こんにちは。
tomoです。
流石に病み上がりだけあって、そんな長い文章をねちねちと書けません。ですので、書きたい項目から短文でぐっさりと行きます。
要は言ってしまえば、自分で自分の運命の樹があって、ちょこっとバイパスを作ったんです。
作り方ですが、レイキのセカンドを習っていたので本来はシンボルを使うはずでした。ですが、私の場合、それを書くことではなく、IPODの曲で飛びました。
過去にまず飛びました。
小さな私が泣いていて、小さくなって出てこないのをどうしてか聞いたとき、胸が痛みました。そして、17の私が素っ気無いそぶりで強がっているのも見ました。理由はみんな、正当だと思いました。で、私も悲しくって涙が出ちゃって、とりあえず息も絶え絶えで、地下の売店に降り、レポート用紙を買いました。そして、その中にすべて書こうと思っていました。
で、息も絶え絶えで帰ってきて、私が聴いた曲はアヴェマリア、等。声の入る曲を何点かセレクトし、私はひたすら過去の自分と話しました。
気がつくと私は彼らのお母さんになっていました。そして、私は彼らと、IPODの曲を聴きながら踊ろうよということになり、踊りました。段々、年数ごとに私の数は増えていき、いつも寄ってくる7歳の私と、5歳の私、17の私だけではなく、3歳くらいから一年後との私が並びました。
私たちは、幸せじゃなかったら、私が幸せにしてあげる。それより曲を聴いて踊ろうって気持ちがありました。天真爛漫に、転んでも転ばなくても、笑いながらフォークダンスを踊って、ポルカ踊って。いつしか、私たちはクタクタになるくらいおどりました。
その時、私の体内から光が出て、そして、外からとてもまぶしいものが光を刺しました。病室は、私のブースだけでなく、全般に結界を張ったと思います。私はすでにお化けに怖いイメージなんかありませんでした。光は、TH大を突き抜けていきました。
その瞬間私は願ったのです。そしてイメージしました。運命の樹から小さなバイパスを作り、他の樹につなぐ。そして、古い運命の樹を、なんと、膝でへし折ったのです。
私はでも、8時くらいから1時半まで、のどから心臓が出るほどプレッシャーでした。普段は言われない藤原丞春さんが、「死ぬぞ」と言った言葉になんとしても逆らうつもりでした。
でも、カテ当日、7時くらい私の頭の上は、窓があるのではないかと思うほど、まぶしかったです。光が当たって、(日焼け止めを塗ったほうがいいのかと思わせる輝き)
そして、私は傍らを見ました。
にこにこしている、6歳くらいのともちゃんが、ニコニコしてベッドサイドに待っています。彼女はちっとも寂しくなさそう。息子に似た年の彼女に私は、「あなたは幸せになるために生まれたんだよ。おばちゃんと一緒に乗り越えていこう。おばちゃんも大丈夫だから。」彼女は微笑んで17の私を連れて、私たちは手を取り合って、術室にはいりました。
すると、私は頼みました。金龍と、一瞬東京の伏見稲荷が出てきました。そして十和田湖の龍に助けを求めました。
不思議ですね。すると、白狐(身長1mくらい)が出てきました。私は、点滴ルートを確保していないほうの手を握ってくれと、白狐にお願いしました。
術は始まり、白狐は手を握ってくれました。
痛いはず、すごいプレッシャーが抜けていきました。私はひたすら、
「白狐の手って、毛が生えてんだ。」
と「白狐の手は、ふわふわしてる。毛がなぁ・・・毛が生えてんだよな。ぷにぷにしてかわいい」とばかり思ってました。
バルーンを入れる際、十和田湖の龍が一心同体になりました。で、痛かったけれど、ここでがんばらなくちゃ、本当に死ぬんだと思いました。私は、白狐の手をにぎにぎしながら、なんとか2時間持ちこたえました。
帰ってくると、小さな私たちが待っていました。動脈の血流を押さえながら、安静状態で9時間。彼女たちは疲れていたようです。で、みんなで寝ました。
その翌日、導尿カテを取って点滴を取って、私に痛みが走りました。私はまたIPODの曲、(スキマスイッチ 微力少年、槇原さんの僕の彼女はウェイトレス、KANさんの愛は勝つ)を聞いて、また、tomo’sで踊りました。もうみんな笑顔で、笑っていました。
そして、私は、結婚式当日の主人を思い出したのです。一歩一歩教会を進んでいく先に待っていた主人の顔を。
そして、私は予後の痛みがなくなりました。
で、退院です。
ところで問題です。白狐、しまちゃんとこから借りたと思うんですが、どなたなのでしょうか。先日拾ったのは小さな金狐。
しまちゃんは、伏見の大本を借りてきたんだろうと申します。伏見くらいだと、神狐ですよね。だから白狐ではないのですが、ずっとそばに寄り添ってくれる感覚があります。
ありがたいことです。
そして、すみません、ここまで書いて疲れました。オヤスミナサイ。
tomo
tomoです。
流石に病み上がりだけあって、そんな長い文章をねちねちと書けません。ですので、書きたい項目から短文でぐっさりと行きます。
要は言ってしまえば、自分で自分の運命の樹があって、ちょこっとバイパスを作ったんです。
作り方ですが、レイキのセカンドを習っていたので本来はシンボルを使うはずでした。ですが、私の場合、それを書くことではなく、IPODの曲で飛びました。
過去にまず飛びました。
小さな私が泣いていて、小さくなって出てこないのをどうしてか聞いたとき、胸が痛みました。そして、17の私が素っ気無いそぶりで強がっているのも見ました。理由はみんな、正当だと思いました。で、私も悲しくって涙が出ちゃって、とりあえず息も絶え絶えで、地下の売店に降り、レポート用紙を買いました。そして、その中にすべて書こうと思っていました。
で、息も絶え絶えで帰ってきて、私が聴いた曲はアヴェマリア、等。声の入る曲を何点かセレクトし、私はひたすら過去の自分と話しました。
気がつくと私は彼らのお母さんになっていました。そして、私は彼らと、IPODの曲を聴きながら踊ろうよということになり、踊りました。段々、年数ごとに私の数は増えていき、いつも寄ってくる7歳の私と、5歳の私、17の私だけではなく、3歳くらいから一年後との私が並びました。
私たちは、幸せじゃなかったら、私が幸せにしてあげる。それより曲を聴いて踊ろうって気持ちがありました。天真爛漫に、転んでも転ばなくても、笑いながらフォークダンスを踊って、ポルカ踊って。いつしか、私たちはクタクタになるくらいおどりました。
その時、私の体内から光が出て、そして、外からとてもまぶしいものが光を刺しました。病室は、私のブースだけでなく、全般に結界を張ったと思います。私はすでにお化けに怖いイメージなんかありませんでした。光は、TH大を突き抜けていきました。
その瞬間私は願ったのです。そしてイメージしました。運命の樹から小さなバイパスを作り、他の樹につなぐ。そして、古い運命の樹を、なんと、膝でへし折ったのです。
私はでも、8時くらいから1時半まで、のどから心臓が出るほどプレッシャーでした。普段は言われない藤原丞春さんが、「死ぬぞ」と言った言葉になんとしても逆らうつもりでした。
でも、カテ当日、7時くらい私の頭の上は、窓があるのではないかと思うほど、まぶしかったです。光が当たって、(日焼け止めを塗ったほうがいいのかと思わせる輝き)
そして、私は傍らを見ました。
にこにこしている、6歳くらいのともちゃんが、ニコニコしてベッドサイドに待っています。彼女はちっとも寂しくなさそう。息子に似た年の彼女に私は、「あなたは幸せになるために生まれたんだよ。おばちゃんと一緒に乗り越えていこう。おばちゃんも大丈夫だから。」彼女は微笑んで17の私を連れて、私たちは手を取り合って、術室にはいりました。
すると、私は頼みました。金龍と、一瞬東京の伏見稲荷が出てきました。そして十和田湖の龍に助けを求めました。
不思議ですね。すると、白狐(身長1mくらい)が出てきました。私は、点滴ルートを確保していないほうの手を握ってくれと、白狐にお願いしました。
術は始まり、白狐は手を握ってくれました。
痛いはず、すごいプレッシャーが抜けていきました。私はひたすら、
「白狐の手って、毛が生えてんだ。」
と「白狐の手は、ふわふわしてる。毛がなぁ・・・毛が生えてんだよな。ぷにぷにしてかわいい」とばかり思ってました。
バルーンを入れる際、十和田湖の龍が一心同体になりました。で、痛かったけれど、ここでがんばらなくちゃ、本当に死ぬんだと思いました。私は、白狐の手をにぎにぎしながら、なんとか2時間持ちこたえました。
帰ってくると、小さな私たちが待っていました。動脈の血流を押さえながら、安静状態で9時間。彼女たちは疲れていたようです。で、みんなで寝ました。
その翌日、導尿カテを取って点滴を取って、私に痛みが走りました。私はまたIPODの曲、(スキマスイッチ 微力少年、槇原さんの僕の彼女はウェイトレス、KANさんの愛は勝つ)を聞いて、また、tomo’sで踊りました。もうみんな笑顔で、笑っていました。
そして、私は、結婚式当日の主人を思い出したのです。一歩一歩教会を進んでいく先に待っていた主人の顔を。
そして、私は予後の痛みがなくなりました。
で、退院です。
ところで問題です。白狐、しまちゃんとこから借りたと思うんですが、どなたなのでしょうか。先日拾ったのは小さな金狐。
しまちゃんは、伏見の大本を借りてきたんだろうと申します。伏見くらいだと、神狐ですよね。だから白狐ではないのですが、ずっとそばに寄り添ってくれる感覚があります。
ありがたいことです。
そして、すみません、ここまで書いて疲れました。オヤスミナサイ。
tomo
大きさ的には問題ない。
ごめん、実力的に豊川稲荷の白狐に手を握っててもらえるほどな人物ではないのだが。
でも、もしそうなら、豊川稲荷の白狐の手の感触だけで、ブログ10日間は書けるね。お得。ってか、狐の手は、本当にぷにぷにしてかわいい。
まだ、心配そうにいるんだよ。しばらくいて貰ってもいいんだろうか。今度こそお稲荷さんを差し上げたほうがいいのか。
(実はお稲荷さんは私の絶対譲れない好物なのです、過去にNYで、息子Aと争奪合戦をして、みんな食べた経験あり)
うーん。確かに豊川前を通ったとき、祈った。そんで、カテ室で豊川を思い浮かべた。
ありがとう。
赤坂の豊川稲荷の白狐さんじゃない?
↓この絵の狐ちゃん。そっくりじゃない?
http://www.246.ne.jp/~ziggy/Dakini.htm