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ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

アルバイト

2012年01月20日 23時59分42秒 | 離脱症状
2012.1.20
16日から今日20日まで選挙の期日前投票の受付アルバイトをやった。
5日間の賭けみたいな気分のバイト。

去年の5月から小学校の放課後の校庭での監視員を月金でやっている。
それに加えてこの1月から近くの保健所の出先機関での夜間救急外来の受付の補助のバイト。これは夜の7時から11時半まで。月に4~5回あるらしい。
去年の四月の急な経済危機から探したわけでもない仕事が舞い込んでこれ幸い受けてみたが・・・。

16日から今日までの選挙の受付事務は午後2時から8時まで。

19日水曜日仕事に入って2時間あたりで急に頻脈発作が起きた。
ちょうど休憩に入ろうとした瞬間だったのでそのままウロウロ立ったり座ったりしながら5~6分で治まった。
数えれば去年の5月から8ヶ月ぶりの頻脈発作。
もう出ないかと踏んでいたがその前々日あたりから不整脈が多かったので予期不安はあった。
治まったのでそのまま終わりまで仕事は続けた。

そして今日
始まって1時間くらいの頃急にパニック感が襲ってきた。
このまま飲み込まれたら倒れるかもしれないと意を強くして白々する頭をなんとかこらえた。
パニック感もここ当分は感じてこなかった症状だ。
2年間不整脈が消えた日はない。
どうかするとやはり止まりにくい頻脈に移行する。心臓が急にバックンバックンと暴れだして気分の良いものではない。
止まりにくいと数時間続く。その時には眩暈感も貧血感も起きてきて数日は横になってしまう。

不眠も解決していない。数日に一度は朝まで起きている。
そうすると午前中はうとうとしながら身体を休めないととても午後の仕事へは行けない。
自分に課しているストレスはかなりなものになるのだろう。
それに耐えられなくて頻脈やパニを起こしているのか。
そして一段と冷えてきた昨今この気候的なストレスも大きなポイントだろう。

しかしかぜさんは言う。
自分の身体のことばかり気にしないでと。そばにいる誰かの、あるいは遠くであなたを思う誰かの痛みかも。一人悲しむ人の痛みかも。・・と。
離脱渦中にはそのような気持ちの切り替えがとても無理に感じられるのは経験者なのでよくよく理解できる。

でもそんな見方の変換もあるのだなぁと心に留めておくだけでもいつか必ず力になる。
ぜひかぜさんのHPへ行って見てください。
おすすめします。

さあて
私の体調不良はどこから??
探しにいきましょう。


知り合いからガイガーカウンターの情報をと頼まれたのでここに乗せます。
1:
2:


パニック

薬害

2011年12月17日 22時58分41秒 | 離脱症状
2011.12.17
そろそろ断薬してから2年と2ヶ月が経つところ。
過ぎてしまえば早いような気がしないでもない。
断薬前から、急な副作用と離脱症状とに襲われて苦しさのあまりもがきながら断薬を決行してから早2年を優に過ぎた。
生活が人生が変わってしまったクスリとの遭遇。
こうやってキッパリと断薬してまだ症状が残っている中で思うことは
長い間の服薬(頓服であり継続して飲んでも最長2ヶ月から3ヶ月、単剤少量)の中
自分ではまともだと思っていたが決して普通の神経ではなかった
ということだ。
数回の離脱経験も身体の不調として捉えたので今とは評価が全く違う。
非常に苦しい状況を身体が弱いとか自律神経失調だとかという評価をしていたのは当然だが、今はそれが甚だ間違っていたと認識している。
私の場合、23歳の時の初産でかなりの量の麻酔薬を使っている。
体質的に麻酔が効かないということを知らなかった。そして麻痺させるために局所麻酔を相当打たれた。その後、強力な抗生剤の継続的な投与、全身麻酔、再度、再々度の局所麻酔等相当量の薬剤が十数年に亘って身体に入っていった。
その間も睡眠剤や安定剤は処方されていたはずだし、体調がおかしくなってからは増して安定剤の出番がやって来ることになった。
体調がおかしくなったのはひとえに大量な薬剤のせいだと思う。
それを解毒して体外へ出す力がその当時の私には無かったのだと思う。
その不調の原因は自ずと不明であった。
つけられる名前は起立性低血圧、自律神経失調症、不安神経症、パニック障害、過敏性大腸炎ect.
途中転勤で農村地帯に住んだ。みかんの産地で目の前にみかん山。
みかんに撒かれる農薬は凄かった。なんの前触れもなく撒かれて気がつくと洗濯物はダシッパ。
その臭いは今も忘れない。
私は自分が薬剤に敏感な身体だと知らなかった。そこでの生活は病気とは違う不調で苦しんだ。パニックの初発はその時だ。
そこを離れて今の生地に帰ってから数年はパニック発作を起こしたが消えていった。
そこまでは安定剤の出番はあまり多くなく、他の薬剤での不調は苦しかったが思い返して自分がおかしかったという認識は低い。
そこからめまいが治りづらくなって段々安定剤の服薬頻度が増えていく。
そしてそれと同調するかのように私の人生も何やらエキセントリックな様相を呈していった気がする。
そう・・何かに追い立てられるかのような人生。
もっとクールだったはずの私が落ち着きをなくしいつも小走りをしてハァハァ息を切らしていたような。
感情も考えも、周りの状況に常に振り回されて流されて、今思えば自分ではなかった長い年月という感じがしてならない。
離脱症状はなかなか一気呵成に良くなるというわけにはいかず本当にしつこいものだと改めて実感させられているこの頃だが、私は長い、本当に長い間自分を見失っていたと思うし、やっと私だった私が戻ってきていると感じられてそれはとても幸せに近い感情を抱いている。
クスリは一時、生きていけないような私の状態を助けてくれて何とか生活をこなしてここまで生きてきた。引き換えに手にしたものはあまりに酷いものではあったが過去は否定できない。
私が命を生きた過去にクスリの存在があったことは否定できない。
それをよしとしてのココまでの人生だ。
私の魂の目的の一つが共感性だと教えてくれた人がいる。
共感するために私が自らこの苦しみを引き受けたとその人は話してくれた。
途方も無い話だ。
しかし自分が感じられる、考えられる範囲を超えた言葉が真実ではないとは言い切れない。
それを真実にするのは私の選択だ。
その選択をクリアな意識で間違えない。それこそが人生を豊かにすると今は思える。
今日もぐらついて苦しいひと時があった。
それも人生。
いつか完治する日を待っていては人生は始まらないまま終わるかもしれない。
長い間お疲れさん!





今更かなりのぶり返しなんて!

2011年11月12日 00時51分48秒 | 離脱症状
2011.11.12     
2011.11.11という日を全くの体調不良で過ごした。
脳の異変という感じはいつまでもしつこくつきまとう。
脳が安定しない。
チリチリ痺れが全身に出ている。
不眠が酷い。
頭ごとどこかに持っていかれそうな不安感。
身体を自由に動かせない独特の感じ。

それでもスーパーに行った。こんなときは品選びが酷く苦痛なはず。確かに苦痛だが・・・。
休めないのでバイトもした。小学校の子供たちの作品展を観た。全部はとても観られない。

時々自分の身体の安定が保てない感じで凍りつくような恐怖がある。

今夜も身体は辛い、脳の不安定感と神経がゆらゆらするような不自然な感じは取れていない。

でも、それでも救急車を呼ぶような事態にはならないと思えるようになった。
やり過ごせばまた何とかなると思っている。

早くココを抜け出さないとという焦りもほとんど無くなっている。
こんなぶり返しを苦しみながらもこれが今の自分だと思えるようになった。
眠れなくて苦しくてまだまだ愚痴を言うけれどそれでも私は生きている。

こんな不眠が続けば心不全を起こすといわれているけれど、そうとも限らない。
眠らなくてもいいヒトにならないかなぁ・・・。
まぁそれはムリとしてもあれこれ試行錯誤を繰り返しつつ生きる毎日に意味を見出して・・つまりは喜びを見出してイマココを生きていこう。

ああ楽しきかな人生は・・・・肉体を持って生れ落ちた奇跡を心ゆくまで味わいつくして死にたいものだと思う。



遠心力

2011年11月05日 22時08分09秒 | 離脱症状
2011.11.5
断薬2年経過

このところ季節の変わり目のせいか少しぶり返している。しかしそのぶり返し方もふり幅が小さくなってきて”もうグラグラはさほど気にならない”と思っていたのが”やはり気になるじゃん”というくらいの感じ。

先日離脱仲間のユキさんがはるばる来訪。

我が家もハワイからおっさんが来ていてテンヤワンヤの中での再会。

あれこれ話していて一番印象に残ったのは・・・・遠心力という言葉。

私もずっとこの遠心力という言葉を使ってきたが回りの人間には皆目わからない状態だったようだ。しかしユキさんから”遠心力で振り回されているみたい”という言葉が出てわが意を得たりだった。
一昨日くらいからのぶり返しでこの遠心力振り回し平行失調めまい状態
が出ている。

振り向きざまに何かを手に取ろうとすると遠心力がかかってうまく体勢を取れない感じ。もちろん何だか気持ちが悪い。


だから動作が自然に出来ない。酷いころは一つ一つの動作に注意が要った。
頭蓋骨や頭皮の痺れ、ピリピリ痛みがまだ残っていて強く出る日にはこの遠心力も強い気がする。





サプリメント

2011年10月24日 21時16分04秒 | 離脱症状
2011.10.24月曜日
SNSで知り合った人からこんなメッセージを頂いた。
以下貼り付け

んで、対策なんですが。

次のものを採るようにするといいらしいです。

・マルチビタミン

・マルチミネラル

・亜鉛

・アミノ酸

・ビタミンB群

・ビタミンE


これらを採るようにすると、断薬による症状の緩和・・・というより症状が改善されるとのこと。

そして肝心の摂取量なのですが、
①マルチビタミン ・ マルチミネラル ・ ビタミンB群 は、通常量の2~3倍を摂取。
②そのほかの「亜鉛」・「アミノ酸」・「ビタミンE」は通常量での摂取。


だそうです。

①の方は、たとえ過剰に摂取したとしても、体から自然に排出されてしまうものなので問題はないと。。

そしてこれらのビタミンたちを採るならば「オーガニックビタミン」がいいと教えてくれました。

そのオーガニックビタミンを扱っている会社が、

「日本ダグラスラブラトリーズ」という名前の会社で、
こちらは楽天でもAmazonnでもyahooでも載っているそうです。


この人いはく、8年服用していた人でも、断薬後2週間で改善されたそうですよ。

この人というのは私のマイミクさんが友人と離脱についてお話をされたときに話題に上った人だそうです。
サプリはほとんど摂らずにこの2年を過ごした。よくよく思い出してみると以前プチ離脱のときにカルシウムとマグネシウムのサプリを飲んでいた。その時は3ヶ月くらいで元に戻った。
そしてこの場合、飲む量が2~3倍というところが非常にショッキングな感じがする。それくらいの量でガツンと短期間に行く!医学的にどうのとかは全くわからない。この際知りたくも無いがちょっとやってみたくなった。


なんとなく・・・。

2011年09月13日 00時12分03秒 | 離脱症状
2011.9.13
9月にはいってまた放課後クラブのバイトが始まっている。
小学校で3時間半、放課後の校庭で遊ぶ子供たちの監視。
監視員なんてごっついけど一緒にボール投げもしたりする。この暑さで今日はすぐにギブアップ。
心臓がハァハァしてしまい、ふっと不安がよぎる。水を凍らせたペットボトルを腋に挟んでイスに座る。
炎天下ではないが外でのバイト。かなりな暑さ。
50人から100人くらいの子供たちが走り回ってはしゃぎまわってにぎやかなことこの上ない。

”ねぇねぇねぇ・・・なになにちゃんがね~!”

”擦りむいたところにバンド*イドはってぇ~”
・・・・何処擦りむいたの?・・・見えない・・・
”ここ・・・。。。”

”通りの向こうのお墓の中にボールがはいっちゃった!”

”あの木のてっぺんのとこに挟まってる”

いろんな子供たちがいろんな個性でいろんなことを言ってくる。
5月にはそれがうるさくて耳に響いて”このバイト無理だったかなぁ・・”と思った。
いい気候なのに苦しくて、時間の過ぎるのが遅く校庭の忘れ物や遊具の点検などで見回りをする時は足がぞわぞわしてしんどかった。
イスに座って受付をする時でもやはり我慢してやっていた。
何を? 何が苦しくて何を我慢していたのか。
貴子さんが私たちは年中熱中症なんだと言っていた。
そうその通り!!熱中症で気分が悪く苦しいのと同じ状態なのだ。それでも重篤な熱中症で無い限り元に戻ることが出来る。
しかしこの離脱症状はそうはいかない。
どうしていいかもわからないまま、不安定な身体の状態のまま気分が悪くてもなんとか生活しなくてはならない。
もちろん熱中症プラスめまい、平衡失調もろもろ付きまとうけど年中熱中症というのはとてもうまい表現だと思う。
その中で凍らせたペットボトルは必需品になっている。これは昼間も常にともに傍にいて、寝る時は添い寝をしてくれて明らかに苦しさを軽減してくれる。
要するに暑さは天敵なのだ。

そして話の続きなのだが
9月から再開したバイトであれ?!と思った。
私はボール投げなど出来るはずがなかった!イスに座ってさえ身体を持ちこたえるので精一杯だったのに。校庭の見回りもなんとなく自然にしていた。夏前までは決心をして身体にムチ打ってどっこいしょと立ち上がり、歩けば例のごとく自分の足ではないかのように不愉快な足の感覚に気を取られながら心の中は”もうかんべんしてくれぃ~”だったのが座っているより歩いていたり子供と話したり軽いボール投げでもしていたほうが良い。
それに気がついたのが5日のこと。1週間前。
6日に寝不足でデパートに行ったらぐらぐらで逃げ帰ったがバイトでのいい感じはかなりな変化だと思っている。
今もお月様を見ようと外に出た。高い月を見上げるのは少々辛かったが外を歩く足元がなぜか人間らしい、普通の人のような感覚に近くなってきている。

この文章、離脱じゃない人が読んだら”???”だろうなぁ。
もうぶり返さないで欲しいな。

かこさんのBBS閉鎖です。
かこさんほんとうにご迷惑をおかけしました。

新たにニャンニャさんが立ち上げてくださったBBSです。

ベンゾジアゼピン系抗不安薬&抗欝薬・SSRI・向精神薬からの離脱
http://8245.teacup.com/ridatu/bbs?






離脱症状

2011年08月30日 22時24分28秒 | 離脱症状
2011.8.30
夕方から平衡失調がぶり返し気味。
恐怖の冷や汗が出る。急に首と肩の締め付けがきつくなる。背中のバリバリも酷くなっている。
この長い時間、程度こそ軽減しているがこの身体状況で原因が掴めなかったら、ドクターショッピングを繰り返しあらゆる検査をして何がしかにひっかかり、クスリを飲んで体調を酷く崩して人生ごともってかれるんだろうな。。
離脱に関して医者を全くあてにしなかった。心臓発作を起こした時点でSSRIを処方するか精神科へ行ってくれと言われた。以前にも書いたが・・。
散々長年いろんな経験をして来たせいだろう。”精神科”という言葉に何の反応もしない自分がいた。SSRIはもちろん。とりあえず止まらない発作を止めて欲しかった。今はもう止まるまで待っているが。
西洋医学が始まってまだ100年ほどしか経っていない。検査をし診断をし基本的に投薬をしOPをし。医者に身体丸ごと預けて投薬されて切り刻まれて。被害者面とよく聞くけれどそんな時代に生まれて、医者とは特別な能力の持ち主だと思って生きてきたのだからほとんどなすがまま。
徳のある医者もいればとんでもないのもいる。当たり前の話だ。
しかし専門知識があるのだからクスリの弊害について何がしかのことをキャッチして研究でもしていたらこれほど沢山の被害が出なくて済んだかもしれないな。
それだってどうするかは本人次第。
痛いも痒いも自分もち。
自己完結しない対決の時代は終わった。訳のわからない男言葉の時代も終わった。
ヒエラルキーの中のルサンチマンを云々する時代はとっくに過ぎ去った。
私だってそんな時代に生きていたら血の一滴が終わるまで戦っただろう。そんな時代がなんだったのか。私には悲劇にしか映らない。そんな時代のルサンチマンを引き継いだ気持ちの若人の死はあまりに苦しかった。経済は成長を遂げ花が咲くように青春を楽しむ若者の向こう側で墓碑を刻んだ命達。良い悪いではなくそんな風に走ってしまった同世代の気持ちを思うと”もうそんな時代は終わった”とレクイエムを歌う思いが強くなる。
クスリをこの世から無くしたらこのクスリで生き延びている人たちの命の可能性を奪う。
しかし片方でこのクスリが存在するためにその落とし穴に落とされて命を奪われあるいは苦しみの日々にもがき続ける私たちがいる。誰の可能性も奪う権利はない。
私の状態は長期化したケースだろう。
あり得ないと言われているとか。しかし本人には分る。これはクスリの作用による症状だ。
どこがどうなのか?と問われても満足な答えは出ない。言葉は言葉でしかないから。
最大限の努力をして表現してきたがやはりそれはとても難しい。
では経験していない人間には通じない。そうだろう。
でも厳然として存在するクスリの作用による苦しみ。しかも医学的には認められないと言う長期化した症状。
認めようが否定しようが存在する。
私にはそれを証明する必要もない。その舞台を降りているから。
でも誰が何を言おうと私は言う。クスリの負の作用は存在するし続いているしこんなに人を苦しめることがあると。
しかしこれらオトナの私たちがクスリ被害の苦しみに声を上げる上げないという問題と子供への投薬の問題は意味が違う。子供への投薬はあり得ない。
私の知らない病苦があり現実がありするだろうことは想像に難くないので全否定はしないけれど、子供のうつや不安神経症と言うような診断の下、クスリがばら撒かれているのはとんでもない。
親の手の中の子供たちには選択肢はない。






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11円玉健康法2

2011年08月03日 11時57分18秒 | 離脱症状
浜のミサンガ第二弾いよいよ8月11日からです!

2011.8.3
11円玉健康法
これってひょっとすると離脱症状に有効かもしれない。
自律神経を整えると言われているのだからねぇ。
アチコチサイトをうろうろすると色々書いてある。先ずはコインを綺麗に洗ってこすって邪気も汚れも落とすのがはじめ。
で自分の症状のツボをツボサイトで探す。
そのツボに洗ったコインをテープで貼り付ける。
私は10円玉と1円玉を並べている。第2頚椎と第3頚椎の間、第3頚椎と第4頚椎の間に縦並びに2コイン。右側あるいは左側のけい脈という眩暈のツボに横並びに。
やり始めは頭が重いような感じがして眠気が起こるような気もした。気もしたというのはそれほどはっきりした違いを感じられなかったからだが、そんなに強く変化があるほうが怖い。
夕べは貼るのを忘れて床につき、グラグラユラユラで気持ちが悪くて仕方がないと苦しんでいてふっと貼り忘れに気がついた。早速ごそごそ起きて貼ってしばらくして寝入った様子。
手軽に出来て簡単なこの方法、もう少し続けてみようと思う。


11円健康法

2011年07月24日 20時29分14秒 | 離脱症状
2011.7.24
金曜日に、もう卒業したはずの整体へ治療に行った。
もう自分でコントロールできるからと卒業させられて(!!!)。
しかしここのところの不調にどうにも不安が増して治療をお願いした。
リーディングの結果は・・・。
背中から四方八方に延びた神経がどこまでも延びていて、まるでガレー船の奴隷のように忍耐する日々。これでは背中もバリバリだろうし大変だけれど8月にはいろいろな意味での嵐が数回来てチャンスが到来する。そのときには受けいれてきた人生を反対に放出する人生へ転換できる。そして秋頃には身体も楽になるはず・・。
話の中で11円玉健康法の話が出た。
で、頚椎の間に1円玉を貼ってみた。第2頚椎と第3頚椎の間と3と4の間に1円玉。手首の内関に10円玉と1円玉を横並びに。外関にも同じように貼ってみた。
夜寝る前に貼ってみたが眠くてたまらなくなってす~と眠ってしまった。3時間後には目が覚めたがあまりに深い睡眠で3時間後に起きたときには頭がさえてしまった。これでは睡眠が少ないだろうと明るくなるまでちょっと残念な気持ちと共に悶々としたがいつの間にかまた眠った様子。
今日ももう背中に1円玉を背負っているが何となくダラァ~というかグタァ~としている。ただの疲れかもしれないけどもう少しやってみよう。中指の爪の付け根に米粒大に丸めたアルミホイルを2個両脇にテープで止めてみている。自律神経を整えるとか。効くかなぁ・・・。
夕べは孫娘と一緒に近所の夏祭りへ行ってみた。背中から胸にかけてバリバリになっている身体、揺らぐ頭、音や光に過敏な神経、この身体ではとても楽しむ余裕は無い。
身体が柔らかくなりゆったりした神経で音も遠くに聞こえるくらいにならないと楽にはならないなぁ。
メマイ持ちだったからよくわかるけど、めまいが起きると一瞬のうちに肩や首がガチガチに固まる。
自律神経の症状だ。だから今も身体を柔らかくしようと苦心惨憺しても良くならないけど神経が正常になれば身体は一瞬で柔らかくなると思っている。

延々と・・・。

2011年07月18日 20時04分05秒 | 離脱症状
浜のミサンガ販売第一期は終了!あっという間の人気だったそうでよかったよかった!次回は8月11日!
2011.7.18月曜日
離脱症状延々と・・・。
バッフアローさんは先ごろ長いことやり取りをしてきた医師と対決をした。
ベンゾの薬害、離脱症状を認めさせるべくこころの痛みに鞭打って心身苦しい中を対決に臨んだ。
アシュトンマニュアルを片手に闘魂を胸に!!
この集中力には本当に頭が下がる思い。同じソラナックスにやられて本当に苦しんでいる中アシュトンマニュアルの翻訳までして凄い人だ。そして彼は勝った!!いま脳ミソが疲れたバッファローさんはゆっくり休息してほしい。そして詳しい結果報告を楽しみに待っていよう。お疲れ様でした。
ところで私のソラナックス薬害症状は一向に回復する気配が無いまま悪化と思える状態に突入している。
何とかこなしていた買い物もままならない。ガチガチの身体は更に硬くなり頭はフワリグラリどうしてもバランスが取れない。無理に出かけるとパニック症状を起こす。
例の信号待ちが出来ない、スーパーでレジ待ちが苦痛、銀行で順番待ちが出来ない、あの感覚がしっかり戻っている。
暑さのせいか、老化のせいか、はたまたストレスか。キーボードを打っていてもユラユラしてからだの芯が定まらない。兎に角今夜はなんとかなりそうなので更新する。次はいつになるだろうか・・。
足の裏には深部感覚の神経があるらしい。
離脱以後、足の裏の感覚がずっと変だった。今もおかしい。痺れがまだ取れていないのだけれどそれとは違う、なんとも言えない違和感がずっと続いている。
この神経がまだ回復していないからバランスが取りにくいのかもしれないなぁ。
ちなみに深部感覚とは痛いとか痒いとかの表層感覚ではなく、位置の認識、バランスにかかわる感覚神経らしい。
高気圧では交感神経が,低気圧では副交感神経が活発になると聞いた。
その気圧差で自律神経はバランスを崩すとも・・・。
しかししっかり回復した神経はそう簡単には左右されないと思う。まして日常生活がままならないような影響を受けるのは神経の回復がなっていない証拠だと思っている。
ただただ長い症状はぶり返しぶり返し遅々として進まない。
日の目を見る日はくるのだろうか・・・。