直木三十五記念館の日々

直木賞にその名を残す直木三十五の記念館は市民参加型のミュージアム。運営の悪戦苦闘をストレートにお伝えします。

山盛りの24日

2008年02月22日 | Weblog
 毎年のことながら南国忌が24日に富岡の長昌寺である。当然のことながら参加しないわけにはいかないことである。実は24日には美章園温泉の見学会がある。これも行きたいのであるが、俄か銭湯ファンではしょうがないので、たまたま先週中を見せていただいたのであっさりと参加は諦める。
 それともう一つ諦めきれないものがある。フェスティバルホールでの忌野清志郎の完全復活ライヴである。これは正直すごく行きたかった。山本さんの癌と清志郎の癌は僕の中ではすごく大きく重なって思えた。「悪い予感」ではないが何か見ておかないといけないことのように思えた。これも次週京都での公演があるのでこちらに行くことで折り合いをつけることにする。

 そうそう、昨日「報道ステーション」で山本さんのこと取り上げていたなあ。偶然見たのだが早瀬さんやゆきさんがインタビューに答えていて、随分古い写真や一回目の選挙、薬害エイズのことなど僕が関わった頃の映像も映っていた。
 山本さんが昔、どこかの帰りに二人で酒を飲んで「僕がいなくなってからはじめて国会議員としての僕のありがたみがわかるんや」とぼやいていたことをふと思い出した。
 本人は自分がバッチを外した時にはじめて自分の値打ちを選挙区の人がわかるという意味で言ったのであるが、皮肉なことにこの言葉は今違うかたちで現実のものとなってしまった。

美章園温泉の顛末

2008年02月19日 | Weblog
 結論的に申し上げれば例の美章園温泉であるが、解体で姿を消す事が決定した。前出の建築家Uさんは話をしてみると銭湯文化を云々とおっしゃるが生活様式が大きく変化しているので単純にはいかないと考える。
 建物は残す、銭湯は続けるではますます困難な課題を積み上げるようなものである。所有者が賛同できる代替案を持って交渉にいくべきであると主張したのはR紙であるが、確かに数々の事例から考えての発言かと思う。しかしながら代替案をすぐに考え付くはずもないであろうし、ましてやUさんはなんもかもそのまま存続することを第一に考えておられる様子。
 かくしてなす術もなく解体当日を迎えたのである。前日に大阪市教育委員会の方が所有者に了解をとって実測に入ると聞いたのでこの機会でしか中を見ることは難しいと考え厚かましいながら同行させていただく。一階もさることながら閉鎖されていた二階も素晴らしい。加えてベランダや屋上まで含めて中々の建築物である。二階部分は充分にギャラリーや高級レストランにコンバージョン可能であるように思った。
 同時にこれだけの建物を個人で所有することの難しさも感じた。今後繰り返されるこの手の建物の解体や町並みの保存を目的にして公益信託を作ることはできないであろうか。個人の限界は多くの人の思いで乗り越えていけはしないであろうか。

またかと思う

2008年02月12日 | Weblog
 2月9日は大阪市立住まい情報センターでのタイアップ事業の報告会とシンポでパネラーという事で参加する。予め用意された設問に対してフリップで答えるという方式。ここはどうやったら目立つかにだけ重点をおいて言葉を選んで書く。こういうNPOとか市民団体ってサービス精神が足らないから、ちょっとだけいちびったことをするだけでウケるのであるが、一歩間違えはキワモノ扱いされる。まあ今回はぎりぎりのところであった。
 さて休み明けにメールチェックしていると建築士のUさんからメールでついに美章園温泉が解体工事に入るがなんとかしたいのでサポーター募集だという。そういえば9日の交流会でUさんの旦那のYさんが美章園温泉の話ししておられた。しかしまたもかと思う。練の隣の木造建築、大東市の平野屋新田会所となんでこうも解体するのかと思う。それと同時に反対するというか抵抗する人間の何たる無策なことか。
 資本主義社会においてのどう利害を調整していくかということは大変な課題である。その経済的な見地を持たずして持続発展可能な循環社会を構築はできない。常に先手先手で考えなければいつまでも同じ轍を踏むだけである。
 ここらで真剣に公益信託で木造建築物保存基金でも検討しなければならないのではないか。
 そういえば富岡の直木三十五の終の家も存続が危ぶまれている。どうだろう橋下知事、平松市長あの直木の家を買って上町台地のどこかに移築しないか。いい買い物だと思うが。

会報のミーティング

2008年02月07日 | Weblog
 昨日は直木倶楽部の第2号の会報の打ち合わせを行う。巻頭の文章とこの一年の出来事はまとめた部分はできているので、あとは「可能性のまち上町台地」とタイアップ事業の報告部分を仕上げるだけ。なんとか今月中には会員の皆様にお届けしたいと考える。
 ついでに中央区から依頼の「中央区史跡文化事典」の校正をする。大きくは間違っていないがなんか微妙にピントがずれているように思う。直しようがないのでちょっとだけしか筆を入れず。
 直木賞研究家の川口さんがPHPの文蔵という雑誌に少しだけ記念館のことを書いてくれている。ありがたい限りである。

大阪ブランド情報局

2008年02月04日 | Weblog
 何気なく「大阪ブランド情報局」のホームページを見ていたら「文学」の紹介でかなりの尺で直木三十五記念館が出ていた。確かにケーブルテレビが来て取材して帰った記憶はあるが、びっくりである。
 大阪の文学者と言うて「直木三十五」が普通にいや普通以上に扱われているのは記念館あってのことかと自画自賛したい気分である。
 是非ともこの映像データを拝借できないものかと思う。いよいよ記念館にどなたか大型の液晶かプラズマのテレビモニターを寄付いただけないかと思う。結構見ごたえある映像を御見せできるのではないかと思う。