寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

Because it is there...

2011年07月25日 | 日記

7月16日から24日まで仕事&休暇兼ねて日本帰国。

成田空港に午前7時に到着。到着するなり・・・荷物を二つに分け、スーツケースは宅急便で実家の京都へ送り出し、もうひとつの荷物=バックパックを背負って新宿経由で大月へ。

  

そして富士急に乗り換え富士吉田を目指す。電車で寝過ごさないように多少の緊張感を持ちつつも気がつくと大爆睡。目指すは、富士北麓公園。24時間リレーマラソンの会場。

トラックの向こうに見えるのが富士山。

元々、仕事周辺仲間で何となく誘い合ってできた駅伝チームで「遠征しよう!」という話になりチームリーダーのお世話でこのレースに初めて参加したのが3年前。単純に走るだけでなく自然、風景、それから会場でレース中行われるさまざまな催しもの、地元の名産物、テント村での和やかな時間、そして24時間レースのゴールの瞬間の興奮、感動。ともかく一度味わったらやめられない経験ゆえ、私は何だかんだ用事を作ってわざわざインドから参戦。

 

テント村には仲間の子供たち。勿論、ちびっこも選手として走った!

格別に美味しかったガリガリ君。

この夕暮れ空の美しさ・・・

花火が今年は立派だった!

 さあて何時頃だったかな?午前6時頃?

 午前8時を回る頃には日差しが強い。

24時間のゴールが近づくにつれ沿道にチームメンバーが並び応援の声もより一層大きくなる。 

子供たちも整列して走ってくる選手にハイタッチ。

そしてゴール!この瞬間!

 (撮影:「あしぱん」松島さん)

富士吉田へ向かう電車の中で「何故そうまでして行く?」と自分に問うてみる。登山家ジョージマロリーが「何故エベレストを目指す?」という問いに答えた「そこに山があるから Because it is there.」と同じ私も”Because it is there”。リレーマラソンの道ではなくそこに仲間と仲間と過ごす濃厚な24時間があるから。今年も大感動のゴールで24時間終了後は、近郊の温泉地へひと風呂あびる。体がいい感じにほぐれ、3日前からの睡眠不足でどーっと睡魔に襲われ電車に乗った途端に座席に沈み込む・・また新宿経由で実家京都へ向かう。


タンドリーマン

2011年07月12日 | 日記

ボス宅で噂のタンドリーマンを呼んでタンドリーチキンを食べよう、という企画。日本ではプロの料理人を呼んで材料を持ち込んで自宅のキッチンで料理をしてもらうというのがあるが、こちらはプロのタンドリー焼き師(と呼ぶのかどうか?)を自宅に呼んで本格的なタンドリーチキンを食べることができる。

普通はタンドリーマンがこのようなドラム缶で作った簡易窯を引きずってくるのだそうだが、ボスはその簡易窯を買い取ったらしい。

 

窯の中に見えるのはナン。

お味は見ての通り、食べる前に写真を撮るのを忘れてしまうほど美味しかった。タンドリー(ターメリック、パプリカなど使った赤い色)よりはあっさり味のティカ(ヨーグルトにマリネネイトしていて焼き上がりは塩焼きっぽく白い)でチキン、マッシュルーム、パニール(カッテージチーズ。固めの豆腐の舌触り)などなど。

次回は、食べる前にパシャっと撮ることを忘れないようにしなきゃ。


男の後ろ姿

2011年07月11日 | 日記

バンコクから戻ってカーッ、インドは暑いなあ、と思いきや、時折のドシャ降りで気温はスーッと下がり(と言っても30℃台)ランニングもさほど苦にならない気候のデリー。ドシャ振りと言えば・・雨水が道路に沸き返り、何をどうするつもりだったのか道路に掘られた穴は、やがて池のようになり、車が立ち往生している光景をよく目にする。「毎年モンスーンが来るのが分かっているのに学習能力のない政府の対応」と新聞が批判する通り。

 

バンコクから戻ってから、何だか色々な行事・用事があり出かけることが多かった一週間。

打ち合わせで出かけたグループ会社。

メディアエージェンシー。10室ほどある打ち合わせ部屋は全部いっぱい。いつも受付前のロビーにも人が溢れかえる。景気が抜群にいい会社。


某日系企業のインド現地法人設立パーティ。インド市場の優先順位がグングン上がる。


ほら、弁当屋も忙しい。


酒屋のオッチャンもお金握りしめたオッサン連中が馬券買うみたいに酒を買って行く。酒を買いにいったら(こういうドローカルな酒屋で女性が酒を買う姿はまず見ない)、おっちゃんが危ないからカウンターの中に入れ、と招いてくれた。


そして新しい運転手。6人目の運転手「オバマ(渾名。似ている。)」は、コルカタにいる8人の家族(母親、妻子3人、弟その妻子)の生活を両肩に背負い、デリーにやってきて働く32歳。父を亡くした17歳のときから一家を支えているのだそうだ。

まあ、そんなこんなで一週間。


7月1日の儀式<絆>

2011年07月05日 | 日記

日々の生活に追われていてすっかり大切な恒例イベントを失念していた。ジェーンの誕生日だ。平たく言うと彼女は前職での同僚でかつ人生の大先輩。でも「同僚」とか「大先輩」という名称にはとうてい当てはまらない大きな存在、ジェーンはジェーンなのだ。


ある時から我々の間では7月1日をQueen's Birthdayと名付けジェーンのご降臨を有志でお祝いする儀式。ジェーンという人物は、1960年~70年代にかけてNYでファッションモデル、その後ローマを拠点にイタリアのデザイナーのメゾンでスタイリストをしていた。そして名だたるファッション誌で名物ファッションエディターとして活躍。現在は、TVコマーシャル、映画のスタイリスト。アジア圏でファッションの世界で彼女を知らない人はまずいない。というかパリ、ミラノのデザイナー大御所で彼女を知らない人はいないと言っても過言ではない。

ともかく今年も元同僚たちの号令で急遽バンコクで誕生日パーティを催すことになった。出席者は台湾、香港、タイ、そして私がインドからかけつけ、誰に指示されるともなく全員が自然に役割を担う。スパ予約、ホテル手配、レストラン予約、車手配。そして私は酒係。

大好きなスコタイホテル

7月3日タイの総選挙でバンコクのレストラン&バーは二週間続きで週末は禁酒日Dry Day。事前にそれが分かっていたから私はデリー空港の免税店でシャンパンを購入して持ち込んだ。

夕食は、バンコクチームがアレンジした素敵なレストラン。酒は出せない、と分かっていながらもそこは超強引な我々とホスピタリティの国タイランド。美味しい料理は勿論のことワインもしっかり頂いて、真夜中まで過ごした。

 

ジェーンが「息子」と呼ぶFord。エル誌タイ版の編集長。

        

雑誌という世界、特に私たちが関わっていたファッション、ライフスタイル、カルチャー誌は、読者にある意味夢を与えるミッションがある。その現場は、想像を絶する汗、汗の体力勝負の作業。そして同時に非常に数字にシビアなビジネス。美しい服を来てパーティに明け暮れているように見えるのは雑誌側の見せ方で実はパーティに出かけてから会社に戻り、そこから仕事が再開。深夜作業は普通。

それよりもそんな一冊、一冊を作っていく作業の中で培われていくチームの中の絆は、恐らくどんな企業にもビジネスにもない深く強いものだと思う。そして、その世界に夢や希望を持って飛び込んでくる目をキラキラさせた若者たちと仕事をすることは、他の業種にない、大先輩たちをぞくぞくさせる素晴らしい経験。

ま、ということでジェーンは心から喜んでくれた。昔話に花を咲かせて大爆笑で始まり、それぞれが今日のこと、そしてこれからのこと、色々なことを話した。恒例の激論というかジェーンから「喝ッ」も入れられて。最後は、明日のこと、来年のこと、未来の話で終わった。誰もが自分自身とこの絆の未来を信じて疑わないそんな素敵な夜だった。

翌朝は、グループを離れて私はバンコク在住の友と早朝6時半集合、ルンピニパークを2周走る。そしてホテルのジム、プールの「朝練」でBig & Power Breakfast。その間、延々と喋り倒し。素敵な時間はいつもあっという間に流れる。

午後からジェーン達と麺屋に行こう!という話になり(朝ご飯から2時間も経ってないのに)町中へ。

 

牛肉米粉&魚蛋河粉(←広東語風にいうとタイ語でなんていうのか知らないけどウマ~い)

  

ちょい怖いおばちゃんの写真入り英語メニュー「No Branch =支店はありません」きっぱり。

買い物してSpaでまどろみ、夕方からは部屋でシャンパン開けてそれぞれの未来にもう一度乾杯。

 

翌朝は、3時半のモーニングコールで4時出発。総選挙でタクシン元首相の妹が圧勝のニュース一面の新聞を手に新たな時代が幕開けするバンコクの夜明け前の街を空港に向けて走る。

食べて、笑って、おしゃべりして、走って、汗かいて、すごい充実の時間が過ぎた。不可能なことをすべて可能にした48時間だった。(そもそも一週間前の「号令」だったのにもかかわらず、この週末にバンコクに多忙な全員が顔を揃えることができたこと自体がミラクル。このパーティの発案者が残念ながら急な出張で不参加。多分彼女が自分のLuckを私たちに差し出してくれたのではないかと思う)

いつもいつも笑って過ごしてきた訳ではなく、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、それぞれの人生の局面に立ち会い、知らない間に関係を築いてきたのだなあ、と改めて確信した。彼女ら、彼らは「同僚」「先輩」「友」何かそういう種類の関係ではない。過ごした時間の長さではない、過ごしてきた時間の質が違うのだ。そして深く太い絆が築かれているからこそ、この奇跡のような時間が存在した。そして更に絆は深まったと思う。自分にとって必要だった時間。

次はいつどこで、なんて誰も言わないし、約束もしない。けど、きっといつかどこかでまた会える。絆ってそういうものだと確信しながら白み始めたバンコクの空に飛び立った。

ありがとう、ジェーン!

それから素敵な時間を共にすごしてくれた心の友に感謝。