神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけない!というタブーがある
知らない人も多いと思うが、神田明神とは、平将門を祀った神社である
これは平将門の威徳を称える意味も少しはあるというが、本来は祟り鎮めが目的だ
参考までに、「明神」とつく神社は、なんらかの祟り鎮めの神社である
しかし、「大明神」というのは特別偉大な神の威徳をあがめていう言葉であり、
「明神」とは全然違うのでお間違えのないように・・・
さて、ときは平安中期、平将門が関八州を制圧して「親皇」を名乗った
京都政府はこれを、朝廷に叛旗を翻した逆賊とみなす
これを征伐しよう試みるが、平将門は東国では相当の威勢を振るい、なかなか屈服しない
すると、京政府は人間だけでは足りぬと判断し、神霊的な手段に訴えた
その役目を京の僧「寛明」に命じた
寛明は真言密教の僧だが、朝敵降伏のためと、京都高尾山の不動明王像と宝剣を捧持して
成田へと向かう。そして公津ヶ原に像を安置して護摩を焚き、21日間の修法に入った
それは、祈祷修法のちょうど満願の日、天慶三年(940年)2月14日のことだった
将門の片目に、一本の流れ矢が突き刺さり、東国のヒーローの最後となるのである
役目を終えた寛明は、不動像を引き上げようとするのだが、像は磐石の如く動かない
そのため、その地に「成田不動(新勝寺)」が建立された・・・というわけである
即ち、新勝寺参拝は将門を苦しめる事となるというか、将門にとって新勝寺は天敵!
あくまでも迷信ではあるが、新年、成田山でお参り、それから神田明神に初詣・・・
という人も少なくない・・・祟りがなけりゃいいけどね
寛朝です。