(畠山重忠の館跡・菅谷館にある、県立博物館)
県立嵐山史跡の博物館で開講している、平成21年度歴史講座を聴講することになった。全6回で、源範頼と大串次郎、岡部六弥太と棒沢六郎成清、源頼朝、秩父平氏高坂氏、河越重頼など、当地にゆかりの武将とその遺跡についての講演会である。
初回の今日は「畠山重忠とその遺跡」ということで、講師は博物館の学芸員・若松良一氏。
畠山氏は、坂東八平氏の一つである秩父氏の一族で、武蔵国男衾郡畠山郷を領し、東国武士として源氏の家人であったが、重忠の父の代に平家に使えていた。このため頼朝挙兵の時の重忠は、源氏と戦っていたが治承4年(1180)先祖の源氏の白旗を持って頼朝に帰伏した。(畠山重忠像)
その後は北条時政の娘を妻に迎え、鎌倉幕府の有力御家人として活躍した。そして、鎌倉幕府、北条執権、比企氏の滅亡、足利幕府へと権力と時代が移っていくのであります。
今日の講座は、秩父平氏・秩父牧、丹党等秩父・比企を中心とした遺跡とゆかりの人々の説明であった。
講演会の前に川越市教育委員会の発掘現場を見学してきました。
川越市下広谷では、戦国初期の「大堀山館跡」の発掘調査(第4次)が行われていたのでした。
川越市と坂戸市の境にあって、開発されていない館跡は現在三の郭の発掘中でした。
平成16年県指定史跡となった「大堀館跡」は、一辺約200m、三重の堀と土塁で囲まれた方形で、この種の館としては県内でも最大級のものであります。周辺には中世の鎌倉街道が走り、さらに時代だがさかのぼると東山道・武蔵路も通っていた交通の要所でもありました。
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