精神世界と心理学・読書の旅

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「ケータイ・ネット人間」の精神分析( 小此木啓吾 )

2010-06-11 11:52:01 | 心理学全般
「ケータイ・ネット人間」の精神分析 (朝日文庫)』(小此木啓吾)

言葉は平易だが、分析は鋭く、現代日本人の顕著な心理的傾向を的確に分析する重要な本。ネットが人間の精神のあり方にどのような影響を与えているかという問にみごとに答えてくれる。

一言でいうと、愛も憎しみもある1対1の人間関係(これを「2.0」の関係と呼ぶ)が希薄化し、逆に「1.5」のかかわりが現代人の心に深く浸透するようになった。「1.5」のかかわりとは周りから見ると物体にすぎない相手に、あたかも本物のお相手のような思いを託して、それにかかわるあり方だという。

特に、テレビ、コンピュータ、「ファミコン」の出現は、これらのメディアによる対象との新しい「1.5」のかかわりによる、現代人固有の心的世界を作り出すことになった。自然と身体の直接のかかわりの代わりに、押しボタン一つでの仮想現実とのかかわりが、あたかも現実とのかかわりそのものであるかのような、倒錯した心の暮らしをする時間帯がどんどんふえているというのだ。

「戦後の数十年間の犯罪・非行統計をきちんと調べてみると、意外なことに他の先進諸国の傾向とは異なり、最近の青少年は昔に比べはるかにおとなしくなっている」「殺人率の低下だけでなく、全体として青少年は決して凶悪化しているわけではない」、そしてごく例外的に起こる重大事件について不必要なものまで微細に報道し、解釈しようとするメディアのあり方が問題だと広田照幸は指摘する。

これに対し小此木は、たしかにメディアがクローズアップするのは例外的事件ではあるが、やはりそこに現代人の心を先駆的に表現する面があると反論する。 一連の少年犯罪は、いずれも、縁もゆかりもない隣人を、しかも、動機不明のまま、犯人のきわめて主観的な思い込みで殺害してしまうという点に奇矯さがあり、衝撃性がある。しかもその主観的な思いこみの背後には、「引き込もり」がある場合が多いという。

彼らは、アニメやインターネットの世界で自分の衝動をアニメ化して暮らしていたのだが、ネットと現実との使い分けをやめて、ネットからの引きこもりから脱出するとき、仮想現実の世界だけに許されていたはずの衝動を、そのまま外の現実の世界で発揮してしまった。一連の少年事件の背後に、そのような心理的特質がある。

そして、少年たちの事件が、大人に衝撃を与えるのは、実は大人たちの心の闇を露呈させるからだ。

近年の日本人は、多かれ少なかれ引きこもり的な人間関係をいごこちよく感じるようになっている。愛も憎しみもある2.0のかかわりではなく、1.5のかかわりにいごごちのよさを感じるようになり、人間関係全体が希薄化している。  

小此木は、われわれが自然の環境から人工的な環境に引きこもって暮らし、さらに1.5のかかわりを基礎にして、テレビ、ゲーム、携帯、インターネットなどによるヴァーチャルな現実に引きこもる現実が生まれたという。  また、そんな引きこもりと平行して、人と情緒的に深くかかわらない、ある意味での冷たさとか、やさしさとか、おとなしさといわれるような引きこもりが最近の一般的な傾向になっている。激しい自己主張をしあって衝突したり、互いに傷つけあったりする生々しい争いを避けて、みんな表面的にやさしく、おとなしく暮らす。現代の若者の特徴とされる、こんなやさしさは、現代人一般に共通する引きこもりの一種である。

「やさしさは同時に、それ以上深いかかわりを避ける方法になっている。時にはやさくしないで、喧嘩をしたり、叱ったりするほうが、本人のためだという場合もあるのに、それをしない冷たいやさしさである」というのだ。 攻撃性、自己主張、激しい感情は消失したように見えるが、それだけに非常に未熟で訓練されていない攻撃性がやさしさを突き破って、激しい破壊性となってあらわれることがある。しばしばそれは、マスコミを騒がす種々の破壊的な行動の形をとる。

現代人は、主張し合い、傷つけあう生々しいかかわりを避け、多かれ少なかれ、冷たいやさしさへと引きこもり、ある種の破壊性を抑圧する傾向にある。だからこそ突然に破壊的な衝動を爆発させる、やさしき少年の事件に衝撃を受る。大人たちは、これらの事件により自分自身の内なる闇に直面させられるのだ、冷たいやさしさの奥の破壊的な衝動に。

また、 中・高校生だけでなく、大学生、出社拒否のサラリーマン、どの年代の引きこもりの人々にも共通するのは、肥大化した誇大自己=全能感の持ち主であるということ。しかも、その巨大な自己像にかなう現実の自分を社会の中に見出すことに失敗している。一見ひ弱で、小心、傷つきやすく、内気な人物に見えるが、実はその心の中に「自分は特別だ」という巨大な自己像が潜んでいる。

小此木は、現代日本の社会を多かれ少なかれ自己愛人間の社会だという。衣食住がみたされ、食欲も性欲もみたされているような社会、それでいてお国のためとか革命のためとかいう大義名分も理想も効力を失った社会では、私たちの心に唯一活力を与えるのは自己愛の満足の追求である。そして一方的な自己愛の追求は1.5的なかかわりと呼ばれるのと同じ心性が潜んでいる。( しかも全能感や1.5的なかかわりは、テレビゲームやパソコン、インターネットとのかかわりの中で浸ることのできるものである。その意味で彼らは時代のもっとも深い病を反映している。)

現代日本の特徴である自己愛人間社会が、異常な全能感や自己愛の満足しか身につけていない少年や若者を生み出している。彼ら少年、若者は私たち大人の自己愛人間の分身である。われわれの内なる自己愛人間の反映である。 


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