直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

今年もやります大大阪忘年会

2007年11月30日 | Weblog
 12月20日(木)に恒例の記念館の忘年会を行います。参加は自由というか記念館の運営資金稼ぎなんで是非参加いただきたい。
 今回の忘年会のタイトルは「可能性のまち大阪 復活の宴」である。まあなんと大層な題名をつけたもんだと自分で自分を感心する。
 これには悲喜こもごもの思いがある。大阪はかつては「東洋のマンチェスター」と呼ばれ、「天下の台所」と称された。現在のヘッジファンドなどといわれる金融工学を駆使した金融派生商品の元は堂島の米相場での先物市場である。日本中あるいは世界から大阪を目指してチャンスを可能性を求めてやって来たのである。しかしながら現在の大阪は衰退の一途である。先ほど行われた大阪市長選挙でも最大の争点は大阪の復活であった。
 
 今年一年「可能性」という言葉で記念館は活動をしてきた。その締めくくりにはやはり可能性を語りあうことではないか。市長選挙に挑戦し敗れた橋爪紳也さんをゲストに迎えて、復活の盃を一献傾けていこうではないか。

自分の根っこ

2007年11月27日 | Weblog
 本家の法事があったので、12年ぶりに福井に出かけた。平成の大合併で越前町となっているが、本家があるのは昔でいうと福井県丹生郡織田町である。代々建築土木業を生業としており、当主は茂左衛門を名乗っている。なんせ集落には名字は数種類しかなく、大阪では変わった名前で既製品で判子を手に入れることも困難な私の名字も織田では普通の名前ということなのだ。
 それで親戚は住まいをしている場所でお互いを言うようで、本家は「おもや」と言われているし、分家は「でや」それも古い分家は「ふるでや」、私の曽祖父の一統は「おおさか」と呼ばれている。なんでも曽祖父は分家をしてなくて(つまり財産の生前贈与を受けてない)大阪に出てきて商売を始めたので正式には分家ではないそうである。曽祖父は越前が嫌でまず東京に出て餅屋の職人になったそうであるが、餅屋では芽が出ないと判断して、大阪に行き南区瓦屋町3丁目16番地で麻袋の商いを始めた。松屋町の豆菓子の包装資材を扱ってたわけである。今の高津神社の南西にあたる辺りに住まいしていたようである。昭和20年3月に空襲で焼け出されるまでそこに住まいした。父も伯母も叔父も金甌小学校に通っていたのである。


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月例の運営委員会

2007年11月21日 | Weblog
 11月度の運営委員会を開催した。事務局担当していただいているTさんが退職するのでKさんが代わりにに事務局業務を引き継いでくれる。
 先月イベントの報告とトヨタ財団への助成金応募の件を私から報告。刀のことはいい話であるが、滞納家賃が100万円に達する。いやはや危機そのものである。全くもって頭が痛い。いつもながら大大阪忘年会をやって御浄財を得ることで委員一同意見が一致する。政治家もびっくりの資金調達忘年会である。関係各位、無関係であるが興味がある方は参加されたし、開催日時は12月20日の夕方から、会場は現在調整中であるが、会費は一万円でお願いしたい。当日はゲストに橋爪紳也さんです。

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なんでこんなに大変なのか

2007年11月20日 | Weblog
 いつもながら財政の問題である。記念館は相も変わらず財政難である。大家が長屋ストックバンクネットワークでなければ、とうに追い出されているところなのである。根本的にビジネスモデルができてないのだろうか。
 上町台地マイルドHOPEゾーン協議会のまちづくり提案助成金は二年連続で40万円づつ戴いていたりしてるのにちっとも潤った実感はない。今度の日本刀の件にしても、嬉しくて小躍りしたい気分であるが、冷静に考えると刀なんで無造作に置くこともできず、陳列ケースを用意しないといけないなあと考えるとまたお金。
 嘆いてもしょうがないので、トヨタ財団の活動助成に応募する。なんとか応募用紙を埋めてみるものの、果たしてこんなので助成金200万円が得られるであろうか。自問自答の私である。これから大阪商工会議所などが実施しているおおさかCBアワードにも応募しようかと考える。どうにかならないものかとまた思案。


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大阪市長選挙 橋爪紳也さんのチャレンジに

2007年11月19日 | Weblog
 大阪市長選挙は大方の予想通り、民主党推薦のMBSナウのキャスターだった平松邦夫氏で決定した。私達が応援した橋爪紳也さんは健闘したが残念ながら落選となった。返す返すも惜しい人を落選させてしまった。ここで敗因の分析をしても仕方ない部分はあるが、やはり橋爪さんの訴えかけを市民の隅々まで浸透できなかったことが悔やまれる。
 今朝のニュースに出ている平松氏が「大阪をどないかせえへんかったらアカンという気持ちで市長になった」と言っているのを聞いてあきれた。これは橋爪さんの訴えていた言葉そのまま。なんと独創性のない物真似体質だ。行く末を心配しているのは私だけではないであろう。
 さてさて、我々ことに我らが直木三十五記念館を取り巻く状況はどうなるであろう。たとえば上町台地マイルドHOPEゾーン協議会はどうなるのだろう。
 そして橋爪さんの今後の活躍の場はどうなるのだろう。このままこの人を失う事は現代大阪にとって大きな損失である。橋爪紳也さんの果敢な挑戦を単なる一つの出来事で終わらせてしまうことは許されないことであろう。

びっくりする話

2007年11月16日 | Weblog
 今朝、事務局からメールが転送されてきた。なんと直木三十五が借金のカタに差し出した日本刀を持っているという齢100歳になるご婦人がいるとのこと。
 まさにお宝発見である。しかもそれを寄贈してもいいとのことである。記念館はじまって以来の出来事である。またひとつ大きな名物ができることになる。
 しかしながら、具体的にその刀が直木三十五が持っていて借金のカタに渡したという証文なりというものがない。まあ甥の植村さんの元にも脇差があっただけだというから、直木が何本か所有していた日本刀はこのように借金を払う代わりに人手に渡ったとしても不思議ではないと思う。ご婦人はかつて麹町に住んでいたというから木挽町にあった文藝春秋倶楽部の近くであるので、何か商売でもされていたなら売掛があるだろう。
 興味の尽きない話しである。

中之島中央公会堂

2007年11月15日 | Weblog
 直木三十五がまだ植村宗一を名乗っていた大正七年のこと、矢野橋村らと芸術運動をなぜか大阪で行っていた。その一環として中央公会堂に菊池寛、久米正雄、芥川龍之介、宇野浩二らを迎えて文化講演会を実施した。
 直木が大阪美術学校の設立に貢献したことは僅かに知られているが、この講演会をはじめとしていくつかの謎がある。私は証拠というか根拠となる事実を示せないが、どうやら鷲尾雨工の出す冬夏社の資金を流用していたのではないかと考えている。
 さてその中之島中央公会堂で昨日集まりがあって行ってきたが心配していたより多くの人が集まっていた。演出のくささはあったがそれなりに良かったのではないか。

市民というものの意味

2007年11月14日 | Weblog
 わが記念館も市民参加型ということを標榜しているが、一体のところ市民とはなんであろう。
 言葉の表す意味合いということを考えれば古代ギリシャの都市国家を形成してた人々が市民というものの本質ではないだろうか。つまりは直接民主主義の担い手ということ。判断を一旦誤れば後世の賢人さえも断罪し処刑しかねない危うさを持つ。「だから俺は多数決の有効性を信じない」と言った人もいたことを思い出す。
 しかしながら現在において「市民」はどこか無責任で無自覚な存在に成り下がっていないであろうか。我々の市民のチカラは実は一国の総理大臣すらメンタルヘルス不全に追い込んでしまうほどの存在である。我々は目覚める必要がある。覚醒せよ!立ち上がれ!とボブマリーのように叫びたい気分である。
 

梅田に行くのは久し振り

2007年11月13日 | Weblog
 仕事で久しく行ってないかった梅田へ行く。ウェスティン大阪に用事があったので北ヤードの下の地下道を通る。ここが大阪再開発の最後の砦なんであるが市長選挙でここをどうするかはあまり議論させれない。
 中途半端な時間で終わったのでマルビルのタワーレコードに寄る。トムラッシュの「消え去りし虹」(紙ジャケ仕様)。ニールラーセンの「ジャングルフィーバー」とジョーパスとエラフィッツジェラルドが二人でやってるCD計3枚を購入する。我ながらやっぱり音楽の趣味がいいなあと自画自賛する。
 後輩のウメちゃんがコモンズバー「シングルズ」でこの日は久し振りの店長なんで寄ってみることにする。
 まちアートの協力のお礼ということでタオルをもらい、しばしまちアートのことについて話をする。その中で「12月のライブの方はお客さん集まってますか?」と言われる。ああここでも心配されていると実感する。会場のセッティングを彼らが手伝ってくれると言ってくれているので、直木三十五記念館でやる大塚まさじさんのライブに、がんばって人集めしなければと思う。

何も終わったわけでないが

2007年11月12日 | Weblog
 ふと気がつくとブログの更新が11月に入ってから鈍っている。確かにまちあアートの時期を頂点に動いていたのは事実である。
 なによりも今度は12月15日に大塚まさじさんをお呼びしてライブがある。これはなんとしても成功させたい。とにかく多くの人に来場してもらわないことにはどうにもいかないことである。記念館の大きさから鑑みれば精々40人程度の許容範囲であるが、果たしてその人数が集まるかが大きな問題である。なんせこちらには経験のないことである。何度も大塚さんのライブは見ているがいつも結構な人数が入場いているように思うが、とにかく蓋をあけてみなければわからないなんていうのは冷や汗ものだkらブログを見られて参加しようかと思われる方はメールで申し込んでいただければと。
 まだまだ試練は続くよ。