
1月15日(水)からNARAYA CAFE・ならやあんは冬期休業に入りました。
店の片付け・掃除も終わった金曜日、早速、旅に出ました。
行き先は日光金谷ホテル。
(冒頭の写真左は前社長で相談役の秋山さん、写真右は現支配人の平野さん、なにげにすごい人達と写っています)
金谷ホテルは宮ノ下にある富士屋ホテルと並ぶ、日本最古のリゾートホテルです。
(外国人客を相手に営業をはじめたのは、こちらのほうが先です)
宮ノ下と日光は、幕末~明治期に外国人の避暑リゾートとして開けてきたこと、その核となるホテルの建物が今も現存すること、、、などなど共通点が多いです。
しかも、富士屋ホテルの3代目社長、山口正造氏は金谷ホテルの創業者の次男であったり、なにかと宮ノ下と関係の深いホテルです。
なので一度行かなければいけないとは思いつつも、10年ほど前、日光が世界遺産に指定されたばかりのころ、ちらっと外観をのぞきにいったくらいで、きちんと宿泊をしたことはありませんでした。
ところが、今回、チャンスが訪れました。
足利銀行の破綻後に金谷ホテルの社長に抜擢され、現在は相談役となっている方が、宮ノ下の富士屋ホテルに40年以上勤めていた方で、ちょうど父母が奈良屋旅館をやっているときに支配人だったこともあり顔なじみでした。
僕も小さい頃からお会いしていて、NARAYA CAFE開業後も、何度か見に来て頂き、激励の言葉をいただいていました。
その相談役の秋山さんがいらっしゃるうちに、一度ご挨拶かたがた宿泊しようということで、この冬期休業中に伺うことにしました。
秋山さんのはからいで、別館3階の角部屋(現在の天皇陛下も皇太子時代に宿泊したという部屋)にアップグレードしていただきました。

部屋の内装の美しさもさることながら、窓からの眺めが素晴らしかったです。
ちょうど冬のこの時期、冠雪した日光連山が目に入り、景色だけ見ているとカナダかスイスにいるような錯覚にとらわれます。

日光連山(左が男体山、右側がいくつかの嶺に名前は付いていますが総称が女峰山。男と女です)

ソファーに腰掛けてみたりして、、、

資料室で発見した荷物タグ
NARAYA CAFEのロゴを決めるときに参考にしたNARAYA HOTELの荷物タグとそっくりで、同時代のものであることが伺えます。


階段の手すりに西洋風と和風(社寺風)が混在しているのも富士屋ホテルといっしょ。見慣れた光景です。
ただ、全体的にこちらのほうが「社寺風」が強いように思います。
東照宮との近さがそうさせるのでしょうか、、、
今回の旅は、子どもたちを両親に預けての夫婦2人旅。
今日はもう、どこにも観光しないでホテルでゆっくり、優雅な時を過ごそうと決めました。

夕食後のデザート
日光も箱根と一緒で秋の紅葉がトップシーズン、その後正月の初詣客もあるけれど、その後は春まで閑散期になります。
メインダイニングで夕食をとる人もぽつりぽつりでした。

そして部屋に戻ると、また山の景色が、、、、
写真は明け方、男体山に沈む月です。
避暑地で紅葉の名所の日光ですが、山が雪化粧した冬に来るのも良いですね。

翌朝はホテルの裏山を散歩してきました。
あまり歩く人もいないとみえて霜柱がざっくざく。

大正時代からあるスケートリンク
あまりに山が綺麗だったので「上の世界」へ行きたくなり、ホテルをチェックアウトしてからは「いろは坂」を登って奥日光へ向かいました。

今回、日光で是非行きたいと思ったところがここ
光徳クロスカントリースキー場です
中禅寺湖を過ぎて、戦場ヶ原と呼ばれる湿原地帯にあるホテルですが、冬はこの周りがクロスカントリースキーのコースになります。
以前からクロスカントリーに興味があって、日本でやれるところを探していたところ、近くだとこのスキー場がヒットしていました。
僕一人では2年前にフィンランドでやったこともあるのですが、騒音もなく自然の中に溶け込めるし、ジョギング感覚で体力的にも追い込めるし、いいスポーツだなと思っていました。
(近くにあったら、毎日でもやりに行くんですが、、、あるいは箱根にもっと雪が降れば、、、)
そんなクロスカントリースキーの魅力をえみに教えるために、ここを旅先に選んだのですが、十分伝わったようでした。
むしろ僕よりはまったようでした。


土曜日だったため栃木県スキー連盟の大会も開かれていました。
けど参加者は5人くらい。
初心者の僕らにも「よかったら出る?1kmコース5週だけど、途中でやめてもOKだよ」と誘ってくれました(笑)

大学時代、マイナースポーツのボートにはまった僕らなので、この「あまり人がやってない感」もグッドです。
最後は周りが氷結した華厳の滝を見て帰途につきました。

この時期にしかみれない風景が見られて、冬の旅も良いものですね。
年明けからさいさきの良い「初旅」でした。
店の片付け・掃除も終わった金曜日、早速、旅に出ました。
行き先は日光金谷ホテル。
(冒頭の写真左は前社長で相談役の秋山さん、写真右は現支配人の平野さん、なにげにすごい人達と写っています)
金谷ホテルは宮ノ下にある富士屋ホテルと並ぶ、日本最古のリゾートホテルです。
(外国人客を相手に営業をはじめたのは、こちらのほうが先です)
宮ノ下と日光は、幕末~明治期に外国人の避暑リゾートとして開けてきたこと、その核となるホテルの建物が今も現存すること、、、などなど共通点が多いです。
しかも、富士屋ホテルの3代目社長、山口正造氏は金谷ホテルの創業者の次男であったり、なにかと宮ノ下と関係の深いホテルです。
なので一度行かなければいけないとは思いつつも、10年ほど前、日光が世界遺産に指定されたばかりのころ、ちらっと外観をのぞきにいったくらいで、きちんと宿泊をしたことはありませんでした。
ところが、今回、チャンスが訪れました。
足利銀行の破綻後に金谷ホテルの社長に抜擢され、現在は相談役となっている方が、宮ノ下の富士屋ホテルに40年以上勤めていた方で、ちょうど父母が奈良屋旅館をやっているときに支配人だったこともあり顔なじみでした。
僕も小さい頃からお会いしていて、NARAYA CAFE開業後も、何度か見に来て頂き、激励の言葉をいただいていました。
その相談役の秋山さんがいらっしゃるうちに、一度ご挨拶かたがた宿泊しようということで、この冬期休業中に伺うことにしました。
秋山さんのはからいで、別館3階の角部屋(現在の天皇陛下も皇太子時代に宿泊したという部屋)にアップグレードしていただきました。

部屋の内装の美しさもさることながら、窓からの眺めが素晴らしかったです。
ちょうど冬のこの時期、冠雪した日光連山が目に入り、景色だけ見ているとカナダかスイスにいるような錯覚にとらわれます。

日光連山(左が男体山、右側がいくつかの嶺に名前は付いていますが総称が女峰山。男と女です)

ソファーに腰掛けてみたりして、、、

資料室で発見した荷物タグ
NARAYA CAFEのロゴを決めるときに参考にしたNARAYA HOTELの荷物タグとそっくりで、同時代のものであることが伺えます。


階段の手すりに西洋風と和風(社寺風)が混在しているのも富士屋ホテルといっしょ。見慣れた光景です。
ただ、全体的にこちらのほうが「社寺風」が強いように思います。
東照宮との近さがそうさせるのでしょうか、、、
今回の旅は、子どもたちを両親に預けての夫婦2人旅。
今日はもう、どこにも観光しないでホテルでゆっくり、優雅な時を過ごそうと決めました。

夕食後のデザート
日光も箱根と一緒で秋の紅葉がトップシーズン、その後正月の初詣客もあるけれど、その後は春まで閑散期になります。
メインダイニングで夕食をとる人もぽつりぽつりでした。

そして部屋に戻ると、また山の景色が、、、、
写真は明け方、男体山に沈む月です。
避暑地で紅葉の名所の日光ですが、山が雪化粧した冬に来るのも良いですね。

翌朝はホテルの裏山を散歩してきました。
あまり歩く人もいないとみえて霜柱がざっくざく。

大正時代からあるスケートリンク
あまりに山が綺麗だったので「上の世界」へ行きたくなり、ホテルをチェックアウトしてからは「いろは坂」を登って奥日光へ向かいました。

今回、日光で是非行きたいと思ったところがここ
光徳クロスカントリースキー場です
中禅寺湖を過ぎて、戦場ヶ原と呼ばれる湿原地帯にあるホテルですが、冬はこの周りがクロスカントリースキーのコースになります。
以前からクロスカントリーに興味があって、日本でやれるところを探していたところ、近くだとこのスキー場がヒットしていました。
僕一人では2年前にフィンランドでやったこともあるのですが、騒音もなく自然の中に溶け込めるし、ジョギング感覚で体力的にも追い込めるし、いいスポーツだなと思っていました。
(近くにあったら、毎日でもやりに行くんですが、、、あるいは箱根にもっと雪が降れば、、、)
そんなクロスカントリースキーの魅力をえみに教えるために、ここを旅先に選んだのですが、十分伝わったようでした。
むしろ僕よりはまったようでした。


土曜日だったため栃木県スキー連盟の大会も開かれていました。
けど参加者は5人くらい。
初心者の僕らにも「よかったら出る?1kmコース5週だけど、途中でやめてもOKだよ」と誘ってくれました(笑)

大学時代、マイナースポーツのボートにはまった僕らなので、この「あまり人がやってない感」もグッドです。
最後は周りが氷結した華厳の滝を見て帰途につきました。

この時期にしかみれない風景が見られて、冬の旅も良いものですね。
年明けからさいさきの良い「初旅」でした。
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