高麗郡建郡1300年記念事業としての歴史講演会「広開土王碑建立1600年を迎えて」が、日高市の生涯学習センターで行われたので聴講してきました。(高麗浪漫学会などによる記念講演会)
講師:武田幸男 東大名誉教授(広開土王碑研究のわが国第一人者)
広開土王は、朝鮮半島北部から中国にかけて存在した高句麗の第19代国王で、391年から421年にかけて活躍した高句麗最盛期の国王です。
広開王土王碑はその功績をたたえるために414年に建立された石碑で、高さ約6メートル四面に約1800文字が刻まれています。碑文には、倭(日本)が4世紀末から5世紀初に高句麗と交戦したことも記載されていて、日本古代史を知る上で欠かせない資料となっているのです。(1880年ごろ清の集安の農民により発見された)
(現在の吉林省集安市にある広開土王碑は、風化によって判読不能な箇所もあり、ガラスケースで保護されている)
碑文は三段から構成され、朱蒙による高句麗の開国・伝承・建碑の由来、好太王の業績、墓を守る守墓人の規定が記されている。
日本では明治17年(1884)陸軍将校が実地調査をして持ち帰った資料に拓本があり、その判読には諸説があり議論を呼んだ。
(碑文の拓本、1882年頃作成されたもの)
拓本作成時に石灰をかためて新たに判読文字が作成されてしまうとは、はじめて知りました。
(拓本の解説をする武田教授)
今回の講演会でのお話を通じて、碑文の解明不可能文字や、拓本作成時の石灰による意図的改ざん懸念などがあって、古代日朝間の歴史問題疑惑などのことも、大変勉強になりました。
今後も高麗郡建郡1300年記念事業において、高麗浪漫学会などで歴史勉強会などが企画されているので、参考にしたい項目でした。
講師:武田幸男 東大名誉教授(広開土王碑研究のわが国第一人者)
広開土王は、朝鮮半島北部から中国にかけて存在した高句麗の第19代国王で、391年から421年にかけて活躍した高句麗最盛期の国王です。
広開王土王碑はその功績をたたえるために414年に建立された石碑で、高さ約6メートル四面に約1800文字が刻まれています。碑文には、倭(日本)が4世紀末から5世紀初に高句麗と交戦したことも記載されていて、日本古代史を知る上で欠かせない資料となっているのです。(1880年ごろ清の集安の農民により発見された)
(現在の吉林省集安市にある広開土王碑は、風化によって判読不能な箇所もあり、ガラスケースで保護されている)
碑文は三段から構成され、朱蒙による高句麗の開国・伝承・建碑の由来、好太王の業績、墓を守る守墓人の規定が記されている。
日本では明治17年(1884)陸軍将校が実地調査をして持ち帰った資料に拓本があり、その判読には諸説があり議論を呼んだ。
(碑文の拓本、1882年頃作成されたもの)
拓本作成時に石灰をかためて新たに判読文字が作成されてしまうとは、はじめて知りました。
(拓本の解説をする武田教授)
今回の講演会でのお話を通じて、碑文の解明不可能文字や、拓本作成時の石灰による意図的改ざん懸念などがあって、古代日朝間の歴史問題疑惑などのことも、大変勉強になりました。
今後も高麗郡建郡1300年記念事業において、高麗浪漫学会などで歴史勉強会などが企画されているので、参考にしたい項目でした。
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