武の道へのこころざし

大道塾の横須賀・湘南支部の責任者が、日々の活動に関する出来事や想いを綴っていきます。

心を修める

2022年09月24日 | 武道の心
題名の言葉が、国語的に正しく正確かどうかは分かりませんが、稽古を長く続けていき、日々の稽古の中で少しずつでも実力を向上させていきたいと考えている方は、まずは、心を修めることを考えるべきだと考えます。


稽古を始めて、最初の若い頃の勢いのまま、比較的に短期間で上級の帯を取得したとしても、その後、何らかの事情で稽古を休んでしまった場合、その少しの休息期間の後、稽古を続けられなくなる人がいるものです。


始めたころは気持ちが若く勇ましく、刺激的な気持ちで新しい学びを得たとしても、何らかの事情で一旦稽古を休む期間があると、稽古を再開したくとも、どうも気持ちが重くなり、稽古再開の踏ん切りがつかず、長期休会を余儀なくされることもあります。


入会する頃だってそうです。

自分の気持ちを何度も逡巡し、悩み、迷い、どこかで「ヨシッ!」と気合を入れて稽古を始められた方も多いように感じます。


小さな子供だってそうです。

もちろん子供を通わせる親御さんも、色々と悩み、考えて、さんざんに検討したうえでお子さんを稽古に通わせる方もおられると思います。

費用やスケジュール上の問題もあるし、我が子にとって良いものかどうか、我が子に向いているかどうか、続けていけるかどうか、とても悩んでおられる様子は親御さん方を見ていて、痛いように感じることもあります。

せっかく稽古を始めてみたものの、稽古を続けられる人と続けられない人の間には、根本的な大きな違いが感じられます。

それは運動能力などの素質の部分ではなく、物覚えの良さや記憶力の良さなどの、いわゆる世間一般で言われている、頭の良さでもありません。

それはものの感じ方や考え方、思考の上での処理の仕方であり、私は「武道家にとっての頭の良さ」、に通じる部分だと感じています。



さて、「心を修める」とここで書いているのは、稽古における心の働きの事ですが、これは他のスポーツでも、勉強でも、もしくは仕事や他の学びでも、何でも当てはまる事だと思います。


言葉を変えてわかりやすい表現で言い換えてみれば、今現在行っている一つのことに集中することであり、一つの覚悟をすることであり、日常の行いとして、稽古を当たり前に、そして意欲的に取り組むことです。


気合いを入れすぎると長続きしません。

稽古の中では常に心の余裕が必要です。


一時の勢いで、実力に見合わない昇級や大会での成績などを目指すと、途中で挫折しやすくなります。


稽古を数多く積み重ねた結果として、昇級や大会成績、また周りの評価というものが得られるものです。

十分な稽古を積まないで昇級を目指すことや、ほどほどの練習で大会出場や成績を追い求めることは、単なる欲望の表出でしかありません。

武道団体の上級者にはそぐわない、謙虚な姿勢とは程遠い、心の未熟さだと考えた方がよいかもしれません。


朝歯を磨くように、おなかが空いたらご飯を食べる様に、のどが乾いたら飲み物を飲むように、当たり前に稽古に取り組むこと。

日々の歯磨きには、歯を清潔に保ち、健康な歯を維持しようという気持ちが大切なように、稽古では常に何かを吸収しようという、神聖な心構えが必要です。



楽しみながら稽古に取り組むこと。


稽古を続けるのは厳しいのは当たり前。

だからこそ楽しめる心の余裕が大切で、稽古の中の大部分は、心に少し余裕を持ち、リラックスした気持ちで取り組んだ方が、技が身に付きやすいです。



自分の事ばかり考えず、稽古相手の人のことも考える事。

上級者から学んだら、帯下の方に指導する時間を設ける事です。

強めの激しいミットや組手の稽古をしたら、時には気持ちを落ち着かせ、多少笑顔が見えるような雰囲気で、ゆっくりと考えながら、そして楽しみながら稽古をする時間を設ける事が必要になるときもあります。



大きな志を持つこと。

健康を維持することや、稽古を続ける事自体に目標を持つことも大切だと思います。

少しずつでも昇級していけるようにすること、もしくは帯下の方や、若い子たちの成長の手助けて、共に成長していける事を考えることもよい心掛けだと思います。

もちろん大会での活躍を目指す事も、ひたすらに昇級や昇段を目指す事も、目標を持って自分のために取り組むことも良いことですが、若手の育成の手助けをすることも自分のためになる事であり、自身の存在意義を価値あるものにしていくことができるでしょう。


稽古を継続していく為には、そして少しずつでも実力を向上させていく為には、「心を修める」ということも大切な事だと思います。


そのあたりを考えている人は、試合で勝って調子に乗ることはありません。

試合で負けてクヨクヨしている暇はありません。


日々、淡々と為すべき稽古に没頭する時間を持てる事が、現代のストレスの多い世の中では、どれだけ平和で幸せな時間である事か。


稽古を続けられなくなった方には、身につまされる思いで感じられることだと思います。


私の中では、現在の大道塾の稽古スタイルの中では、限界年齢は70歳くらいだと考えています。

現在の横須賀湘南支部の稽古体系の中では、そして現在稽古を続けられている支部の稽古生の方々は、もう少し高い年齢まで行けそうに感じていますが、まだ十分に稽古体系がこなされているとはいえません。

私自身が生きている間、自分の力で自分の事ができている間は、稽古指導を続けていきたいと願っていることもあり、その継続年齢をどれだけ引き上げられるかが、課題であり、わが身を通して挑戦を続けていきたい。


日々懸命に稽古を続けてきた、年齢の高い武道家にこそ感覚的に得られる、より良い人の和や協調力や他者への配慮の心、青少年の教育的な面への良し悪しの感覚、そして人の生きざまの価値感、といった心に感じられるものが、とても大きな財産として、後世に伝えられる役割として残っていると感じています。


心ある武道家が集い、心を修める気持ちで日々の稽古を積んでいくなかで、稽古生並びに関係者の皆さまに、大きな幸福の和が訪れんことを願っています。





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