goo blog サービス終了のお知らせ 

事のなりゆき

日々のなりゆきを語ります

宮城県山元町を襲った悲劇②・・・

2013-03-04 18:24:03 | Weblog
山元町には独自のメディアはない。新聞は河北新報、テレビは仙台から流れてくる民間放送とNHK。ラジオも同様でNHKと民間の東北放送だ。役場からは月一回の広報誌がある。その他はいわゆるクチコミとパソコンや携帯電話が町民にとってのメディアだ。普段であればそれで十分であり、なんら不自由はない。携帯やパソコンがあればいつでもどこでも誰とでも情報発信ができる。ところがそれは3月10日までのことだった。
 大震災と津波で壊滅的な被害を被った山元町はライフラインを全て失った。夜になっても明かりは町にひとつもなく、水道も奪われた。津波から逃げてきた人たちは町が用意した避難時で一夜を過ごした。しかし翌朝になっても町がどんな状態になっているのかまったく情報はなかった。自分たちの身の回りはわかったが、全体がまったくわからなかった。家族ばらばらで逃げてきた人たちはそれぞれが今どこで何をしているのか皆目見当がつかなかった。部数は少ないものの河北新報が避難所に配られた。一人一部という部数は確保できないために壁に張り出された。被災した人たちは食い入るように記事を読んだ。とんでもない地震と津波が起きた。岩手県、宮城県の沿岸部は津波で相当に被害が出ていることを知った。しかしどこを探しても、どの紙面を見ても「山元町」という記事は見つからない。どこにも山元町の情報はなかった。
 おもしろい調査結果がある。東京大学大学院学際情報学府博士課程松山秀明研究室が調べた「報道の偏在」だ。2011年3月11日から9月30日までの報道出現回数を調べた。その間もっとも報道が多かったのは仙台市、続いて石巻市、南三陸町、陸前高田市、気仙沼市と続く。山元町は上位20位には入っていない。同じような調査がある。東北大学大学院情報科学研究科メディア文化論研究科が調べた、テレビ局アンケートだ。調査は岩手県、宮城県、福島県、東京都のテレビ局を対象に2011年8月から9月にかけて郵送調査記名式で行われた。調査表は18通に送付され、有効回答は13局で回収率は72%だった。調査から県別に見ると岩手県では宮古市以南が取材され、被害が大きい、街がなくなったという理由で陸前高田市が多かった。宮城県では石巻市と気仙沼市が多く取材されている。被害の多かった女川町は少なかった。気仙沼が多かったのは、津波に加え大規模な火災発生により被害が甚大だったことが理由として挙げられている。
 さて山元町だが、取材されたのは一ヶ月が過ぎたあたりからということが調査結果からわかった。東京大学大学院の調査によれば山元町の報道出現は184回。順位は34番目だった。ちなみに1位の仙台市は2,789回、2位の石巻市は2,739回、3位の南三陸町は2,180回となっており、いずれも2千回を超えている。救助隊や救援隊などもこうした報道を見ながら動いたと見られている。被害状況がテレビや新聞で伝えられているところに向かったと見られている。実際に発災から山元町の平間副町長は「3日目に愛知県からの救援隊は一旦は山元町で活動を開始しようとしたものの上からの指示で北へ向かった。また翌日にきた兵庫・奈良の部隊もそのまま北へ向かった」と証言している。マスコミでさかんに報道されていた仙台市や石巻市へ向かったと推測できる。山元町は情報がなく、救援隊にも見放されまさに陸の孤島になった。その影響は救援隊にとどまらなかった。
 ではなぜこうした報道偏在が起きたのか。次回。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宮城県山元町を襲った悲劇①・... | トップ | 宮城県山元町を襲った悲劇③・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事