1991年ラジブ・ガンジーが南インドタミルナドゥ州シュリペルンバッドールという町で選挙活動中に自爆テロにより暗殺された。犯人は、スリランカ反政府組織LTTEメンバー。
その暗殺犯のコアメンバーは一旦死刑判決を受けるのだが執行直前に赦免のための審査が認められる。それから時は流れ流れて、2014年2月18日、終身刑に減刑。減刑された理由は、赦免の嘆願審査に時間が(11年)かかりすぎたから…らしい。そして裁判所は、終身刑への減刑の決定と共にタミルナドゥ政府へその権限内で受刑者の釈放することを検討するよう命令した。それを受けて州政府は「釈放」を閣議決定した、というニュース速報(多分この理解で間違っていないと思う…)
ちょっと待った!
暗殺された時点でラジブ・ガンジーが既に首相の座にはいなかった、としても暗殺はいわば「インドの魂」への攻撃だ、シン首相は中央政府として釈放中止を最高裁に請願し、その審査を待ち…という現在位置。
この暗殺の背景は少しこみいった民族の歴史がある。
スリランカはイギリスから独立した当時から70%を占めるシンハラ人と20%弱のタミル人の間に常に抗争があった。タミル人、というのはその多くが英国植民地時代にお茶とゴムのプランテーションのためにタミルナドゥ州から連れてこられた人たちでスリランカの北(ジャフナ)から東海岸地域に多く居住していた。
が、しかし英国から独立後、多数派であるシンハラ人がその支配権を持ち、タミル人は公民権も選挙権も失い、果ては政府による反タミル人キャンペーンが始まる。そして民族浄化の名の下にスリランカ人民解放戦線が創設されタミル人殺戮が繰り返される。
この動きに対抗しタミル人社会にタミル分離独立を主張する武装集団ができ、暴動、テロ、暗殺など闘争が激化していくのである。
1987年4月、LTTEによるコロンボのセントラルバスターミナル爆破。この時、パリの日本食レストランで仕出し弁当のバイトで同僚のタミル系スリランカ人と朝刊を見て絶句した思い出がある。数ヶ月前、ここで私はバックパッカー姿でバスを待っていた…
インド(当時ラジブガンジー首相)は、スリランカ政府との和平交渉に乗り出しつつもタミル武装集団LTTE =Liberation Tigers of Tamil Eelamも支援する、という駆け引きをする。そして、隣国の和平の名のもとにインド平和維持軍を進駐させるがここらへんからLTTEとの関係が悪化していく。
その後、ラジブガンジーは一旦政府スキャンダルが主因で総選挙に破れるのだが次期選挙で復活を狙って選挙活動を展開する。もし彼が当選すればスリランカ政府を支援する、というような兆しがあったようだ。そんな中、武装集団から間接的に「身の危険」を予告されていたにもかかわらず、ガンジーはタミルナドゥ州へ遊説に出る。
そこで彼に、支持者を装ったテロリストの女性が近づく。彼女の胴体には爆薬が仕掛けられていた。彼女は、歓迎の花輪をガンジーにかけ、最敬礼の足に触れるお辞儀をして爆弾のスイッチを入れた。
暗殺は重大な犯罪ではあるのだが、タミルナドゥ州の「釈放」閣議決定にはタミル民族人権擁護のための犯罪行為だったというセンチメントが大きく影響していたのではないかとも思う。しかし…ほかの要素=実行犯は首謀者の計画にのっとり遂行した駒でしかなかった兵士であったことや赦免審査に11年と長い月日がかかったことやすでに23年間服役しているとはいえ…暗殺犯が自由の身になる国ってどうなんだろう。
当然だが他の暗殺犯、死刑判決の事例などを取り上げてTVで大討論会が展開中。勿論、そのほとんどはこの釈放の動きに断固反対の姿勢なのだが…この事件をベースに作られた映画「Madras Cafe」は非常に参考になった。
ボリウッドスター、ジョン・エイブリハムの代表作になるだろうと言われるほどすごい熱演。
この成り行きに最注目しつつ、インドの司法制度について少々お勉強中なのだ。