ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

2021/10/25

2021年10月25日 01時17分22秒 | 離脱症状
2021.10.24
今夜はヘンプ友達と夜な夜なアミアミ。
青メノウを入れて、リネンで簡単な平編みブレスレット。
ヘンプアミアミを始めたのは2008年。
その頃は時々アルバイトをしていて、夜眠れないと困るのでコンスタントにソラナックスを0.4㎎/day飲んでいた。
バイトが無くなると薬を止めて、今思えば血中濃度が常に不安定な状態が続いていた。中止する度に酷く体調を崩していて、それは数ヶ月続くことが多かった。
2008年突然の左耳の耳鳴りと難聴と気分の悪さで冷や汗が出た。
若い時の耳のオペ以降続けていた検診のための通院をある事情で止めていた。
何とかやり過ごして治らない耳鳴りと不調を引きずって
レイキのアチューンメントを受けてみた。
薬をやめていたと言える状態であったのか甚だ疑問だが、受ける時は飲んでいなかったので
さして重大な事と思わずにアチューンメントを受けた。
それから数日自己ヒーリングも続けた。
その辺りから発熱や気分の悪さが尋常ではなくなり途方に暮れて
2009年夏が終わる頃、酷いふらつきと物がモザイクに見えてしまう症状に襲われた。
恐怖の余り、ソラナックスを飲むがさして効かない。
おかしい、何かがおかしい。
焦って追い詰められる思いでパソコンを開き、ネット上の情報を探し回り
たまごさんのブログに行き当たった。
そこのBBSには、自分と似た症状に苦しみ、主のたまごさんに訴えかける多くの人達がいた。
それがベンゾジアゼピンの薬害を目の当たりにした最初だった。


2021/10/20

2021年10月20日 18時12分40秒 | ヘンプ
2021.10.20
相変わらずチマチマとヘンプアミアミは続いている。
これはfacebookのお友達に依頼されたもの。
ヘンプトゥワインの中で少しメンズライクに作った。
気に入ってもらえたら嬉しい。
ヘンプももう13年位やっていて、当時はまだマクラメブームも去ったままコードを使ったマイクロマクラメが少し流行りだした頃。
今はコードの石包みネックレスとか本当に微細なアミアミが芸術のように素晴らしく、とても私の辿り着く領域ではない。
皆後から追い抜いて行って個性的な世界を築いている。
私は離脱症状を耐え抜くのに助けてくれたヘンプアミアミがそのまま。(笑)

ブログ投稿 久しぶりで過去ログ読み返していたら
すっかり忘れていた事が多くある。
読んでいて記憶が蘇り、フラッシュバックを起こして気分が悪くなってしまった。

瀬戸際ギリギリ持ちこたえて今がある。
あのどうにもならない苦しさは
記録しておかなければ私の中から消えていた。
良い事かそうでないのかわからないし、薬害の厳しさを個人的には忘れたいけれど心のどこかで
これは言葉にして
こうやって拙い記録でも残したいと思っている。
誰かと一緒に行動することが酷く苦手な私は、薬害関係の集まりにも殆ど出たことがない。
その当時ほんの少しだけ。
だからここに書くのを続けて行こう。

2021/10/18

2021年10月18日 00時35分30秒 | 離脱症状
全くもって放置状態の休眠ブログ御免ください。
それでも しれっと続けていく積もりです。
去年の急性膵炎、胆嚢摘出手術からはや一年を超えて
その間にコロナ騒動は加速し
マスク人口は急激に伸び
恐ろしく感じる夏の暑さを凌いでやっとこさ秋が来た!
4箇所に穴を開けたオペの後はともすると妙な痛みを呼び起こし、ひきつれに似た感覚もある。
どれだけメスの入った身体か!
去年の6月末の全麻でのオペは、ベンゾジアゼピン断薬から離脱を経験する私にとっては有り得ない事態だった。
しかし膵炎の厳しさと病状の深刻さはその恐怖を凌いで強かった。
そして、何とかなるだろうと憂慮の末決心してオペに臨んだ。
昔の様にオペ前に安定剤を投与されることもなくオペ後に睡眠薬を投入されることもなく、当たり前のことが進化に思えた。
退院してライフイベントが怒涛のようで、体調不良で点滴を受けたりしながらも
心の底で様子をうかがっていた
麻酔薬の離脱様症状はさほど気にならず過ごしてはいたけれど
少しした頃から甘い望みは砕かれて
離脱症状は戻ってきた。
勿論あの地獄のような激しさは無かったが、なんとか抜けるまで今年の春頃までかかった気がする。
やはり全麻の離脱は起こった。
それ程激しくはなくなんとかフェードアウトして落ち着いた。
次は2009年10月にソラナックスを断薬してからの今の状態を書いてみようと思う。
私はこの離脱症状というものが
人類未踏の神経症状だと思っていて
これは後遺症として残る率も高いと思う。
その場合、外から見るとなんともないように見えたりするが、内実本人は非常に辛い。
そのへんの事もちゃんと残したいと思い始めて
真面目に改心してブログ続けますのでまた宜しくお願いいたします。
写真は
高尾駅の2番線ホームに残る
アメリカ軍の機銃掃射の弾痕を指差す婆さんです。