精神世界と心理学・読書の旅

精神世界と心理学を中心とした読書ノート

『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』01

2007-04-08 22:21:14 | 宗教一般
◆岸田秀『嘘だらけのヨーロッパ製世界史』(新書館、2007年)
岸田秀の唯幻論が、自我は己や己が作りあげた幻想から目覚め得ないということをその理論の前提としていることは、昨日にも書いた。人間は幻想から目覚めることによって成長し、覚醒するいう立場に立つ私としては、この前提に対しては徹底的に批判していきたい。

しかし、精神分析の手法を個々の社会的な問題、集団の心理、歴史の分析に応用した考察は、きわめて興味深く、これまでも彼の多くの本を読み、書評でも取り上げてきた。この本もやはり面白い。

なぜ、面白いのか。著者は彼の「史的唯幻論」を次のよう説明する。「‥‥史的唯物論のように経済的要因とかで歴史が決定されるのではなく、民族や国家などの集団的自我のぶつかり合い――集団的自我を支えるプライドやアイデンティティ、プライドが傷つけられた屈辱、その屈辱を雪ぐ試み、アイデンティティが揺るがされた不安、その不安からの回復など――が歴史の動きを左右する重要な要因であると見なす歴史観である。」

要するに民族や国家を動かす最強の動機は屈辱の克服であるという。それがすべてではないにせよ、確かにそういう面が根深く存在するのは確かであろう。民族や国家を精神分析できるというのである。私は個人的に精神分析や深層心理に関心があり、また歴史も教える立場にあるので、岸田の仮説には強い興味をもつ。

一般的にいっても、民族や国家間の対立の背後に、優越意識やプライドをめぐる心理、劣等意識や屈辱をめぐる怨念などが存在するのは確かだろう。日中、日韓の関係などを考えれば、そういう集団心理の問題が根深く存在するのは容易に想像がつく。そうした集団心理を精神分析的な手法で考察し、歴史を読み解こうとする試みが興味深くないはずはないだろう。

しかもテーマは、ヨーロッパ人の劣等感や屈辱、それと裏腹の優越意識という視点から、ヨーロッパ製の世界史の歪みを明らかにしていこうというものである。そこに近代日本の歴史問題もからめて考察されている。