寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

それはダメでしょう。

2011年05月30日 | 日記

毎日色々なことがあまりに多く起こり、最近感覚が麻痺しているかも。たいていのことには驚かなくなった。時おり日本から訪れる人々が「エーっありえなーい」とビックリしている顔をみて「は?これ日常ですが何か?」つくづくインドズレし始めていることに気がつく。

チャンディガールでのこと・・・外は熱風が吹き荒れ40℃ははるかに越え涼みがてらに入った州立博物館の館内にはエアコンはなく、大きな扇風機が数カ所で回っていた。そしてハイライトの大型の絵画で立ち止まると・・・

 

この始末だ。

そして刑事のように張り込むこと数10分。・・戻ってきたな。二人組は、裸足で扇風機のある部屋へ行って涼んでいた様子。

で、隣接した自然歴史博物館。

こっちも変わらん。すっかりダレている。

何の展示セクションなのか確認しなかったのだが照明消して床で寝ているオッサンも・・。

恐竜の骨でも展示されているのかと思いきや全てが造り物。

柵はなくてもいいと思うよ。

ル・コルヴィジュが外観はデザインしてんだけどね・・ハハハ・・



結婚観、そして女子

2011年05月29日 | インド女性

毎週日曜日、新聞に繰り広げられるのが結婚相手紹介欄。欄というよりも10ページ仕立てのサプルメント。ぎしりと募集広告が並ぶ。

年代別、宗教別、カースト別(高い方)、職業(収入が高い方)、ステータス(NRI=海外在住/外国籍インド人、米国グリーンカード保持者)、その他・・バツ1、寡夫(婦)などページはカテゴリー別に分けられている。あえてカーストは問わず、という一文が太字で記された広告もあるが「当方、良家、教育程度高い」とあれば、カーストは問わずとも・・というところだ。

自由恋愛は無くはないが恋愛結婚に対してクラスが上に行くほどコンサバ。親が決め結婚式まで当事者がほとんど顔を合わせない、という昔ほどではないけれど、自由恋愛から結婚に発展するケースはまだ少数派であるようだ。友人サークル、学校、職場で恋に落ちて、というのはある話だが大概ソーシャルクラス(カースト)は近く、全く異なるのは珍しい。どうなるか、というとたいていは「勘当」沙汰。映画のネタになる(ハッピーエンドではない)ほど否定的だ。

オフィスでの一場面。ランチ後、23歳~48歳までの女子たちが結婚談議している・・・



どうやらこの中の1人が最近「出会い」があり、自由恋愛と恋愛結婚について、そこからそれぞれの結婚観について語り合っていた。

「ね、あなたは結婚で一番重視すべきは何だと思う?」いきなり私に発言の順番が回ってきた。

 「経済力でしょ。お金が一番重要だと(過去の失敗から)思うけど」

「賛成!!」と手を上げたのは23歳独身と48歳既婚者。そう?という顔をしているアラサーに「何を夢見ているのよ。経済力がないなんて不幸な結婚よ」と48歳。「欲しい物が買えないなんて嫌」と23歳。

インドも他の先進国と同様、女性の社会進出がめざましい。また教育程度が高い上流クラスに属する女性は、少ないながら(日本よりも割合は断然高い)トップマネージメントにも上りつめる。政治の世界でも女性議員は多数。結婚をして家庭に入るなどというのは昔話で出産を経て働く人は当たり前にいる。

ただ今現在独身女性(アラサー)の中で、会社で活躍し、評価を得て、経済力がつくうちに自己実現重視、旧型結婚観に疑問を持ち始め、婚期が遅れていくのではないかと思う。

 あたりまえだがそんなトレンドは出生率にも影響する。2010年から一年がかりで行われていた国勢調査で出生率の低下が報告された。一人っ子政策の中国とは違うからインド人人口はどんどん膨れ上がっているのだが、調査開始の何十年前から初めて前期より減少したのだとか。一つの原因はこの女子の就業率が挙げられていた。

国勢調査と言えばもう一つ女子の人口にまつわる不幸な事実が・・・。歪んだ人口比率。つまり男児1000人に対して女児914人(全国平均)。地域によっては800人余りという。表向きには禁止されているが生み分けされている。

男児は労働力として頼れるということと結婚に女性側が多額の持参金「Dowry」を準備する習慣がインドには昔からあり、娘を複数持つ家庭は破産するほど。破産で終わらずに持参金が少ない、ことが理由で家庭内暴力や殺人まで、まだこの2011年でも起こっているのだ。

自由恋愛、恋愛結婚にコンサバ、というインド人の貞操観念はどうなのか?と聞くと前出の48歳マダム曰く「上と下はモラルがかなり乱れている」コンサバな結婚の後、婚外交渉は案外ワイルドなのだそう。特にピラミッドの上先端部及び底辺においては「思いのほか」奔放な活動らしい、よ。

ちなみに上記は少数からのヒアリングがベースになっており、インド全土に当てはまることではないので誤解なきよう。


Sundar Nagarの骨董屋

2011年05月28日 | 日記

南デリーの閑静な地区にスンダルナガルという一角がある。ここにはミッタル・ティという日本人に大人気のお茶屋さんがある。そのついでにいつもふらふらと隣接する骨董屋をのぞいて帰る。

 

レプリカで“骨董風”なものも多いが・・・

何か可愛いんだな、こうやって並んでいると。

これは戸棚、ドアのノブ。陶器でできてる。

こんなランプも買いたいんだけど・・・停電とか電流が安定しないせいか(?)電球が非常に頻繁にバシっと小爆発してキレる。そのたびに電球変えるの面倒、というのが買えない理由なのだ。



革新的農業とフードマイル

2011年05月28日 | 日記

地球温暖化の影響による気候の変化を逆手にとった革新的な農業が始まっている、という記事が日経新聞にあたるThe Economin Timesの一面に出ていた。

インドはもともとお茶の国。しかし17世紀にアラブ人によりコーヒーの種子が南インドに持ち込まれ栽培が始まり、コーヒーが南インドで広く飲まれるようになった。

(“マドラスコーヒー”はある意味ブランドみたいなもの)

最大のコーヒー産地はいずれも南インドのカルナタカ州、ケララ州、タミルナドゥ州。ところが12年前からヒマラヤに近い北インドのヒマチャル・プラデシュ州である農業起業家が実験的栽培を始め、今や40000苗80軒の農家で栽培収穫するという産地になっているらしい。

そしてお茶の産地というとダージリン、アッサム、ニルギリ地方が有名だが、インド西海岸、ムンバイから南へ300キロほど離れたコールハプールという街の丘陵地帯での栽培が成功し、サトウキビの産地は一躍注目を集め始めた。

北西のラジャスターン州は乾燥砂漠地帯なのだがこの州の南、グジャラート州に近い高地アブ山ではリンゴ、アプリコット、プラム、モモなどの栽培に成功している。

この他、米、胡椒、バナナなどなどさまざまな場所で実験的試みが実を結んでいるらしい。

で、一方。

“輸入フルーツ、見た目がきれい、ベストセリング”という見出しの別の新聞記事(グルガオン版ページ)。私の居住するグルガオンというのは、新興商業・住宅地区。大型ショッピングモールが多く立ち並び「ニューファミリー」が住む。

中国、アフガニスタン、ニュージーランド、アメリカ、イタリア、南アフリカなどの輸入フルーツの売れ行きがよい、という。価格は、リンゴ(インド産キロ100ルピー=200円弱 vs NZ/中国産キロ300ルピー=600円弱)ブドウ、グアバいずれも何倍もする。味もルックスもこの値段に値するものらしい。

そんな記事を読みながら今日は、デリーで私が一番好きなお買い物場所、

   

INAマーケットという生鮮食料品から輸入食品、雑貨まで揃う昔ながらのマーケットへ出かけた。


バックパック旅行中の25年前=今みたいにスーパーマーケットがない時代は、こんな輸入食料品店で外国産のピーナッツバターを買ったっけ。


スパイス袋づめ。

 
いつも行く八百屋さん。野菜&果物の他に生麺(焼きそば用)も売っている。ちなみにアスパラはタイ産。

それで兄さんに聞いてみた。

「ね、このリンゴどこ産?」

「中国だよ」

「インド産のリンゴはないの?」

「ある訳ないだろ。夏だよ、インドは。」

 

市場の狭い通路で爺さんが売っていたベリー。ブルーベリーより実が堅く多分クランベリーではないかと思う。買っていたオッサンに聞いてみると飲み物を作ったりこのまま食べたり。「頭痛に効くんだ」そう。それにしても今すぐそこでこの爺さんが摘んで売りに来たみたい。フードマイルはこれが一番小さいんだろうな。


草木花の名前

2011年05月22日 | 日記

広いインドは、熱帯モンスーン気候、サバナ気候(ムンバイ、コルカタ)、熱帯夏期少雨気候、ステップ気候、砂漠気候(ラジャスターン州)、地中海性気候(カジュラホ)、温暖冬期少雨気候(デリー)、冷帯冬期少雨気候、ツンドラ気候の気候分布に分けられる。

同じ国内でも飛行機を降り立つと空港の前の広場にデリーでは見かけない草花を目にする。ハイビスカスやブーゲンビリアが咲き乱れる街ばかりではないのだ。また緑多いデリー中心の街路樹でおやっと思う花を目にする。昨日、展覧会の帰りに立ち寄った本屋さんで2冊の植物図鑑を購入。

 

分類名と俗名、それからそれらが見られる地域。Trees  of Delhiは、どこの公園のどのあたりに見られる、まで記載されている。ふむふむ・・

インドに来て見つけた草木花