浄土宗、東源寺に寄ってみた。
江戸時代の中頃の俳人、菊図坊祖英(きくとぼうそえい)の辞世の句の塚がある
「死ぬ事を知って死ぬ日やとしのくれ」
祖英は加賀国大聖寺出身の行脚俳人. 深谷に暫く仮寓.
明和五年 (1768年) 正月六日. 利根川に入水死. 享年. 五十四
安永3年(1774年)3月、菊図坊祖英追善のために『俳諧菊の露』刊行。
深谷の地名は、この唐沢川の深い谷に由来している . . . 本文を読む
写真は深谷宿、大谷邸
熊谷バイパスを越したところの旧中仙道
雑草が足に当たり痛いのだ。
一応、県道なのだが雑草だらけ!
日差しが強くなり、かなり暑くなった。
できるだけ、日陰を求めて走ったが、平地であることもあり日陰が少ない。
立派な、お地蔵さん
なんで赤い布をまとうのか?
よだれかけのようなものもあるし、…?
なんとなく、お地蔵さんが子供のように見える?
この県道の歩道の狭さ . . . 本文を読む
JR熊谷駅で下車したとき、すでに10時半なのだが、曇りがちで外はひんやりと肌寒い風が吹いていた。
完全に秋の風である。
ちょっと、気分は沈み加減であった。
薄いウィンドウブレーカーを着用、コンビニで暖かいコクと香りの缶コーヒー BOSS PREMIUMを飲んだ。
胃袋に暖かいコーヒーが流れると、お腹から暖かい小さな元気玉が生まれてきて、「今日も楽しく走ろう」という気持ちになった。
まずは、早 . . . 本文を読む
荒川の土手はスケールが大きくて、風が冷たかった。
愛馬への供養として祀られた馬頭観音が、元荒川と現在の荒川の土手の間にヒッソリとたっていた。
土手下の舗装路がほぼ旧中仙道である。
昭和22年のキャスリーン台風時の堤防決壊の跡碑
当時、私の母は埼玉県幸手に住んでいたが、華族全員、自宅家屋の屋根に逃れ、雨に打たれながら他の家が回転しながら流れていくのを見ていた、と語っていた。
. . . 本文を読む
岐阻街道 鴻巣吹上 富士遠望(栄泉)にちょっとイラスト加えてみました。
道端の石塔群
小さいけれど、中仙道の貴重な痕跡だ。
地蔵堂
ここで、水飲み休憩した。
さきほどから休憩ばかりだ。
このあたりは箕田追分といわれ、館林行田道との追分(分岐点)であって、この地蔵堂のところに富士家という茶屋があった。
このチョット先に前砂村標石があるのだが、英泉の鴻巣吹上富士が描かれた場所で、茶屋の . . . 本文を読む
スリランカの旅の前(2月初めころだと思う)に走っていた旧中仙道ランニング(桶川宿~熊谷宿)のUPをすっかり忘れていた。
だから、その時の写真をみて、思い出しながら書いている。
江戸時代初期の旧中仙道(古中仙道)は北本駅そばの踏切を渡る
馬室原(まむろばら)の一里塚(西塚)
道からはずれた畑の中にポツンとたつ一里塚で、朝の逆光でうまく取れなかったが、立派な一里塚だ。
東塚は高崎線の下に . . . 本文を読む
桶川宿 国登録有形文化財 武村旅館(1852年築 旅籠 紙屋半次郎跡)
桶川宿は素晴らしく立派である。
何がって・・・?
古い建物が保存状態もよく残ってるのだ。
だから、このあとは建物の写真ばかりになってしまった。
日本橋~桶川宿・・・43km
日本橋からフルマラソンの距離(10里)を走ると桶川宿になるのだが、考えてみると、昔の人は、ここまでわずか1日で歩いてきたのだ。
われらが . . . 本文を読む
1804年創業の粕漬の老舗、河村屋
元々は造り酒屋であるが、創業当時から粕漬も売っていた。
玉ねぎの漬物が有名らしい。
しょうゆ味、味噌味、ワイン味、ゆず味というものがあるらしい。
いずれにしても、日曜日は開いてない。
その隣にある不動堂
名前のない交差点にあるバス停裏の空き地にある、馬喰新田(ばくろしんでん)の庚申塔
左脇をみると「是より 秋葉へ壱里十二丁 ひら方へ壱里八丁 川越へ三 . . . 本文を読む
八百姫大明神
これは、旧中仙道からちょっと100mほど外れた住宅街の中にひっそりとある祠である。
人魚の肉を食べて800歳まで生きたとされる伝説の八百比丘尼(やおびくに)がしばらく滞在した場所の石碑である。
八百比丘尼については次を参照されたい。→人魚を食べた娘の墓「八百比丘尼入定地 空印寺」【福井】
人魚というとアンデルセンの人魚姫のイメージなので、美しい人魚のその肉を食べてしまったとい . . . 本文を読む
写真は浦和橋あたりの風景
浦和駅西口交差点から走り始める。
今日は一日、幹線道路沿いに走らなければならない。
浦和宿 英泉画
この英泉の絵の中に、馬の後を追いかけて、塵取りで馬糞をひろう子供が描かれている。
これは馬糞掻きという馬糞を拾って肥料として売る商売で、今思うと信じがたいと思うかもしれないが、俺がまだ東京の下町の小学生だったころ、トンボ取りに出かけた東京の郊外ではよく見かけたも . . . 本文を読む
志村坂上から中山道は急な坂(清水坂)をくだる。
距離は短いが昔は最初の難所だった。
志村橋に近い東坂下の旧道で気になる会社をみつけた。
日本チョコレート工業協同組合とかいてある。
そのHPをみると、沿革・特色につぎのように書いてあった。
----------------
つねに時代の感性に応えた、おいしいチョコレートづくりのため、全国のメーカーが集結、昭和24年に設立された画期的 . . . 本文を読む
都電荒川線庚申塚駅だ。
写真では薄暗くてよく見えないが、この駅ホームには甘味処「いっぷく亭」がくっついている。
駅ナカ店舗だが、勿論、切符がなくても入店できる。
まだ、一度も入ったことがないが、・・・。
ファイト餃子、店は満員だった。
外で入れずに雨の中、待っている人がいた。
ここは結構有名な店(食べログで東京の餃子ベスト100のうち、現時点で46位)である。
昼飯(チャーハン餃子セット)を . . . 本文を読む
神田明神下のビルのステンレスのドアに写る俺。
足が短い!(汗)
--------------
東海道走膝痛シでも書いたが、寒い時期の鈴鹿峠越えはやめて、旧中仙道を走り始めることにした。
なお、このランニングは楽しい旅ランと、ウルトラマラソン練習を兼ねている。
一挙両得、一石二鳥の俺向きなランニングだ。
旅ランでないと、厭きてしまって、LSD練習ができない。
皇居をグルグル回ると2周目には厭き . . . 本文を読む