直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

夏休みの宿題

2007年08月31日 | Weblog
 子供なら今日で夏休みが終わるから宿題をやってなかったら大変な一日である。
 さて、大人はどうであるか。住まい情報センターとのタイアップ事業「からほりと落語」の方はチラシとポスターが出来上がってきたようである。「可能性のまち上町台地」は昨日チラシの原稿チェックが終わった。大阪市立中央図書館の企画展示「城南地区の再発見」は本日搬入。9月9日の生玉の講演会の準備は概ね完了。明日は白鴉の合評会であるがすべての作品を既に読み終えている。そういう意味においては準備万端で宿題はすべて終えているように思える。
 しかしながら何か一番大切なやるべきこと、解決すべき課題について何もできていないのではないかと思い悩む日々である。いささか心と身体の均衡が保ておれない状況。今朝からはじっとしていると吐き気を催す。酒は一滴も飲んでいない、既に朝から三度吐いて胃の中は空っぽ。

城南地域の再発見

2007年08月30日 | Weblog
 西長堀の大阪市立中央図書館での企画展示「城南地域の再発見」が9月1日より13日までの予定で一階のロビーで実施される。わが記念館も展示をする。明日が搬入日であるが準備はまだ途上である。
 今回の展示には真田山陸軍墓地とかオダサク倶楽部であるとか様々な団体が展示することになっている。城南地区とは大阪城の南側という意味あい、二の丸、三の丸があったところ。実はあまりこの城南と言う言葉はあまり一般化していないが、OMP氏は広めたいようである。

変貌著しい安堂寺町

2007年08月29日 | Weblog
記念館がある空堀地域にもひたひたとまたもマンション開発の足音が聞こえて来る今日この頃であるが、直木三十五が生まれたお隣の安堂寺町はつい二、三年前までは木造の古い長屋や町屋が空堀と同様に残っていたのであるがものの見事に立替えられてマンションに変貌を遂げている。直木の生家は谷町筋の拡幅工事で明治時代になくなったが、その後移り住んだ三十七番屋敷はまだ奇跡的に存在する。このままでは、いずれここも消滅してしまうのであろうか。都市とは常に変貌しその機能を変換しつづける有機体のようであるとは都市論的には理解できるものの、文学的には寂しさひとしおである。

できることできないこと

2007年08月24日 | Weblog
 当然ながら人間はできることとできないことがある。「可能性のまち上町台地」についていうなら元々の企画、出演者の依頼、報道関係の取材依頼、補助金の申請、そして当日の進行と自分自身の講話などはなんとか私自身で対応が可能であるが、残念ながら広報用のチラシのデザイン制作と実施後の実施報告書の編集や定期刊行の友の会の会報編集というものについては不得意で不案内なので誰かに助けていただかねばならない。
 ここができれば自衛隊並の自己完結であるが、これは果たして運動体としての記念館としてはあっていいことかはいささか疑問である。足らない部分の補完にこそ運動の広がりを感じるというのは言い過ぎであろうか。

大阪市立すまい情報センターのタイアップイベント

2007年08月23日 | Weblog
 すまい情報センターのTさんからご連絡をいただき、10月26日開催の「からほりと落語」のポスターとチラシの案ができたのでチェックしてほしいとのこと。今回は直木賞作家の藤本義一さんと演芸ジャーナリストのやまだりよ子さんを迎えてのイベントである。
作家を記念館に招いてやるイベントはこれが最初である。記念すべき第1回が記念館の呼びかけ人である藤本さんであることは何よりも喜ばしい。19時からの開催であるが、記念館に人が入りきれないくらいに集めてみたいものである。
 

8月度運営委員会

2007年08月21日 | Weblog
 昨日は月例の運営委員会であった。9月15日に「上方歌舞伎と中寺町」での講師をお願いしている河内厚郎さん、直木倶楽部会員第1号のMさんを加えて打ち合わせをする。
 9月15日の集合場所やコースを確認する。河内さんのご提案により集合場所は国立文楽劇場の1階エントランスホールと言うことに変更する。常国寺、圓妙寺、正法寺、薬王寺などをまわることにする。話のなかで瓦屋橋の西詰めに文楽や歌舞伎になった「お染久松」のモデルになった油屋があって、落語「吉野狐」でうどん屋の木谷安兵衛が時計屋の若旦那島三郎と出会い身投げを止めるのがこの瓦屋橋なんで、ここは落語と芝居との融合地点だという話題になった。河内さんも落語と芝居の接点には興味があるそうで大いに話が盛り上げる。ついでながら世界遺産登録の話になる。ユネスコの世界遺産は1000で登録が終わるらしくあと150くらいしか残りの椅子がない状態で、河内さんは「大阪城」「難波の宮」「四天王寺」「住吉大社」を結ぶ4点セットで大阪に世界遺産をと考えているらしい。それにはそこにまつわる文化が不可欠ということ。いよいよ直木三十五記念館の出番も巡ってくるのではないか。

「アサッテの人」読み終える

2007年08月20日 | Weblog
 今回の芥川賞受賞作「アサッテの人」を読み終える。どうも私の理解力がないのであろうか石原慎太郎と同じ感想であった。確かに蛇足が多いのと、不必要に入り組んだいや悪く言えば持って回った技法に溺れた作品ではないか。これが言葉に対する挑戦なんであろうか。だったら高橋源一郎の「さよならギャングたち」に芥川賞をやったらよかったし、村上春樹の「風の歌を聴け」などは確か候補にもあがらなかった気がするが、これも充分に芥川賞であったのではないか、例えTシャツの絵が描いてあったとしても。
 ただ共感する部分もないわけではない。吃音と苦悶する叔父さんの姿と世界との関りはこの小説の大きな主題であるが、この部分を書き示したいという情熱は理解する。それであるなるなら表現の技法についてはもう一度再考していただきたかった。本当にこのようにしか纏め上げれないのであれば諏訪氏の作家としての可能性を疑う。凡庸にならずにこの主題と取組んでなお表現の方法を変えても書けたのではないだろうか。まさに石原慎太郎のこの作家の次回作こそが真の実力の見せ所であると思う。

お盆の間のこと

2007年08月17日 | Weblog
 記念館がお盆休みに入る前に郵便物を受け取りにいく。直木の著作年表を作成されている西村様から最新の著作年表を送っていただいていた。礼状を書かねばと思いつつ、そういえばTBSの番組でつかってフリップを植村鞆音さんから送っていただいてまだお礼状書いてないことも思い出す。
 直木三十五全集から「大阪物語」が入っている第6集を持ってかえって読むことにする。生玉の講演の材料探しのためであったが、さすがに直木の筆致はすばらしく冒頭の「どうも人間というものは、自分の愛人の事を知ろうとする程、熱心に自分の市、町について知ろうとはしない。」という名文に打ちのめされた。植村家が生玉の氏子であることの裏もとれた。これで例祭の講演はうまくいきそうである。
 文藝春秋の最新号を買う。「アサッテの人」を読むことと、芥川賞の選評を読むことが目的、相変わらす石原慎太郎の選評は笑う。直木賞の渡辺淳一と同じくらい笑える。

上町台地をストラトフォードアポンエイボンに

2007年08月10日 | Weblog
 何を言い出すのかとお思いの方もいるのではないかと考える。ストラトフォードアポンエイボンはイギリス南部の古い町であるが、かのシェークスピアの生誕地として知られ毎年多くの観光客が古いきれいな町並とシェ―クスピアを目指して世界から訪れる。
 翻って大阪の上町台地、井原西鶴、近松門左衛門にはじまり、多くの文学者の所縁の場所である。我が直木三十五記念館もそんな上町台地の文学の観光スポットである。西鶴、近松はそれぞれ上町台地に墓がある。直木三十五、織田作之助生誕の地もある。文学碑も点在するし、見所も結構ある。問題をそれを活かすという姿勢ではないかと思う。
 漠然とそれがただ存在するだけでは駄目ではないか、誰かが声高に言うべきではないか。「上町台地をストラトフォードアポンエイボンに」

紙魚ならぬダニ

2007年08月09日 | Weblog
 引越しから一年以上が経過するが、全く片付かない我が家である。特に難儀するのが溢れかえるばかりで増殖の一途をたどる蔵書である。ぐずぐずしていても仕方ないので本棚を買い足して整理をすることにする。
 ほこりにまみれた本を整理して本棚に納めていく。まあどうでもいい本ばかりではあるがなかなか捨てることもできないで溜め込んだ量は大概である。へとへとになりながら休憩のつもりで床にへたりこんで気がつけば寝ていた。二時近くになって気がついてベットに移動して眠る。朝に露出している手足が痒くて眼が醒めてみると虫に噛まれたような小さなプツプツが多数ある。
 どうやら本に寄生していたダニに噛まれたようである。本を溜め込んで紙魚がでるくらいであると自らを自嘲して「紙魚」なんぞと名乗っている罰があたったみたいだ。ダニアースをたいて出勤する。