寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

何も言わずにそばに居て <京都と東京>

2014年04月24日 | 日記

どうしてキミはこんな素晴らしい国を出たかったの?そしてよりによってインドへ来たいと思ったの?

 

 

東京駅を出発して新橋、浜松町のビル群を見ながら番長が思い切ったようにたずねた。「ん…なんだろうね、日本の自然は好きなんだけど幼い頃から違和感あったんだわ…なーんかしっくりハマらない感覚あってね。『人と違うこと』を受け入れない社会にいるのがしんどかったなあ。インドもフランスもそうだけど個々が違って当たり前という前提の社会があって、見せかけの愛想もなく勝手に生息させてくれるしね。大陸型なんだわ島民じゃなくて…」全く理解できない…番長が笑う。

 

 

 

いつか桜の季節に日本に連れていってあげるわ、という約束を果たした。4泊5日と弾丸スケジュールだったけど行ってよかった。ポロの試合でヨーロッパ、中南米、マレーシア、インドネシアあたりへは何度も渡航経験がある番長は、私に出会うまで日本という国のことは全く興味のカケラもなかったらしい。たかが、極東の小さな島国、程度で日本製の家電も車も全く憧れ感なくニュースもほぼスルーで支障なく生きてきた。

 

インド人が日本観光旅行するためにはビザ取得が必要。これ本当に超面倒で

  • 発券済みの航空券(ビザ申請以前に航空券を購入せよ、と)
  • 申請者の過去6ヶ月分の銀行ステートメント
  • 会社員なら給与証明&納税証明
  • 自営業なら会社登記証明から会社の過去6ヶ月分の銀行ステートメント&納税証明
  • スポンサーの招聘理由書
  • スポンサーの過去6ヶ月分の銀行ステートメント&納税証明
  • 旅程と宿泊先

 

欧米諸国でも同じビザ申請が必要なのだけど、他国には印僑が多く居住するし、親戚縁者友人を尋ねる理由もあれば情報があるし、申請が煩雑でも行こう、ということになる。日本観光は最近新聞広告など小型で掲載はされているけれど、そそられるネタもないし、どうも英語が通じないらしいし、寿司&刺身に食欲わかないし(ましてや牛を食うなんて)、物価がエラい高いらしいし、地震や津波のニュースも聞くし、と情報が乏しすぎる。

 

ともかくビザを無事取得して東京着。成田空港から都内へのバスの窓から見える景色に何の前知識もなく来た番長は呆然。ホテルにチェックインしてまず最初にウォシュレットの使い方を教える。日本のどこへ行ってもこれ式だし、間違ってボタン押すとエラいことになるからね、と。友人夫婦とミッドタウンで食事して六本木の街を歩く。

 

翌朝は、ホテルで朝食。「卵が美味すぎ…」そして部屋に戻って「ウォッシュレットが快適すぎ…」と出て来ない。

 

 

新幹線のホームで車内清掃のために整列する掃除員の姿に番長釘付け。「あの人たち誰もいないのにお辞儀してた…何故?」そして時間ピッタリに発車する(1分遅れても「お急ぎのところ…」と詫びるのよ)ことに驚愕。ほかに新幹線のスピードと無振動のスムーズ感、満席なのにシーンと静まりかえった車内、人々の服や持ち物がみな新品に見える…などなど素朴な反応。

 

京都に着いてホテルにチェックインして実家へ。両親が迎えてくれた。床暖房に番長まずビックリ。試してみる?と父の電子血圧計で血圧計り、父の「上148で下88やったら大丈夫や」という診断に「降圧剤飲んでるってお父さんに言って」「降圧剤飲んでこの数字やったら問題ありませんってこの人に言うたげて」妙な会話(笑)。

 

夕ご飯は、父の「小庭」祇園の料理屋を予約してもらい、さらにその後、宮川町のお茶屋さんでツケで飲み食い、という贅沢な夜。舞妓さんまで登場して番長…この価値分かったかなあ…分かんねえだろうなあ…

 

 

 

さて翌日は、清水寺と金閣寺には行っとくか、と思いきや「何で日本まで来て仏教寺院を見にいくわけ?」と番長。ま、確かに枝末分裂してたどりついた仏教だし、歴史なんぞに興味ないし、そもそもペルシャあたりから渡ってきた族の末裔の番長に気が進ままぬ、と言われたら無理矢理連れていくのも、と思い断念。

 

でも私が世界で一番好きな場所、上賀茂神社の「神さんのいる場所」に連れていった。

 

 

 

誰も居ない夕暮れの境内で枝垂桜を見上げて何も言わずに立っていた番長の姿が美しすぎて私はちょい涙が出そうになる。

 

神社に貼られていた賀茂競馬(かもくらべうま)のポスターにさすが馬主番長は釘付けに!これ見たい!

 

寺参りの代わりに…釣り具屋とデパートで買い物。合間に立ち寄ったイノダ本店で飲んだビールと肉厚!なハムサンドイッチを心底堪能した様子。

 

ここでも満席なのに、この静けさは何なんだ…と珍しく小さな声で囁く番長。

 

翌朝は、車でホテルから御所、母校、家業の商店を走って、また東京行きの新幹線に乗る。「これからボクに対しても、反論反抗せずに、ハイ、ハイ、ハイっと言ってよね日本人らしく、さ」

 

日本最後の一日は、曇りときどき雨の銀座をゆっくり歩き、買い物を少しして、開店したてのバーで飲み、食事をした。いつもなら周囲気にせず怒鳴り合いのひとつもある私たちも口論のひともなく静かで平和な時間だった。激情型の番長がやけに穏やかで静かだったのはもしかしたら日本に興味が湧かなかった、ということなのかなあ、と心配で聞いてみると…色々な国を旅したけどこんな国は初めてだった。戦争でこてんぱんに打ちのめされた小さな島国がどうしてこんな先進国に成長できたのか、ボクはただただ感動し敬服してた。

 

そしてどうしてキミがこんな国を出てインドへ来たいと思ったのか、そんな人生の選択があるんだろうか、と思ってね。でもその人生の選択がなければボクはキミに会う事がなかったんだけどね。

 

そんなことで二人の旅はひとつ終わる。そして未来へと向うのだ。

 

 


帰宅するとご飯ができてる幸せ <幸せ沸点の位置>

2014年04月15日 | 日記

インドに在住の日本人が集まるとそれぞれの日常生活の不具合がいつも話題になる。本当のところ皆結構真剣に困っているのだろうけど、時として「自慢話」にも聞こえ…。困っている人への慰めは、自分や身の回りのもっと悲惨な話を例にあげ「それに比べれば大したことないっすよ」とやる。やがて共にインドでエラい目に遭っている者同士の妙な連帯感が生まれるようだ。私は連帯感無いけれど…

 

そりゃ、インドに来てからさまざま不具合があったのだけど別にそれがここでの生活の「醍醐味」とも思わないし。ひたすら楽しく幸せに暮らしている。

 

しかし…幸せの沸点が低くなっている…のは確か。

 

てなことを友人たちとよく話す。毎日、公私ともども大小さまざま問題に直面するうちに他人や物事への期待度が低くなる…というか無くなってくる。心の筋肉が鍛えられていく、というのかな。できて当たり前、ではなくできなくて当たり前…という原点から出発すれば、ささやかなことでも拍手 

 

私が移り住んでたった3年数ヶ月の間にデリー周辺は本当に便利になった。都市インフラは勿論だけどビジネス上でも予定通りに事が運ぶようになった。幸せ何乗だろ。

 

2年数ヶ月、ウチで掃除、洗濯、買い物、請け負ってくれてたメイド、スジ坊、またの名を小僧が色々すったもんだで辞めることになり数週間前からネパール人女性を雇った。希望は住み込みで何人か面接をしたのだが今ひとつスペックがあわず(ちなみにそのうち1人は18歳と言ったがどこから見ても13−4歳くらいの頭に大きなリボン結んだ少女だった)結局、近所に住むその女性に決めた。前の小僧にもいいところが沢山あり、泊まっていく友人達に人気を博していたけど、ひとつ不満を言えば、キレイに玉葱のみじん切りはしてくれても料理ができないことにあった。ま、英語は不得意だったけど代わりにヒンディー語の練習にもなったので何となく意思疎通は図れていた。

 

ネパリの彼女は、英語は相当OK!で料理は「今ひとつですけど、ネパール料理なら…」ということで試しに夕飯をお願いした。

 

それがこれ!イエローダールとビンディー(オクラ)のドライカレーとチャパティ。美味しい!しかも明日のランチ分までたっぷりある!

 

 

ちなみに友人が雇った料理の腕が相当上級なネパール人メイドさんの夕飯メニュー。

 

 

色々あってもこんなメシが家で待ってるって幸せじゃないの…

 


記憶の中の1987年。インド初上陸の夜泊まった宿。

2014年04月13日 | 日記

インドへ来てからちぎれちぎれの記憶をつなぎあわせながら探している場所がある。1987年10月、今から27年前に初めてインドに上陸した時に泊まった宿のこと。

 

あの頃、25パイサ硬貨があった。チャイ一杯が確か都会で10パイサ。田舎で素焼きの小さなカップが2パイサくらいだった。今や都会で10から20ルピー。田舎で5ルピー~10ルピー。

 

デリー空港にパリ発中東のあちこち中継し、シリアのダマスカスで乗り換えて降り立った。ターミナルを出ると物乞いやら白タクの客引きの喧噪をぬってとりあえず料金交渉して黒&黄色のアンバサダーに乗り込んだ。インド経験者の当時のBFが「以前に泊まった場所に行こう」ということで最寄りであった「Ashoka Hotel」に向った。

 

着いてみると、当たり前のように合意した料金ではない破格に高い値段をふっかけられAshoka Hotelの正面玄関のボーイさんに助けてもらった。ふっかけられた、という値段は100ルピー。合意したのは確か40ルピーだったのではなかったかな。

ちょっと劣化しているのだけれど…当時は超一流のラグジュアリーホテルであった。

 

Ashoka Hotelから美しい街路樹のPanchsheel Margを歩いて数分。「宿」と言って着いた場所は、キャンプ場のような広い敷地にプレハブのバンガロー(物置小屋サイズ)がポツポツ並んでいてトタン扉に大きな南京錠がついていた。トイレ&シャワーは敷地の端の共同。女子用トイレというのがなかった記憶。道路に面した場所に半屋外の食堂があり、宿泊客も外部の人もそこには出入りができた。メニューはChoumein(焼きそば)やChop suey(あんかけ焼きそば)という外国中華メニューからトースト、オムレツというメニューがあったんだな…

 

さらに記憶があるのはそのキャンプ場の宿泊客は一般の旅行者(まして外国人などいない)でなく兵隊ぽい人たちを見たような…。

 

あれは一体何だったのか?どこだったのか?

 

初めてデリー中心、Ashoka Hotelのすぐそばにあるインド空軍の奥様たちが運営しているというSanthushti Shopping Complexというオアシスのような美しい場所に立ったときに記憶が甦ってきた。ここかもしれない!

 

この付近で育った番長に聞くと「キャンプ場があったかどうか分からないけれど軍系の人のための宿泊施設があってもおかしくない…しかしキミなんでゲストハウスとかに泊まらなかったの?」確かに…

 

今日、用事あって付近を通っていて「あ!ここ!」思わず声をあげた。

 

 

車を降りて近づいてみると、その場所はノルウェー大使館。建替え大工事中。ここが1987年当時にも大使館だったのかそのキャンプ場的宿舎だったのか…ちょっと調査してみることにする。


非有権者の静かな一日。

2014年04月10日 | 日記

世界最大のインド下院選挙は4月7日から始まったが、本日4月10日は、デリー&NCR(首都圏)の投票日。本日投票が実施されるのは他にケララ州、オディシャ州、マハラシュートラ州、チャティスガール州などあわせて有権者数は1億人。

 

会社も銀行もショッピングモールもほぼほぼ休業。近所の小さな店屋さんが空いている程度で朝ラッシュで込み合う道もシーン、公園もシーン、人が居ない!という不思議な光景。

 

昨日、会社では投票会場へ持っていくものを印ボスが帰りがけにいつになく小声で「えーっと、そいで何持ってけばいいんだっけ」と再確認。

 

日本と同様、投票会場は学校などが使用されるよう。ここは識字率は全国平均74%なので投票は記入式ではなくこんなプレートのボタン押し式。

 

 

候補者の名前の横に各党のシンボルがイラストで入っている。

 

 

主要政党のシンボル↑

 

そいで投票が終わると黒インキで指に印が入れられる。

 

 

「投票へ行こう!」促進キャンペーンは映画館でもコマーシャルが流れていたようで、レストランなんかでもこの投票済みの指を見せるとディスカウントあり、なんて店の広告も新聞に載っていた。

 

午後5時時点でデリーは64%という投票率。さてさてどうなるかな。


改修工事完了のフマユーン廟へ

2014年04月09日 | 日記

日本からのお客さまがあり、フマユーン廟へ久々に行く。6年の歳月を費やし、廟そのもの、付近の建物の補強と内部の朽ち落ちた石やタイルが20万人日をかけて昨年秋、修復工事が完了した。

 

 

フマユーンはムガル帝国第二代皇帝が不慮の事故で亡くなり、没14年後に王妃の命によって建てられたものでペルシャ出身の建築家によって設計されたとか。建物はその100年後に建てられたタージ・マハルのデザインにも大きく影響を与えた。インドに存在するムガル帝国廟の原型とも言われる霊廟庭園。

 

 

霊廟を囲む庭園(上記漢字『田』のような部分)はペルシャの4分法に基づいて設計された4分庭園。

 

この敷地には130人の家族や皇帝に仕えた人々の棺が点在する霊廟に安置されているのだが立派なのがBarber's Tomb、そう、理髪師の霊廟。

 

フマユーン廟の遺跡群の中に少し形式が違う8角系の庭園に囲まれた廟がある。これはイサ・カーンという(奇しくも)ムガル勢力と戦ったアフガン出身の貴族の墓。霊廟のデザインが異なるのは、フマユーン廟より10年ほど前に、ロディガーデンなどで見られるスール朝の様式を用いられて建てられたから…のよう。確かにロディガーデンに似ている…

 

 

 

 

デリーに来られたタージ・マハル往復日帰りするほど余裕のないスケジュールのお客さんにはジャーマ・マスジッドとセットで案内する場所。ここからMittal Tea→Mehar Chand Market→Lodhi Garden → Lodi Restaurantでお茶が定番ルート。