精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

『唯幻論物語』

2008-12-27 15:38:56 | 心理学全般
◆『唯幻論物語 (文春新書)

岸田秀が、幼児期からの母親との関係が原因で神経症になったことは、すでにあちこちで本人が書いており、岸田の読者にはよく知られた事実だ。しかし、こうして書き下ろしの本で詳しく読むと、そこから癒されようとして彼がたどった道に、学ぶべきものが多くあることを改めて感じる。

精神分析は、ある観念からその真の根拠を切り離し、真の根拠を無意識へと抑圧すると、意識に残ったその観念は強迫的になるという。ある観念を打破するには、その根拠を現実的または論理的に崩せばよいのだが、真の根拠は無意識に抑圧されているので、意識の判断では手が届かず、したがって崩しようがない。したがってその観念は、頑固で不合理で動かしがたく思え、「強迫」観念として立ち現れるということだ。

だから意識のレベルでの自己観察では、無意識に抑圧されたところまで深まる自己分析は難しい。そこで岸田は、日常生活における他者との関係に助けを借りたという。たとえば、特に、激しいショックを受けたとか、猛烈に癪に障った非難は、自分が否定したがっている無意識的コンプレックスの的をずばりと射ていることが多く、貴重な資料になったという。

また、これはよく言われることだが、とくに理由もないのに、ある人が嫌いだとか虫唾が走るという場合は、自分が否認し抑圧している自分のある面をその人に投影している場合が多い。嫌なやつには自分が映っている。

さらに、ある物語に非常に強く心を動かされたり、かき見出されたりした場合、その物語は自分の何かのコンプレックスの傷口に触れていると考えられる。

このように自分の無意識は他者の眼、他者の行動、他者の鏡、他者の物語を介して見えてくる。他者を足場にして初めて、堂々巡りをする自己中心的な自己観察がいくらか客観的な自己分析となるという。岸田自身が、こうした他者を契機とした自己観察によってよって、抑圧を自覚していったのである。

これはこれで参考になるが、もし岸田と話す機会があったなら、ヴィパッサナー瞑想はサティとラベリングという方法によって意識のおよばない抑圧に気づいていく方法だが、これについてどう思うかと訊いてみたいと思った。


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