ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

2007.4 フィレンツェ再び2

2011年01月10日 23時18分22秒 | 旅行
最新作。アマゾナイトを使って巻き結びで。オリジナルです。


2011-1-10(月曜日)断薬1年と2ヶ月 回復は一進一退

2007.4  1ヶ月滞在したフィレンツエ。エマヌエラとは2回旅をした。ヴェネチアと日帰りで行ったチンケッテレ。
チンケッテレとは5つの場所という意味らしい。5つの小さな漁村。ラ・スペツィアという駅から断崖絶壁に近い乾いた道をひたすら歩く。左に海を見ながらたくさん歩いた。犬のピクシーを連れてだ。愛の小道を2キロか3キロ歩くと情報には載っていたのでたぶんそれしか歩いていないのかもだけど凄く大変だった気がする。段々畑にはレモンがいっぱい。ちいさな家も段々に建っている。
帰りにどこの駅から電車に乗ったか忘れてしまった。駅のホームにはヒトもまばらで来るはずの電車がなかなか来ない。小一時間もするとホームは大型犬とヒトで溢れ返ってきた。なんだか不安な気持ちで待っているとやっとこさ電車の姿が・・・その時、ホームにいた人達が一斉に”ブラボ^~!!”と叫んで拍手をしだした。凄い迫力!さすがイタリア人だ。着いた電車にみんな我先に乗り込もうとするがエマが思いのほかトロい!昔とった杵柄、ラッシュアワーはまかせてちょ!てなもんでエマとピクシーを引きづってあわや乗り損ねを免れた。
帰りはそれでも段々人数も減り、着いた駅で夕食用のピザを調達しようとオープンしたばかりの綺麗なお店へ。ここはエマちゃんにお任せして、あれこれ注文をつけながら頼んでいるエマを尻目にピクシーとノンビリ。店から出てきたエマが大笑い。あんだけいちゃもんに近い注文をしてお勘定をしようとしたらオープン記念でただ!なんだって!!嫌な客だ。
そういえばオープンしたばかりのパン屋さんでも買ったより沢山のパンをもらった。どうぞどうぞ!ってくれるのよね。
私はガーリックとかバジルとかのあの大きなおせんべいみたいなパンがすきだな。

クスリを飲んで眠れない夜をやり過ごして楽しんだイタリア。まだこんな日が来るとは夢思わずに・・。
苦しい病魔との戦いのほんのちょっとの隙間に咲いたまぼろしみたいなお花。
息をするのも苦しい日々はそのお花よりも心震わす真実の世界へ誘うのかもしれない。


 「24人のビリー・ミリガン」ある多重人格者の記録  ダニエル キイス著
1977年、アメリカ、オハイオ州で、連続強姦事件の容疑者としてビリー・ミリガンという青年が逮捕された。しかし彼には犯行の記憶がまったくなかった。実は彼の内部には、ビリー本人を含め、何と24もの人格が存在していたのだ。性格だけでなく、知能、年齢、国籍、性別さえ異なると称するこれらの人格たち。彼らはなぜ生まれたのか。一貫した意識を奪われ、何度も自殺を試みるほど精神的に追いつめられたビリーは、どのように混乱をのりこえていくのか。そして裁判のゆくえは…。



●CCHRについて(HPからのコピー)
市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。

2007.4 フィレンツェ再び

2011年01月09日 13時13分22秒 | 旅行
フィウミチーノの港

2011-1-9(日曜日)断薬1年と2ヶ月 回復は一進一退


2007.4  ローマ、フィウミチーノ空港へ。長いフライトもなんのその。その日はフィウミチーノ泊まり。
予約していた小さなホテルまでタクシーで行こうとタクシー乗り場へ。運ちゃんに行き先を告げると知らないと言う。隣のタクシーの運ちゃんも知らないって!え~^仕方ないから降りた。途端に”マダ~ム!”と白タクのおじさんが声を掛けて来る。こっちはそれどころじゃない!!こういう時のために借りておいた携帯でホテルへ電話。Aというプレートのところで待てと言う。拙い英語同士でなんとか切り抜ける。すぐにバンがやって来てものの3分でホテルに着いた。知らないってウソでしょ!しかもお迎えの代金15€はちと高い?バンの運ちゃんが1ドルを円と交換してくれという。へんなの!
フロント事務所と宿泊施設が違う場所のホテル。案内されて大きな鉄門扉を開け暗い庭を歩いて建物のドアを開け階段を上って部屋の前かと思いきやまたドアを開け、今度が部屋の前・・・。自分では二度と出られないような気がした。キッチンと広いダイニングが付いた家族用のリゾートホテルのようだ。
仕方が無いので一人で夕食に出る。住宅街でも商店街でもない静かな所。暗い中を近くのレストランへ。ここは港町だからかいかつい兄ちゃん達が食事をしている。レストランは上品な感じだけどイタリア語なんて全くわからないからパンとサラダとスープを頼んでケーキをお持ち帰りに。10ユーロでいいですよってお情けをいただいた。たしかもっと高かったはず。
クスリを飲んでその夜は眠った。朝方携帯の着信に気が付いて日本にいる娘に折り返すと”ママ?”と聞いてくる。”あらオハヨ~ママだよ”・・・”じゃ~娘の名前と誕生日を言いなさい!”・・・??どういうこと?
私はローマについた夕べ東京にTELするのを忘れていた。もうウキウキしていて頭に無かった。心配した家族が所在をホテルに確認すると”教えられない”と言われて何度頼んでもダメだったらしい。もう警察に頼むかと思ってもう一度携帯にかけたら私が出たという。
みんなの妄想では私が誘拐されて縛り上げられて電話に出たのはひょっとするとその犯人かもというスートーリーだったようで。
一件落着して朝の港を散策に出かけた。静かな小さな港町は異国の日常。
一日の始まりは空港から電車でローマ、テルミニ駅まで行きユーロパスの手続きをしてフィレンツエまでのキップを買うこと。
時間が余ったのでマックでコーラを飲んでから、荷物預かり所でスーツケースを放り投げて地下鉄に乗ってフォロ・ロマーノの遺跡へ。知識や興味のある人にとっては素晴らしいところなのだろうけど歴史オンチの私には、ほ~~しか感想がない。飽きたので歩いて真実の口の教会までたぶんこっちだろうと歩いて行くと教会に出た。途中人気の無い石の階段のところで凄く大きいクリップがいくつも落ちていた。それを拾って持ち帰る。私もへんなやつだね。その大きさ日本で見かけないから。ステーショナリーフェチだからね。
教会では皆が並んであの口に手を突っ込んでいる。私は次のヒトに写真の撮影を頼んでハイポーズ!!
そろそろローマ駅に戻らねば~~、道に出ると丁度駅行きのバスが。飛び乗ってチケットを買っていないことに気が付く。う~~んこれは逃げるしかない。駅についてそのまま降りて走った。まぁ追いかけられはしないと思うし料金を払えばいいのかもだけど混んでいたので時間が足りなかった。ごめんなさいね。
こうやって書いているとかなりの量のことを思い出す。短期記憶があいまいなのは睡眠がうまくいかないからだと思う。


久々に近頃の症状を列記しよう。
ベースの気分の悪さがずいぶん軽快している。
*痺れが両足の先、頭に限定されてきた。
*息苦しさ・・時々軽く出る。
*平衡失調・・・日によるがずいぶん軽快している。
*ふらつき・・・日常的にあるが気分の悪さと切り離されて来ていてふらつくなぁと感じているだけのこともある。
*左耳鳴り強し・・・全く変化なし。
*不安感・・・たまにあれ?と思う程度から・・ちょっと落ち込むときもあるが全体的には非常に落ち着いてきた。
*不整脈・・・でない日はまだ来ないが少なくなっている。
*動悸・・・・起き抜けに感じることが多いが生活に支障があった断薬後から去年の夏から秋までに比べたら本当に楽。 
*離脱の不快感・・・ベースの気持ち悪さが減ってきている。
残っている症状で不快なもの
☆不眠・・・眠気と眠れる日も出てきてはいるが波がありすぎてまだまだ落ち着かない。
☆耳鳴り・・全く改善される気配なし。日によって大きさが違うが大きいと本当にうるさくて不快。
☆身体を横にすると頭がグラグラするのでなかなかリラックスした体勢をとれない。眠るときも頭を動かすことでめまいが起きるので寝返りが自由に打てない。これが不眠の原因のひとつでもあるのだろう。
☆光過敏はまだ残っていて、スーパーやデパートの照明が辛い。
☆ふらつきが強い日は歯磨きやトイレ、湯船がまだ辛い。




●CCHRについて(HPからのコピー)
市民の人権擁護の会(CCHR)は、1969年に設立され、メンタルヘルスの分野における人権侵害を調査・摘発する世界規模の監視団体です。ロサンゼルスの国際本部から世界各地にある支部の活動を調整しています。

イタリアの続き

2011年01月07日 23時32分24秒 | 旅行
フィレンツエの下町の街並み。


2011-1-4(金曜日)断薬1年と2ヶ月 回復は一進一退

2006,11月フィレンツエに10日ほど滞在した。滞在先の近くにエッセルンガというスーパーがあった。
毎日スーパーに出かけては買い物をした。野菜とチーズとパンと様々な食品、日用雑貨。食品の豊富さは日本のスーパーをはるかに凌ぐ。野菜は全部計り売り。好きなだけビニール袋に入れて秤に乗せ、その野菜の写真のボタンを押せば値段のシートがズズズーと出てくる仕組み。全てが新鮮で沢山。トマトも蔓に繋がったまま。で、スーパーで売っているパンでも美味しい。日本の食パンの半分くらいの厚みのパンで小さめのが二斤位入っているのが標準。
また石鹸がとてもいい匂い。一般の家庭用なのにどうしてあんないい匂いなのかな。
エマヌエラの家に泊まっていたのだけど相当古いアパートの二階。通りから木のドアを開けてアパートのエントランスに入るとかび臭い。二階に上がるとエマの家。ドアを開けると犬のピクシーが迎えてくれる。ピクシーの散歩は私の役目。エマはブティックで働いているのでいつもは連れて仕事をしているのだが・・・日本では考えられない・・・私がいる間は私が昼間と夜お散歩に連れて行く。エマが帰ってくるのは夜の9時くらい。近くの公園で散歩仲間とピクシーを遊ばせてエマを待つ。ドーベルマンやシェパード、大型犬ばかり10匹近くが集まって、時々私めがけて走ってきてぶつかると私は倒れそうになる。動物の苦手な私には脳神経が刺激されまくりの出来事。シェパードといっても半端でない大きさ。そのシェパードの飼い主はいつもタンクトップに短パンのアントーニオ。筋肉隆々のムキムキマン。日本人はなんで声を出して挨拶しないんだ?とエマに言ったとか・・・だって声小さいし・・・次から大きな声でアントーニオ~~!と大声で声を掛けた。川のそばに出る市場で見かけたアントーニオは化粧品を手に楽しそう。毛むくじゃらのアントンはゲイだったわ。

ブログでクスリの被害者が声をあげ、自分の状況を語り始める。一人一人違うその状況を知るにつけ薬からの生還の難しさを実感する。なお更、自分の身体や精神を自分で守る事の大切さを思う。医者という職業に不必要に権威を与えてきた反省もしたい。
みんなが明日は少しでも楽でありますように心からの祈りを神様にささげてお願いします。