10号館と11号館の解体工事は、まだ続いていました(・_・;) 6階建て構造の棟を同時に取り壊すのには、時間を要するのでしょうね。。。。。
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
確かに明石小が開校して暫くの間、南門から玄関のところまでスノコが敷かれていましたっけ(゜o゜)
文月さんたち先輩方のおかげで、私たち下級生はぬかるんだ校庭を歩かずにすんでいたのですね。
その節は、どうもありがとうございました m(_ _)m
そんな状況であったことが原因だと思われますが、しばらくすると南門は閉鎖されてしまい、卒業するまで西門から登下校するようになりました。
鎌倉町に住んでいた私には遠回りになるので、不便になっちゃったなと思ったものです。
南門が開かれるのは、運動会の時くらいだったですね(゜o゜)
やはり文月さんの時代には、高中相撲部は強かったんですね。
兼部していた人がいたであろうことは、容易に想像がつきます。
私はバスケ部に所属していましたが、たまたま足が速かったので、各種陸上競技大会に駆り出されるようになりました。
葛飾区立中学校体育大会などでは、運よく優勝することもあったのです。
しかし、かつての相撲部の栄光が凄過ぎたのか、先生方に褒められた記憶があまりありません(^^ゞ
なので、私は見たこともない高中相撲部の印象が強く残っているのです(^^ゞ
どうやら、明石小では全学年が図工でトーテムポールを作成していたようですね(゜o゜)
葛飾区立総合学習センターになった現在、旧図工室が「明石小学校メモリアルコーナー」として当時の物が展示されています。
その中には、どの学年が作成したものかは分かりませんが、トーテムポールも残されていました。
機会があったら、訪れてみたらいかがでしょうか(゜o゜)
っていうか、平成21年まで団地に住んでいらしたのなら、既に訪問済ですかね(^^ゞ
高校の同級生とは、Facebookを通じて、かなり活発なコミュニティが出来上がっています。
中学卒業までの思い出は、叱られたことも含めて、楽しかったことばかりです。
本当に幸せな子供時代でした。
高中相撲部は、確か、同級生のお父さんがコーチをしていたと思います。
相撲部自体が全国的に少なかったせいもありますけど、強かったですね。
野球部などの、体格のよい同級生が兼部していたかもしれません。
記憶が曖昧なので、今度中学の集まりがあったら、体育会系男子に確認しておきますね。
そういえば弟が、私の同級生男子に、よく相撲をとってもらっていたっけ。。。
明石小1期生は、全3クラスでした。
1年しか在籍しなかったので、鎌倉小からの編入は見送られ、中学から合流したと思います。
開校当時、校庭がぬかるんでいて、私ら6年生がスノコを作って校門から玄関まで敷きました。
釘と金槌を使って、とっても楽しかった♪
トーテムポールを図工の授業で作ったのも覚えています。
みんなで学校を作くりあげていく実感がありました。
また、何か思い出したら、書き込みにまいります(^-^)/
団地まで花見に来ていたことは聞きましたが、文月さんも一緒にいらしていたとは(゜o゜)
文月さんも1期生でしたら、確かに私の先輩になりますね。
私は明石小が開校されたことで、鎌倉小から編入しました。
短い期間でしたが、同じ校舎で学んでいた時期があったようです。
しかし、残念ながら高砂中では同時期に通学してはいなかったですね。
私の在校時には存在していなかったのですが、相撲部が全国レベルで強かった頃でしょうか?
良く先生方から聞かされていたので、未だに記憶に残っています。
生徒会やリレーで活躍されていたなら、充実した中学生活を過ごされていたことと思います。少なくとも、私はそうでした。
このブログを始めるきっかけは団地の建て替えですが、当時の楽しかった思い出が後押ししたことは間違いありません。
まさか、卒業後たった数年で校内暴力の嵐が吹き荒れたなんて、想像すらできないくらいです。。。
今では中学時代の友人たちとの交流は無くなってしまいましたが、同級生たちが頑張っているのは嬉しいものですね。
試しに名前で検索したところ、数人ではありますが、現在活躍している様子を知ることができました。
もちろん、昨日話をした彼もその中に含まれています。いい意味で感化されますね(^^)
・・・と思い、過去の投稿やコメントを少し辿らせて頂きましたが、
私よりはお若いようですね。
実は私も中学時代、生徒会やリレーの経験があったので、一瞬ドキリとしました(女子ですが)
当時、弟と同世代の男子たちが11号館に何人かいましたので、
その中の誰かが、あるいは、ねあるこさんの切磋琢磨のお仲間かもしれません。
クラスが違っても気になる仲間の存在って、大きいですよね。
生涯にわたり、潜在意識に影響を与えて続けてくれる存在かも知れません。
ところで、2012年の「今年の桜」に、コメントしているのは友達です。
20号館に住んでいた明石の第1回卒業生。
実はあの時、私も高砂団地の花見に同行してました。
もうあれから3年経つのですね。
南側にすでに新築された高層に住みはじめた別の友達に、
最近、工事の様子をLINEで知らされ、
私たちの住んでた棟がついに解体されていると語り合っていたところ、
なんと昨日、元20号館の友は、急きょ高砂団地まで行ってきたのだそうで、写真を送ってくれました。
それを見て、私も無性に行ってみたくなり、ちょっと今ドキドキしております(^^;;
長くなりました。
過去の投稿にも、またコメントでお邪魔させて頂くかもしれません。
お世話になります。
平成21年秋というと、このブログを始めた頃はまだ高砂団地に住んでいたんですね(゜o゜)
色々と思い出があるでしょうから、気が向いたらで結構ですので、またコメントしてください(^^)
いい機会なので、私の11号館についての思い出をちょっと話してみます。
この棟には仲間が住んでいました。「仲間」って、ちょっと妙な表現ですよね(^^ゞ
彼は同級生でしたが、明石小・高砂中を通じて同じクラスになったことはなく、一緒に遊んだこともありませんでした。
交流があったのは、生徒会の役員と、高砂中代表のリレーメンバーで一緒だったことです。
中学時代に切磋琢磨し合った仲でした(彼はどう思っているかは知りませんが(^^ゞ)。
なので、友人というよりは「仲間」という表現の方が、私にとっては適切かなと。
同じ高校を受験することになり、一緒に願書を取りに行ったりもしました。
結果的には違う高校に進学しましたが、お互い陸上部に所属していたので、大会で顔を合わせるのが楽しみだったものです。
今となっては、ずいぶんと昔のことになってしまいました(^^ゞ
建替にともなう転居の斡旋を受けて、現在は新宿区に暮らしております。
時々拝見しておりましたが、はじめてコメントさせていただきます。
画像をたくさん、丁寧に載せてくださっていて、たいへん感動しました。
かつての我が家が壊れゆく姿は、さすがに胸が痛みましたが、不思議と清清しさも感じました。
今でも、高砂界隈には友達がいますし、秋には高砂中の同窓会も開催されますので、
さら地になった団地を、眺めにいってみようかな。。。
11号棟前のイチョウの黄葉が毎年楽しみでした。
あれもこれも、思い出が多すぎて書き切れませんが、きっとまた参ります。
どうぞよろしくお願いいたします