寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

カルロス・サンタナと母。

2012年10月29日 | 日記

インドで昨年からはじまったフォーミュラ1(F1)レースの後夜祭としてカルロス・サンタナコンサート開催。

"待望の!"とは新聞記事で書かれている割にはインド的段取りで開催が発表されたのがわずか3週間前。

デリーの前に南のバンガロールでライブ開催という情報を聞いて飛行機に乗って行こうかしら、とも思っていたところ車で飛ばしていける距離で開催されるなら当然それ、と最悪はドタキャンも覚悟の上でチケット買った。ドタキャン?そう、昨年のMetalicaは開演数時間前にBryan Adamsも当日キャンセル、という恐ろしいインド、というよりデリー。何があっても驚かない。

コンサート会場は、F1サーキットから20キロと離れていないノイダの大学敷地内に野外ステージを組んで行われた。だけどチケットがそんな段取りで発売されていたし、宣伝も当然十分ではなかったし、どうやらチケットの売れ行きはサッパリだった様子。あろうことか当日ネットで20%オフになっていた。

会場には私の年代40代後半~50代のおじさんグループと10代-開催された大学の在校生が招待されたよう(うちの娘の世代)で20代~30代抜きの不思議な層の観客。1000人居たかな?という空き具合。大学生達は当然ながらサンタナについては全く無知であり、ビートが聞いてる音楽なら「シンバルの猿」のように踊り狂う衆なので(死ぬほど長くクドかった)前座バンドですでに発射状態。…おいおい。

シビレを半分切らしたところカルロス登場!!!!!!

1曲目演奏中にシンバルの猿たちの動きが止まっているので振り向くと一列になって口をポカーンと開けたまま呆然。こ、これは何だあああ!

そしてグングン盛り上がるのは私ら世代のおっちゃんグループ。目の前に居たハナ丸博士のような学者風のおじさんは体をよじってエアギター。チョーキングまでしちゃって大暴れ。

ベストアルバムのようなセトリ。私も踊りまくりの2時間。酔いしれる…まさにそんな夜だった。

私がサンタナの音楽に出会ったのは高校時代の1970年後半。

うちの母は、ほんとイカした音楽センスをしていて幼い頃から異常なほどホットな音楽を聞いて育った。例えばマンボ、例えばモータウンミュージック、例えばハワイアン…ソウル。ビートルズもイーグルスもバンマッコイもスティービーワンダーも確か母がレコードを買った。かと思うとモーツァルトのバイオリンコンチェルト。

「ちょっとママさんバレーの練習へ行ってくるわ」と行って夕方から出かけた母の行き先は何とアースウィンド&ファイヤーのコンサート。あれも1970年代のことだった。日曜日の夕方には大響音でマンボ・ファイブかけて「さあ、自由に体で表現しよう」踊り出す母と幼稚園児の私。ビートルズのヘイジュードの歌詞にカタカナふってほぼ強制的に歌わされた(当時小学生低学年)お陰で今も流れてくると歌詞が出て来る。

                             

情操教育なんて学術的なことを意図したとは思えない母の本能の教育。まあ、あえて言うならと遊び盛りが戦争中だったから、多分それを取り戻したかったのかも(が、そんなお母さんは周囲には居なかった)。

コンサートの最後にカルロスが「マービン・ゲイがWhat's going on で歌ったようにジョン・レノンがImagineで歌ったように人々が殺し合いをしない地球の平和を祈ろう。ピースだ。」母の口癖「戦争だけはあかん、絶対にあかん」…カルロスの言葉とシンクロして聞こえてきた。

それにしてもシビれた。





この季節を瞬間冷凍!

2012年10月27日 | 日記

50℃に手が届きそうな酷暑日があるからこそ、この季節のこの朝が本当にありがたく感じる。ってことでこのところ朝は少し足を伸ばして家から数キロ離れた公園までランニング。前にこの道すがら腹を減らした野良犬に飛びかかられそうになって以来、危険地域として避けていたのだけどラン友の「整備されてきました」情報で行き始めた。

  

写真で見ると美しいのだけど公園とテント生活者の居住区のボーダーがゆる~くなって走っているうちに野ブタやら野生の小僧に囲まれることもあり。

 

この公園、再生エネルギーパーク(RGREP-Rajiv Gandhi Renewalable Energy Centre) と言い学習センターが公園に設置されている。毎週日曜朝にはオーガニック野菜の屋台が立つ。売店には自家発電式電灯、不思議なエネルギー学習玩具がポツポツ並ぶ。

 

ちなみにガーデンカフェなども早朝から営業、というインドには珍しい場所。とはいえ、景色を後に下がって「ヒキ」でみるとインドのカオスがフレームに入るけど「ヨリ」だとグルガオンらしからぬ場所。

スポーツの秋、食欲の秋。暑くても涼しくても朝ご飯はきっちり食べてます。

ベストメニュはこれ...................................↑↑ガレット・コンプレ!

テラスの朝ご飯も気持ちいい季節。


リヤドロのインド戦略

2012年10月24日 | 日記

リヤドロ社Lladró。スペインの高級陶器ブランド・メーカー。食器ではなく陶器人形専門。『人生の喜びを描く』という創業者の創作理念に基づき作られてきた陶器人形はどれも美しい表情としなやかな線とヨーロッパ独特の繊細な色合いが特徴。

リヤドロサイトより

私なぞ、人生に余裕がない上に、数奇な運命で引越しを繰り返してきたから繊細な高級陶器には縁もない。ただ、このリヤドロのショーウインドウに何だかいつも引きつけられてしまう。

数年前、日本限定で売り出された雛人形は、何となくスペインの血が入ったモデル顔にも見える。

インドオリジナルは、やっぱり…これ

除災厄除・財運向上・智慧・学問の神。ガネーシャ。

踊るシヴァ神。ナタラージャ。なんかラテンな感じでリズミカルなんだよねえ。


たった24時間でできること。

2012年10月13日 | 旅行

効率追求型(笑)のシンガポール在住の香港人の友人が出張でデリーに到着。仕事が終わるタイミングでご主人が到着。二人は一歩先に車でデリーを出発して、アグラ、ファテプールシクリ、ジャイプールに到着して一日観光終了した時間に私はデリーからビョーンと50分飛行機でジャイプール到着。

デリー空港で久々に目撃した小型スーツケース紐縛り。妙に釘付けになってしまった。

アノーキで二人のお土産ショッピングに付き合いカフェでお茶。

夕飯は、ジャイプールのアンベール砦の敷地にある1135ADで。


「混んでるかもしれないから予約を!」と同僚に言われて到着するもその晩の客は私たち3人のみ。(雰囲気は素晴らしいけれど料理&サービスは期待を裏切られた感…)

   

翌朝は、旧市街地にあるバザールをてくてく散策。ああこの目が覚めるような色、色、色。

   

 

ランチは、1835年にジャイプールのマハラジャによって立てられ現在はタージグループのホテルとして営業されている美しい庭園のランバーグ・パレスホテルのレストラン。効率追求型もここではゆったりと優雅に時間を過ごす。

    

そして帰路。50分でひとっ飛びの距離を5時間余りかけて車でジャイプールからデリーへ向かう。つもる話は車中5時間ノンストップ。楽しかったあ。



少し秋ざんす。

2012年10月07日 | グルメ

10月に入って朝の気温が20℃ほどまで下がってきたとは言え、日中は日差しが鬼のように強く、今日も最高気温36℃と暑かった。用事あってデリーに出て、INAで野菜&果物買い出し。中国からの輸入ものではない、秋まっただ中のヒマラヤ麓で収穫されたリンゴ、柿、紫キャベツを買う。

柿、ザクロ、スイートライム

好物の柿!こっち(富有柿のような型)は今日明日に食べなさい、あっち(釣り鐘のような型)はよく熟させて柔らかくして食べなさいよ、とおじさんに教えてもらう。

昨日は、久々のパン教室でスイートポテト&カシューナッツ入りパン・ド・カンパーニュを焼く。(厳密に言うと先生に焼いてもらう…)これも私にとっては何故か秋の「季語」。

切り込みに失敗してしまったが…味よし。

ミルクに生姜一杯入れたマサラティーと一緒にいただく。もうビーサンの季節はいいから早くブーツの季節にならないかな。