寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

ガンジス河を上って パート2

2013年04月30日 | 旅行

浄めの儀式は1時間半ほどで一旦終了。

しかし、焚かれた火は別場所へ移され、消えるまで一晩中祈祷される。その晩は、被祈祷者は部屋を出ることができないらしくお線香の煙が充満した部屋でルームサービスで食事をとることになる。

(そもそも、被祈祷者は血族を伴ってこの巡礼に来てはいけないくらいで、ましてや”ガールフレンド”などとベッドの上でTV観ながら飯食ってていいのか、と疑問に思うのだが…)

あたりが寝静まった真夜中1時すぎ。

ドンドンとドアを叩いて祈祷師が現れ、被祈祷者を別部屋に誘導する。祈祷の続き、続いてガンジス河に連立ち河辺で最後の儀式(が執り行われたらしい)。

午前4時前だったか、物音がして目を覚ますとスッキリした顔をした奴が立ていて「オイ、全て終わったよ。一人の影もない、一つの魂も流れていないガンガは信じられない光景だったよ」無事儀式が完了したことにこっちまで安堵して深い眠りに落ちる。

それから数時間後、日の出直後の散歩へ一人出かける。

 

ムンダンという儀式。子供の頭を剃ってガンガの聖水で頭を洗うと長生き、悪魔から子供を守ることができると信じられている。子供がピーピー泣いていた…

茶屋で休憩してから目指すはガンガを見下ろす小高い山に立つマンサ・デヴィ寺院。

ロープウェイもあるのだけれどここは自分の足で上がる。ヒンドゥー教信者の人々と共に参拝。

見下ろすハリドワールの町、ガンジス河の美しかったこと。リシケシとはまた違う滔々と流れる河。

そして昨日の何十万のSinはすっかり流れてしまい、また新たな一日になり人々はSinを一つ一つが笹の小舟のように流し始める…この旅の深さをしみじみ思う。

ま、帰途につく頃は、奴と売言葉に買言葉で互いの弁慶の泣所に蹴りを入て犬も食わない恒例の「戦」あり。とてもガンガで浄化されたとは思えぬ淀んだムカつく5時間…「次回はアンタのお母さん*と一緒じゃなきゃ、私は来ないわよ」と断言。さらに、「まあさ、アンタが自身を変えない限り、人生何も変わらないってことよ」と言ってやりたかったが、それはさすがにヤメた。

帰り道に道端で買ったとれたてのマンゴー、ジャムーン、枇杷、モモ。甘いだの酸っぱいだの色々あるんだよなあ。


ガンジス河を上って パート1

2013年04月28日 | 旅行

デリーを出発して200キロ余りハリドワール・リシケシへ向かったのは、

これでも


これ(ラフティング)でもない。


目的は…これ↑↑巡礼。

人生の原罪をガンガに流し、浄化するという儀式を受ける人に付き合って旅した。

ヒンドゥー教の家庭に生まれ育ちながら「神は信じない」と手も合わせてこなかった人をこの聖地への巡礼につき動かしたのは、昨年、災難に次ぐ災難の中で偶然に相談した信心深い人のアドバイスだった。…ともかく祈祷者とアポをとり、デリーを出発。

満月の月明かりの下、ハリドワールを通過してリシケシへ。

このあたりはヒマラヤの雪解け水が谷間に豪音をあげて流れるガンガ。河から冷気というより霊気が沸き上がる。

なんかやたらとテンション上がり寝ていられず、日の出直後から朝3時間近い散歩に出る。

 

午後すぎにはハリドワール着。まずはハル・キ・プリ寺院前でお約束の沐浴。


一目でそこに千単位でなく万単位の人がいるのが分かる人の渦、渦。水の冷たさがジンジン来るけれど周囲の大響音のお説教と人々の尋常でない熱気でつられるように川の中へ。

せーの、で頭の先まで浸かる。水面から顔を出すと…何か長い橋を渡りきったようなちょっと不思議な感覚がした。

午後7時、祈祷者がホテルまできて儀式が始まるというので、立ち会えない私は1人再び寺院周辺を歩きに出かける。

    

おりしも夜のAarti(礼拝)が終わった時刻でそこにまた何万という人がごっそり流れてくるのをコーヒーショップのテラスから眺める。

 一日何十万とここで流されるSin。

浄化された人たちは明日どんな気持ちで生きていくのだろう?

私にとってのSinとは何なのか?

ガンジス河から頭を出した時にフラッシュバックしたあの長い橋はどこのことだろう?

そしてその目の前に立っていてハッとしたあなたは一体誰だったのか?

…なことをツラツラ妄想している間に気づくと手足を蚊にボコボコにされていた(つづく)


人間コンピュータ

2013年04月24日 | インド女性

数日前、小さな記事に目が止まった「数学の魔術師Shakuntala Devi逝く」

ゼロを生み出したインドの人々の数学力は日本でもインド式数学ドリルが出版されるほど有名だ。確かに幼い頃から九九じゃなくて2ケタ3ケタの掛け算を暗記が当たり前なようで、友人宅で実際におじいさんが3ケタ数字の掛け算の問題を出しそれを小学生が答えていた場面に出くわしたこともある。

1939年、Shakuntala Devi は、僧侶階級であるブラーミンのカーストの家庭に生まれた。祈祷師の道へ、という父の願いに反して彼女はサーカス団に入り空中ブランコ、綱渡りを得意とする曲芸師になることが幼い頃の夢だった。家庭の経済的な事情もあり、まともな教育を受けることができなかった彼女だが、3歳頃から数字に対する興味&記憶力はずば抜けており、5歳で既に複雑な数式を解くことができていたらしい。そして彼女を一躍有名にしたのは当時世界で最も早いと言われたコンピュータよりも早く算術したこと。そして13ケタの掛け算をわずか28秒で解いた記録がギネスレコードとなった。

インド国内各地からさらに世界各国から招待を受け、そこで数学力を披露した。ある時は、コンピュータの計算が間違っていることを指摘したまさに人間コンピュータ。

私の能力を他人に移行するのは無理だけれど人々の数学力の才能を見いだすための速算法を教えることは可能。だから数学専門大学とR&D研究所を作るのが夢、と語っていた彼女。

当然のことながらインドには彼女をはじめとして数多くの数学者がいる。(インドで教育受けてたら私の人生も少し違っていたかもしれない…いや、やっぱり数学は克服できなかっただろうなあ)


終わりなき戦い

2013年04月22日 | 日記

連休中にオールドデリーにある裁判所へ行く。(忙しい人と時間を過ごすためには暇な人が忙しい人のスケジュールに合わせる以外にない、からである。)"Tis Hazari Court"というのはムガル帝国時代に3万の兵士が居留していた場所でTis=30 Hazari=1000つまり「3万」がそのまま地名になったらしい。

インドは訴訟大国。何はともあれ契約書、そして問題があれば訴訟が起きる。裁判所に赴いたのは18年前の賃貸契約で大家との間におきた裁判の進捗を確認するため。

18年間?そうインドの裁判はとにかくスローで決着がつくまでに10年以上はざら、らしい。新聞の記事でようやく一件落着したケースが何十年も昔の事件だったりすることがある。

インドの政府系の古い建物の中はホントどこも同じ「野戦病院」のよう。廊下に野良犬が昼寝していたり物乞いがいたり。ファイルがしまわれているロッカーはどれも錆び付いて書類の重さで傾いている。順番待ちの電光掲示板などない上に鉄道駅のキップ売り場のように我先にと突進する人ばかりで列はなく人の渦。

しかし、何故わざわざここまで出向かないと進捗が分からないの?と弁護士さんにたずねたところ「全てアナログだからね。裁判の日になっても予定は未定。普通に変更あったりするから。来てみないと何も分からない、そんなシステムなんだよね。」それじゃあ基本タイムチャージベースの弁護士ってインドではいい商売じゃないと言いかけてやめる。

  • 先週、交通違反をしたうちの運転手が止められ、開口一番「今の違反ですよ、裁判所行きだね。面倒な裁判所行きだが仕方ないな」警官に一喝される。暫く新聞を読む振りをして運転手と警官のやりとりを聞く…「今回は見逃してくださいよ」「免許証を出しなさい……行ってよし」うん?どしたの?
  • 警官が「さっさと行け、Go Go Go」と手で払われて数百メートル走ったところで運転手が突如「マダム!見ましたか?今の光景。信じられない!」運転手が免許証を出す為に財布を開いた途端、札入れに入っていた200ルピーをあろうことか警官が鷲掴みしたと。裁判所送りだ、と最初に運転手をさんざん脅しておいて、財布から金を抜取る警官。

裁判所への行き道でこの話を弁護士&18年裁判の被告にすると「毅然とした態度でいないとダメじゃないか。そんなことを警官にされて…堂々と違反キップをもらって裁判所に行くと言わなきゃ」説教される。確かにシステムを変えて行くには毅然とした態度が必要だわ…と反省。

さて、18年裁判の進捗はどうなったのかよく分からないのだけど用は足せた様子。「え?今の500?いや200で構わないよ…」目の前で紙幣が動く。どうやら進捗を知るファイルを超特急で出してもらうための心付け(?!)。ん?という顔をした私に弁護士が何だよという顔をして言う「これがインドのシステムなんだよ」

どんなだよ!

 

 裁判所敷地にある屋台村。砂漠名産のデルグリのネクターが甘くてトロリと美味しかった。

 

 裁判所前の新聞スタンドに並ぶ法律書。必要なのかね、こんなもんが。