社長ノート

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天地人 東奥日報

2015-04-25 13:28:03 | 日記


 県内ただ今、桜色である。15日に掲載が始まった本紙「桜だより」の花マークも、高温続きから咲き満ちる花びらが一気に増えた。きょう付には、はや「散り始め」の花びらも見られる。束(つか)の間の満開に、今年の花見シーズンは駆け足だ。
 弘前公園には祭り開幕の23日、15万人が押し寄せた。桜の木の下での宴(うたげ)は、身も心も酔いしれる。満開の樹上に月明かりともなると、もはや現世とは思えぬほどの妖艶(ようえん)な風情である。
 〈桜の樹(き)の下には屍体(したい)が埋まっている〉。短編小説の書き出しで、桜をこう表現したのは作家の梶井基次郎(もとじろう)である。主人公は桜の木が美しいのは、その下に動物や人間の屍(しかばね)が埋まっているからだと想像する。
 俳人の鍵和田〓子(かぎわだ・ゆうこ)さんは「桜の美しさは風狂(ふうきょう)の人を呼ぶ」(「新日本大歳時記」)と言う。桜には狂おしいほどの妖(あや)しい美が宿る。坂口安吾にも「桜の森の満開の下」という作品がある。桜を恐れる山賊と美しい女との怪奇物語。満開の桜の下で女は花びらとなり、山賊の体も消えていく。
 「万葉集」以後、花と言えば桜を指す。雲と見まごうばかりの絢爛(けんらん)たる風景を「花の雲」、水面を流れる花びらを「花筏(いかだ)」という。散る様(さま)は「飛花(ひか)」「落花」、地上に散り敷くと「花埃(ぼこり)」「花屑(くず)」となる。〈空をゆく一とかたまりの花吹雪 高野素十(すじゅう)〉。散り際の風流に浸れるのも、花見の奥深さか。(※〓は禾偏に由)

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