今回は市内の北東、愛宕神社~入間基地(旧ジョンソン基地)周辺です。
〔愛宕神社と愛宕公園〕
(いるま・愛宕神社)
「新田義興首塚と松」
神社の解説によると「新田義貞の子、義興は父の死後(正平13年)鎌倉の足利幕府により13人の従者と共に打ちとらわれた。入間川陣屋で首実検されたのち、愛宕神社に葬られた(首塚)として、2本の松が根付き首塚の松といわれた。」その後2代目の松が植えられたが現在はその切り株しか残っていない。
(愛宕神社の首塚、左現在・右の写真には3年前の2代目の松が残っていた)
〔十三塚と碑〕
碑にある解説版によると、新田義興と従者(十三人)が多摩川下流・矢口の渡しで討取られ、入間川にあった関東管領足利基氏の陣に運ばれ首実検された。主従の首は豊岡愛宕の森周辺に葬られ、怨念をおそれて愛宕神社に葬られたと伝えられている。
(愛宕神社13塚碑)
現在でも多摩川矢口の渡しの「新田神社」と「愛宕神社」では、新田義興を祭神として祀りその怨霊を納めている。
愛宕神社と並んで市民会館の裏手に愛宕公園があり、カモの家族が泳いでいました。
(愛宕公園の池)
〔入間基地いるまきち(航空自衛隊・旧ジョンソン基地)
入間基地は、埼玉県狭山市・入間市域にまたがる航空自衛隊の基地。 航空自衛隊における4個航空方面隊のひとつであり、南東北・関東・中部・近畿地域の防空を担当する中部航空方面隊司令部が置かれている主要基地であり、 飛行隊、航空救難団司令部、飛行点検隊、ペトリオット防空システムを備えた第1高射群等、様々な部隊が配備されている.(HPより抜粋)
(航空自衛隊入間基地正面)
修武台記念館の建物は、もと陸軍航空士官学校の学校校舎で敗戦後は米軍(ジョンソン基地)の司令部として使用されていたという。返還後は航空自衛隊の資料館となっている。
(修武台記念館)
昭和16年士官学校の卒業式に行幸された天皇が修武台と命名された記念碑は、敗戦後倒され放置されていたが昭和30年に再建されたそうです。
(修武台碑)
(入間市側から見た入間基地)
(狭山市側から見た入間基地、基地の9割は狭山市側にあります)
(入間市のジョンソンタウン・旧ジョンソン基地の住宅が改修され、シャレた飲食店街となっている)
思えば善さんが子供のころ(中学生)、一帯は今の横田基地同様、アメリカの軍人さんであふれていました。
5月の青空の下、かなり広いので周辺だけ回るのにも、かなりの運動になり日に焼けましたが、早く新型コロナウイルス感染が収まる日を待つばかりの毎日です。
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