寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

集団

2016年03月31日 | 日記

インドの国技とも言えるクリケットのワールドカップ(T20方式)が3月8日からインド7都市のスタジアムで行われている。昨夜、準決勝で西インド諸島チームに敗れ、敗退が決まった。インド12億人総意気消沈。

 

この期間中に行われた試合で最も熱かったのはインド対宿敵パキスタン戦。それがグループ予選であっても消化試合であっても天下分け目の戦の如く人々は熱くなる。パキスタンに負ける、などあってはならないのである。

 

 

 

3月19日コルカタで行われた印パキ戦をカシミールの領有権をめぐり国境で抗争続くジャムー&カシミール州のジャムーの義母宅でTV観戦。インドの勝利が決まるやいなや町のあちこちで花火が上がり、バイカー達が狂ったようにインドの旗をかざして道路占拠して蛇行していた。

 

当夜インドのあちこちで見られた光景なのだけれど、単純に勝利の歓喜のレベルではなく、憎き敵を叩きのめした征服者とでもいうのか、興奮と陶酔はギリギリレベル。果てはところ構わず爆竹を投げ始めては歓声あげる狂気じみた若者集団があまりに不気味で動悸がして、笑って眺めている夫の腕をぐいっと引っ張って逃げ帰った。

 

 

いつまでも理解できないクリケットのルール

 

1週間ほど前、デリーの住宅街で子供相手に草クリケットをしていた医者が不注意から通行中のバイクに球(ゴム球)をあててしまい、言い争いの末、バイク二人組が激高。集落から集めてきた仲間15人と共に医者宅に押しかけ、クリケットのバット、鉄パイプで医者を集団で撲殺する事件があった。

 

案の定、というべきか。襲撃直前に危険を察知した被害者が警察に電話で助けを求めるも通話中で連絡とれず。未成年者4名を含む9人が今日までに逮捕されているがひと声で集結してたった一人の、しかも素手の人間に襲い掛かるという残虐な集団殺人事件に発展した。

 

まだ記憶に新しい2011年末のデリーでの集団婦女暴行致死事件。以降も数え切れない集団犯罪(特に女性を狙った)がここで起こっているのだがそれを見るにつれこの「集団」に対する警戒心がますます強くなってくる。

 

こんな集団犯罪の多くは、声の大きなリーダー格が周囲、同じ境遇にいる・判断力の弱い・心理的な影響を受けやすい人間たちに衝動と暴力性というものを感染させていくのだろうか。私見ではあるけれどここで見る犯罪の集団は、リーダー格に絶対服従の掟があるような手の集団ではなくて「皆でやれば怖くない」的な心理が動いているように思う。

 

私の日常生活でインド人の「各々が好き勝手」に困窮することが多々あり、意見をまとめるなんぞ至難の技なのだが、それはあくまでも自分には好き勝手を言う権利があると思い込んでいる社会の上層部であって、多くの集団犯罪のケースの加害者グループは、ほぼ底辺に近い、抑圧された、持たざる層でこの層の結束力は非常に高いように思う。

 

蓄積された抑圧への不満の矛先が、破裂のきっかけを作ったその目前の人間に全て向き、暴力がエスカレートするのか。そして加担する人数が増えるに従い、残虐な行為は何乗にも熱を帯び、加害者を陶酔させてしまうような気がする。そしてそこでもう一段集団の結束力が強まっていく。

 

低カーストの特別優遇枠をめぐるデリー郊外のデモから暴動に発展した2月の事件も相当凍った。農民層のお年寄りから若者たちまでのデモ行進とは別に罪のない周辺地域の商店&銀行を焼き討ちしていた暴徒たち。TVニュースに繰り返し流される彼らは時折笑みさえ浮かべて狂ったように暴れていた。

 

農民層が中心のデモ隊(The Economic Times)

 

暴徒の襲撃で焼き討ちにあったロータックの中心地(The Economic Times)

 

集団には細心の注意を図ろうと思う。


スタートからラストチャンス、という‥

2016年03月16日 | 日記

6月にヒンドゥー教式で婚礼儀式を行い、日印両国で正式な婚姻関係手続きも全て終わったのが9月。その後、色々な事情で日本にいる時間が長くなり、こりゃいかんとインド側に軸足起き始め新居に移ったのが年末。そしてやっと2月初め、54歳と63歳の新婚生活が始まった。

 

あちら3回目、こちら2.5回目の結婚という懲りない者同士というか、「いつかどこかに永遠の伴侶がいるかもしれない」とナイーブに夢見てきた同士、一言加えておくと過去の失敗は概ね相手側にあるとして自分は完璧だと思い込んでいる同士。

 

ここからはいつか笑話で終わると願いながら。

 

新婚一週間で口論、二週間目には会話せず。三週間目には、過去の反省から(ここは過去の失敗が生かされている)「別れるなら早めにしよう、無意味な婚姻期間は人生の無駄」という話合をするに至った。夫は他の場所でアパートを探し始めた。

 

互いに10年以上独身でいて、好き勝手に過ごしてきた。互いに帰る場所があって、行き来しているうちは良かったのだが、相手と妥協しながらスペースや時間を共有する、その「妥協」というのが気持ち悪い。こっちのルールでやる、いや私のルールでやる、何についても自分を主張する。

 

 

(俺は、インド料理にこだわらずパスタでも中華でもなんでも食べるとリベラルぶっていた人は、生活が始まった途端に毎晩インド飯でなくては嫌だ、と言い始め閉口。終いには、料理指導をしてくれるのだが、空腹時のイライラで炎上。)

 

薄々、気がついていたのだが、私と夫は相当性格が似ていて、(平和主義ではあるが、自分を負かそうと向かってくる相手には)闘争心が半端ない。

 

ただ、待てよ、と。

 

私たち一緒に暮らし始めてどのくらい経ってるんだっけ。3週間?何かあまりに早くないか?

 

あと一回だけ、トライしてみないか。次に喧嘩になったらその時はきっぱり別れよう、という停戦協議に至り、低空飛行ながら結婚生活が続いている。

 

私は義母に告げ口をした。「あんたたち、そんな年齢になってやっと見つけた相手なのになんてこと!私からそれとなく息子に話そうかしらね」「ダメダメ、お母さん、私は殺されるわ!」反則技とは重々承知。ただ、私が近々会いに行くのを義母は楽しみにしていたから「有事」にはそれも叶わなくなる、前回会ったのが今生の別れかも、しれない。まあ、自分陣営固めておきたい、という兵法(笑)。

ともかく、墜落しそうな夫婦生活の一方、2月のデリーは、”5月のパリ”の如く美しい。

引っ越したアパートの近くにアップダウンが楽しいランニングコース@野生公園を見つけて早朝から出かけたり、

 

ポロシーズンで夫が試合に出たり&他の試合を観戦したり、

 

馬の餌買いに郊外の市場に出かけたり。

 

在宅仕事は、室内よりもベランダに机設置して、瞬きする間に過ぎていく初夏を楽しんだ。

 

ちょっとした思いつきでインドコーヒー取材中。コーヒー党でない私は、飲めて1日2杯が限度。今日も仕事のついでに南インドコーヒーの消費の中心地チェンナイでコーヒー豆屋を訪ねてふーん、へえ、と話を聞く。少数派ではあるけど買ってきたコーヒーをそのまま飲むのではなく、違った種類のコーヒーをブレンドしてその家庭の味を作るのだとか。ガラムマサラのようにその家庭、その家庭で秘伝のブレンドがあるというのが非常に興味深かった。コーヒー研究話はまた追って。