blueglassの向こう側

厚木市議会議員「奈良なおし」の思うことをそのままに

今さらながらトリエンナーレについて

2019-08-12 20:58:28 | 政治
お盆期間中は9月議会の一般質問に向け、資料を読み込み論点の整理に充てさせて頂いてます。
一年生議員は何でも聞いてしまう元気があって良いのかもしれませんが、それでも答弁側に余計な手間をかけさせるのも本旨からずれるので、予習して質問に向かいたいと思います。

そんな中、鮎まつり中に炎上していたトリエンナーレ「表現の不自由展」の件。

今さらながらコメントいたしますが、天皇を侮辱したり、慰安婦像を置いてみたり、政治的ポジションが前面に出すぎた結果、我が国を蔑ろにしているだけで、ここにどんな”アート”があるのか理解に苦しみます。
※慰安婦像は解釈によっては海外に対して間違ったメッセージを送ることになります。

我が国は民主主義国家である以上”表現の自由”はある一方で、表現された自由に対して不快の意を示す”言論の自由”もあるということを念頭に置かなければなりません。

こうしたものを考えて表現するのが大人としての社会的責任であって、芸術監督だった津田氏が最も批判されるべきポイントは、自らが不快なものや、相容れないものを展示するセンスが無かったこと。よって、「作品」というより「悪意」と言われても仕方がないように感じます。

「表現の自由」は「言論の自由」と共に憲法第21条で定められており、一方、憲法第12条では国民に対して憲法上の権利は「公共の福祉のため」に行使するものであると定めています。ただし「表現の不自由展」が公共の福祉に反するかどうかは、個々の判断でしかありません。

そんな中、名古屋市の河村市長が「市長名」で、愛知県知事宛てに企画展示の中止を求める抗議文を送りました。
憲法は権力に向かって作られている、つまり権力側に向かって「表現の自由を確立せよ」と言ってるわけですから、この行為は”検閲”と言われても仕方がないことです。

最近ではテレビ番組、コマーシャル、ネットの書き込み等々、様々な抗議によってお蔵入りになってしまうものが多くあります。
これらもまた「表現の自由」と「言論の自由」が入り交じる世の中の結果ですが、せっかくのお盆の期間、ちょっと考えてみる機会ではないかと思います。

※表現の不自由展とはどんな展示だったのか?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/aichitriennale-report_jp_5d43c7eae4b0ca604e2fb0fe?fbclid=IwAR2TUUGECmajUtKAL1gUO6yw3HFR3cP9RqwwK30KosL9wSubPBkCFKM0lbc

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