ネコリンヘンプ

安定剤(ソラナックス0.4㎎1~2T/dayを頓服で反復服用20年近く)断薬の記録つきヘンプブログ

整体通信続き

2011年04月22日 15時41分39秒 | 整体
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NO.1(通信426号より)
◎不安をもたらす治療はおかしいぞ!
続き・・・。
敵をつくらず、闘うこともなく、取去ってしまうのではなく、メスを入れず、細胞も殺さないで、しかも代謝をよくすることができ、治るなら、これほど平安でいられることはないでしょう。実はこれが、東洋的な哲学にもとづく治療なんです。身体も自然の一部ですから、大自然大宇宙を規範として、生命は常に変化する存在。だから流れる血液をきれいにしていれば、細胞は内外とも新しいものと入れ替わり、免疫も熱生産も高まり、代謝も良くなるというものです。身体に矛盾をつくらない方法です。
これは、現代西洋医学の土俵では考えないことにしている世界なのです。元々ウイルスは無限のエイリアンで、空恐ろしい魔物だから、まさかきれいな血で癌やウイルスが消えるなんていう発想を持たないのです。偽りの恐怖をばねにして、常に他者を支配する。攻撃を仕掛けて存在を誇示していく侵略的思想なのです。と言うことは自分の周りに壁を作って、外側と内側を線引きする。浄血して宇宙と調和する知恵もなくて、単純に乱暴に一方的に、外から来たものは兎に角追い出しやっつけてしまえば大丈夫と言う、自己中心の極論です。
そこには自然に学ぶとか、植物や動物に範を見出すとか、それらと一体となるとかではなく、強いものを上におく権力支配の考えです。そうなると頼るものは武器や力だから、それが揺らいだら不安だらけになるはずです。
時間軸(あとさき)を考えることもせず壁を作り、今さえ良ければ自分さえよければと言うエゴイズムによる治療感(作戦)。それに対し、過去、現在、未来の時間、空間を広げて見えないものまでを包含する壁を作らない柔軟な生命観。これに基づく治療感(調和)。どちらを選ぶかは自分しだいです。
元々両極端ですから、両立はムリとなります。ですが、相反する両方の選択をする人がいます。ものによってはかえって体に混乱をきたします。
たとえば、化学療法で体を冷やしながら、温湿布で温めて血流を良くしようといった具合です。
それこそ矛盾に満ちた真反対の治療選択です。だから自然良能を、促進するのか破壊するのか、体宇宙に迷いが生じて、心は不安地獄となるのです。もしも現代西洋医学をとりいれるなら、時間軸を考慮して先々どうするかを自分で考えるべきです。結局は毒出しをしなければならないのです。
恐怖や不安が欲しくないなら、心は目的を一つにすることです。目標が定まればおのずと治療方法は自分で選んでいることでしょう。以上




2011.4.22
激震の家の中はまだまだ落ち着くはずもなくただひたすら不眠に耐える毎日。
今日は1年と半年記念日。
ぐらつきと不眠、ピリピリはいまだ消えず。息苦しさも出ている。
ぶり返しのふり幅が多少小さくなって何とかやり過ごせるようになってはいる。

断薬1年半、18ヶ月過ぎて残る症状
○改善されない不眠
○痺れ(ピリピリ)・・・頭皮の痛みは日によって違うが体調がいいと痛みも少ない
○息苦しさ・・・これもぶり返しているなぁと感じる日以外は気にしないようにできる範囲
○不整脈・・・きれいには取れない。波の幅が広い繰り返し。
○不安感・・・眠りに入ろうとすると出てくる不安感は程度が軽くなっているが消えない。
○貧血感はかなり減ってきている。これは助かる。
○メマイ感・・・ぐらつき、ふらつきは残る。睡眠が取れない日が続いてから眠れた後酷くふらつく。

最近
自己暗示という本を読んでいる。久々に心引かれる本に出会っているなぁ。
エミール・クーエというフランス人。誘導自己暗示という療法を使って多くの人を癒しに導いた医者の話。
1857生-1926没 というから随分昔の人なのだけれど内容はお~~そうかい!!!??って気持ちになる。
自分は自由なつもりでいたがどれだけ既成概念に縛られていたかを発見発見!!1966の初版が2010に再版されているのだからそれだけでも内容が時代に合っているというか・・・もっと先を行っている感じがする。

図書館で見つけたので購入しようとアマゾンを見たら中古で6000円を超えていた!!高い。

自己暗示〈新装版〉
C.H.ブルックス、E.クーエ
法政大学出版局



晴天の霹靂

2011年04月12日 13時02分46秒 | 整体
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2011.4.12(火曜日)
晴天の霹靂が続いた。
東北関東大地震がその一つ。
もう一つは我が家の経済破綻。
両方とも未経験の事態。
体調を崩して数年、経済を夫に任せていた。数日前預貯金が空だと宣言された。寝耳に水とはこのことだ。
身動きが取れなくなる前に処置するのは普通の感性。しかし夫は違ったようだ。
無駄遣いはしていないと・・・・ではあのお金はどこに消えたのか・・・・そんなに簡単に無くなる額か・・・・。
開いた口がふさがらない。
さあさあ先祖の血の思惑がはっきりするころあいかもしれない。私の胸のつかえが取れて案外スッキリしている理由も深く探っていこう。
生きている幸せかみしめて!!





整体の通信を少しずつ抜粋していきます。
NO.1(通信426号より)
◎不安をもたらす治療はおかしいぞ!
痛みの所がたとえばがん化していたとしましょう。現代西洋医学なら、手術で除去するとか放射線で細胞の働きを弱めるかクスリで血流を遅くしてしまいます。身体にとっては邪魔者だから、綺麗に取り除けば増殖しないだろうと考えます。また、敵だから放射線を当てて破壊して小さくさせたり死滅させればいいだろう。しかし、綺麗に取れなかったり、死んでなかったりするかもしれないから、万が一のことを考慮してクスリで血流などの代謝をわるくしておけば、それ以上肥大することはないと考えます。できれば、一匹残らず皆殺しにしてしまえ、と。
万全なはずですが、これで不安になるのはどうしてでしょう。
これがものを対象としているなら、何の問題も無く解決します。しかし、今日、明日、明後日と生命あるものは時間軸の上で心身も絶えず変化しています。老廃物を排泄しては新しいものを取り入れると言うのが生命を保つ仕組みなんです。だから、冷えを助長したり代謝を抑えることは生命に危機をもたらすことになるのです。
現代西洋医学は病原菌という外的を想定して攻撃するのが根本原則です。原因不明の悪魔が突然現れて、無限に体を蝕むという発想です。だから、敵をやっつける考えになるわけです。しかし、それだと身体も危ない、つまり病原体は死滅したが、自分も壊れてしまった、という結果です。
これが時間軸の無いものとしての扱いです。
先が読めないので不安暗澹となる理由はここにあります。何しろ物のうえに心が乗っているので「心身」と呼ぶのです。
不安になればそれを排除するエネルギーが生じるのは、人間として当然でしょう。これに乗じて、様々なものが介在してお金が回ります。自分が不安を背負って生きているか限り、いつまでも恐れを抱かされられて、病気をエサにお金と時間のやり取り浪費、そして身体の消耗が続くのです。そこで一転して目線を変えましょう・・・・。
to be continue

クオンタムヒーリング2

2011年04月04日 23時40分17秒 | 離脱症状

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2011.4.4

またぶり返している。私の場合やはり元もとの身体の状況もあり症状の軽減が非常に遅い。
今日は軽く頻脈が数回出てとても気持ちが悪かった。痺れと平衡失調もまた強く出ている。
洗濯物をたたむのとアイロン掛けは本当にまだまだできない。
頭は耳鳴りとは別に空に飛ぶ飛行機のような音をたたているのがなんとも不快だ。
そんな1年と5ヶ月の間出口を探して暗中模索している中でチョプラの本は精神的な助けになった。

クオンタムヒーリング2
抜粋
通常のリアリティは、いわゆる呪文のようなものだとも言えます。私達は、当然のことと受け止めている習慣や慣習、規則に従って生活しなければならないので、それは必要な呪文です。問題は、その呪文を作ることはできても解くことができないときに起こります。今この瞬間、日々のリアリティの下に潜ってその源泉を探ることが出来たら、私達は実に驚くべき経験をすることになるでしょう。・・・中略・・・アブラハム・マズローは、より真相の自我の経験について次のような古典的記述を残しています。「それは純粋に肯定的な幸福の瞬間で、あらゆる疑い、恐れ、禁止、緊張、弱さは置き去りにされ、もはや自意識は無く、世界との隔たりや距離は消え失せている。」
そのような経験は稀にしか見られないので、マズローはこれを「至高体験」と名付けたのですが、この至高体験には病気を治す力があります。


チョプラはこの至高体験のことを統一場での変性意識というような言葉でも説明します。
それは思考と思考の間にきらめく無言の隙間とも言われます。
自分の意識の奥底のその場所に英知のスイッチがあるというのです。

クスリと西洋医学のワナにはまらないで生きて行く道をまだまだ探していきます。


クオンタムヒーリング

2011年04月02日 17時52分56秒 | 離脱症状
2011.4.2
災害メッセンジャー

クオンタム・ヒーリング
ディパック・チョプラ著 春秋社
何年か前から読み始めて繰り返し読んでいる本の一つ。
アメリカ在住のインド人の医師。
超越瞑想を啓蒙した人物。TM瞑想と呼ばれて日本でも各所に組織がある様子。ただ習うにはかなりのお金がかかる。私は瞑想にお金は要らないだろうと思うので、その辺がチョプラ氏の本来の思惑がどうなのかは定かではない。けれど、近著の「神は笑っている」を読むと案外私の思いと遠からずな感があって良かった。

抜粋
意識とは気がついていることにほかなりません。私達は手が熱いと気づくことができますがこれは受動的な気づきです。一方催眠の研究が示すように自力で手を熱くすることもできます。これは能動的な気づき、つまり注意です。何かに「気づく」と、受動的な気づきから能動的な気づきに移行します。注意を向けることは、人が通常思っているよりはるかに大きなコントロールを発揮します。それは、ふだん私達が受動的な意識の犠牲になっているからです。痛みのある人は痛みに気がついていますが、自分でそれを大きくしたり小さくしたり、起こさせたり止めたりできることには気がついていません。しかしこれはみな、事実なのです。
アーユルヴェーダでは、わずかな首の痛みから正真正銘の癌まで、あらゆる病気の症状が気づきのコントロール下にあるとされます。しかし、人と症状の間にはバリヤーがあります。マーヤーと呼ばれるヴェールで、これが気づきを治癒的に用いることを妨げているのです。心身相関医学はみな、ヒーリングを発現させるためにこの障害を取り除こうとしています。アーユルヴェーダ以外ではマーヤーという言葉は使われませんが、同じものを差すのであれば何と呼んでも構いません。私は「静寂の中のバリヤー」「記憶という亡霊」「物質という仮面」などという言葉を使ってきました。心身医学が正当性を証明しつつあり、科学のの感情を逆なでしないように用心しなければならない現在の情況にあっては、マーヤーを破る技術はどれもまだ初歩的なものです。幸いにして自然の仕組みは、どんな心身的手法でも効くようにできています。信じ方が十分であれば、命にかかわる病気を「笑い」で克服することも、一日コップ一杯のグレープジュースを飲むことで克服することもできるのです。
しかし意識の科学をもつことができたら、その方がずっと良いでしょう。アーユルヴェーダがそれを提供してくれます。その科学に確かな哲学的基礎を与える理論が持てたらこれも助けになるでしょう。ヴェーダの知識がそれを提供してくれます。アーユルヴェーダによるマハリシのヒーリング・テクニックを教えるとき、私は相手をヴェーダの世界や何か神秘的なことに引きずり込もうと言うのではなく、自分の意識が身体を作り,コントロールし,自分の意識が身体になるのだということに気がついてもらえるように努力しています。


この本はマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーという賢者から医学に役立つ超越瞑想を直に教わってTM瞑想として世に広め、そしてインドの伝統療法アーユルヴェーダの哲学も取り入れていこうという明確な意思の元に書かれていると思います。
20年以上経ってそれがもっと広範囲にいわゆる誰にでもという形に変わってきていると私個人は感じています。
ですので今のほうが自己コントロールの手法が個人的になり組織や誰かの手を借りなくてもできるという意味合いではポピュラーで親近感が持てる。その反面、技術の形ではなく個人の内面深く辿る道のりと言う意味ではかえって難しいと言うことになるのかもしれない。言っていることに何の変わりはないのだけれど、簡単にいうと”食事の支度をしていても瞑想はできる”ということですか・・。
治癒にいたる場面については次回更新で。