直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

「城塞」を読み終える

2006年09月28日 | Weblog
「まちの学校」のことは何度もこのブログで触れてきたが、私が担当している以外の部分で歴史プログラムの中の「小説『城塞』を大河ドラマにする会」にパネラーで参加する。関が原以降の豊臣家の滅亡を描いた司馬遼太郎の大河小説をネタに勝手に配役を考えようというのが趣旨である。
 元々大阪人には真田左衛門佐幸村や木村長門守重成や後藤又兵衛は人気のある。四天王寺の大師会で古道具屋の紙くずの中のベッタンにも武田信玄や織田信長といった武将に混じって木村重成と後藤又兵衛を見つけたことがあった。昔の子供にも親しみ深いのであったと思う。前のブログでも書いたが司馬遼太郎の家康嫌いと独特の歴史観がこの小説の縦糸であるように思うが、大野修理治長については直木三十五の実弟で歴史学者の植村清二氏の見解によるとこの小説に書かれているより、もっと言うなら風説よりも武士らしい武士であったそうである。

中之島に思いを馳せる

2006年09月21日 | Weblog
 昨日、我が友人にして記念館の運営委員でもあるOMP氏と中之島のことについてメールの遣り取りをしていた。OMP氏は以前から大阪市が建設計画している「舞台芸術総合センター」の中之島への建設誘致には異論を唱えている。
 中之島での計画は美術品の高額購入で批判が多い近代美術館と建物を共有するというものである。氏は演劇や舞台芸術との地縁の薄い中之島に「舞台芸術総合センター」に疑問を持っている。確かに土地にまつわるいわく因縁や歴史を無視した開発は大概はうまくいかない。かつてミナミのグランドゼロとでもいうべき千日前デパートの跡に「プランタンなんば」が出来たとき、私はそんなもの作っても流行らないと直感的に思った。その昔、刑場であって、なおかつ悲惨な火災で多くの人が死んだ場所なので神社とか教会といった宗教施設を誘致するのが正しいと思った。
 余談はさておきOMP氏と私の意見の一致するところは中之島は美術館博物館の集積を推進すべきで、芸能的なものはそぐわない。現在も東洋陶器美術館、国立国際美術館、大阪市立科学館があり、かつては大阪府立現代美術センターもあった。近代美術館は中之島にあるべき事情は理解できるので、単独でも計画を推進すべきである。
 私はもう一歩進んで「知」の集積をするための施設を誘致すべしと思う。できれば郊外の大学のサテライト教室をどんどん中之島の中に誘致するといい。社会人にオープンカレッジとして利用させたり、社会人研究者の育成の場にしていくのがいい。中之島図書館も中央図書館の役割は終えているのであるから、資料展示を主にしたものに変更していくべきであるし、ここはかつて直木三十五が弁当を持って通い詰め読書に励んだ場所でもあるのだから。

大阪は果たして文化を育てられるか

2006年09月15日 | Weblog
 遅まきながら三島佑一著「谷崎潤一郎と大阪」を購入して読み始める。10月28日(土)に三島先生にお越しいただいき、オダサク倶楽部の井村氏と小生の三人で大阪の近代文学についての鼎談をする。谷崎潤一郎×織田作之助×直木三十五という趣である。もっとも小生が一番インチキ臭く他のお二人がちゃんとした研究者である。
 掲題の著書の冒頭で三島先生は谷崎の『私の見た大阪及び大阪人』を引用されているが、長い時間を経ても大阪の経済・商業を重視して文化を軽視する風潮、もっといえば中身のない都市に成り下がっていることに変わりはないように痛感した。この状況は谷崎の言葉を借りれば単に大阪においての文化的な損失ではなく、日本の大きな文化損失であるのだろう。表面上の繁栄のみを追求するのではなく名実ともに大大阪の復権を望むのであれば大阪の経済を支える経済人の皆様は利益の幾ばくか、もしくは税金という名の下に顔の見えない富の配分に消えるお金を大阪の文化を育てるために使う気概がないものかと思う。

WEB2.0というもの

2006年09月14日 | Weblog
 最近「WEB2.0」という言葉をよく目にする。もうインターネットの時代は終わったといわれたがどっこいインターネットは生きているということのようだ。 
 東洋経済に書かれていたその内容をざっと見ると我が記念館がなんとか運営できていることもこの「WEB2.0」と関係がまんざらないわけでもない。こうやって無料のブログを利用して情報を発信したり、「日本の古本屋」や「アマゾン」で本を入手したりできるのも「WEB2.0」の恩恵といことなのかも知れない。
 リアル世界での弱者にとっては今のインターネットを取り巻く状況は望ましいともいえるのであろう。
 確かに時間的余裕があったり、参照する文献が容易く手に入る状況にある学芸員の方にとっては訳のわからないネット世界で何かを調べるということの利便性や恩恵、あるいは取り巻く環境の変化などは実感できないかも知れない。

久しぶりの直木倶楽部企画運営委員会

2006年09月08日 | Weblog
 昨夕、1月以来開催していなかった直木倶楽部の企画運営委員会を開催する。この間の活動についての報告をする。改めて整理すると結構盛りだくさんの内容をこなしているが、へろへろぶりも露になるような内容である。自ら反省する次第である。そんな中でグッドニュースも多い。
 ほぼ図六波羅さんにまかせっきりになっている記念館yグッズについてもタッグ作りをすすめていただきいよいよコンペで大賞になった「コーナス作業所」の風呂敷包みクッキーが近日中には販売される目処が立ってきた。まだまだ課題は山積みであるが暗いばかりではないということか。
 加えて要望が多いので直木倶楽部のメルマガというかメーリングリストを作ることになった。こちらは主に行事とかの関係をお知らせすることを主にしていくがご希望の方はメールアドレスを教えていただければリストに追加するので気軽に申し出ていただきたい。
 それにつけても頭が痛いのは金のことこれだけは妙案はないようだ。

9月の理事会

2006年09月05日 | Weblog
 昨日はからほり倶楽部の9月度の理事会であった。いよいよ「まちの学校」シリーズがスタートする1ヶ月前になったので昨日は理事および関係者勢ぞろいであった。もっともこれが普通であって、通常月の状態が異常なのだ。もう一度全体像を確認しながらそれぞれの予算について検討を重ねる。
 今回記念館で担当している2つのプログラムのうち「ダイチの上の文学~下寺町・からほり・谷町」は午前中に散策をパッケージしているので歴史プログラムの「まぼろしの大阪城南総構堀跡を訪ねて」とあわせてJR西日本のふれあいハイキングに取り上げていただきJRの各駅にパンフが既に置かれている。そういう意味で「まちの学校」はスタートしている。
 今回のミーティングで「ダイチの裾の文学」のパネルディスカッションの前哨戦でコリアタウンをめぐりアートツーリズムとして音図鑑シリーズを拡大することも決定。いよいよおもしろくなる秋の一大イベントである。
 今回は大阪観光コンベンション協会も協賛していただき、JR西日本もバックアップしてくれている。特にジパング倶楽部ではこの秋に大阪を訪れる企画で直木三十五記念館も紹介してくれている。
http://www.zipangu-club.com/tokusyu/f01.html

「萌」のテナント会

2006年09月04日 | Weblog
 ほぼ1年ぶりに土曜日に萌のテナント会に出席する。通常月例のテナント会は別の運営委員が出席してもらっている。今回は10月に開催時期をずらした萌の誕生祭についてである。萌もテナントの入れ替わりがあったりして一巡した形でどうにか落ち着いてきている。記念館の運営も難しいがテナントの経営もままならないようである。
 もっと共存共栄ができると相乗効果を生むのである。今回の誕生祭のチラシも大正昭和の挿絵の雰囲気である。なかなかいい雰囲気ではある。
 以前に『上町台地からまちを考える会』のシンポジウムで多治見の公募で校長先生になられた山田先生が「スミソニアン博物館は入場料は無料なのに運営上大変潤っているのはミュージアムショップのお土産の売り上げが大変なものである。」ということを根拠に直木三十五記念館もミュージアムショップで経済的にまわるように検討してみるべきだと助言いただいた。まぎれもなく「萌」記念館を中心にした複合施設であるから、たとえば飲食の部分は店舗の方々が請け負っていただくカタチである。

私の立場

2006年09月01日 | Weblog
 設立準備委員会のスタートから事務局長という立場でお世話させていただき、グランドオープンを機会にそのまま記念館の事務局長ということで今日まできている。
 会社勤めをしながらであるので十分なこともできないことが多い。なぜか記念館というと館長は誰であるかということを尋ねられることもしばしば。カタチに囚われないといことを本分とすると言っているものの中々難しい。
 正直なところ研究主幹とかいう部分であるほうがいくらか気分的には楽であるように思うがそんな悠長なことは許されないと考える。結論的にはどんな肩書きであろうともすることに変わりはないということである。