのバッシングはお門違いであり、この件に乗じて山本議員を懲罰にかけようとなどと蠢くことこそ「政治利用」にあたると言っておきたい。
さて、この件で記憶をたどれば、棋士で東京都教育委員(当時)の故・米長邦雄が、「国旗・国歌は強制でないのが望ましい」と「陛下」自身からたしなめられた2004年の椿事をあらためて想起することができる。
●国旗・国歌「強制でないのが望ましい」 天皇陛下が園遊会で
これに関連して、天皇主義者を自認?する社会学者の宮台真司が、政治利用の歴史を説明する中で「陛下のご意向」と自民党政権のやろうとしていることには乖離があるという認識を語っているのも興味深い。
● ビデオニュース・ドット・コム
さてさて、この件に関してもうすこし大きい視点から歴史を遡ってみよう…。
すると、没後100年にあたる田中正造が1901年(明治34年)日本の公害の原点ともいうべき足尾鉱毒事件で明治天皇へ直訴した義挙と対比して考えてみることの必要性が見えて来るかもしれない。
●田中龍作ジャーナル
●田中正造 その行動と思想
※1宮内庁の総務課あたりに宛ててお手紙を出すことはできそうだが、どう扱われるかは不明。
2「日本国の象徴」および「日本国民統合の象徴」であって、すべての“国民”に保障される人権は有せず、同時に義務も課されない。
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