寝ても覚めてもインド。 <トムソーヤと冒険>

20年想いそして念じ続けてようやくたどりついたインド。私の「それから」インド日記。

素敵な人。<君の瞳は300カラット>

2012年09月28日 | インド女性

毎日ガサガサッと仕事をしている仲間とガサガサッと打ち合わせが終わり、「10月下旬は1週間休暇とるんで宜しくね」と関係会社のプロジェクトリーダーに宣言された。誰かがすかさず「ええ?どこ?ヨーロッパ旅行とか?」本人はニタッと笑い「F1*があるんでね」(*昨年から開催されているデリーでのフォーミュラ1)「そ、それはどういうこと?」

The Motorsport サイトより

インドのどこの新興企業にもいるような頭脳明晰30歳過ぎの女性。いつもパンジャビドレスを着て、髪型も持ち物も普通のインド人女性。ただ…とにかくよく働く、週末であろうと、徹夜になろうと、尋常じゃないほど誠実にそして前向き。デリー周辺に多い、ストレスに溢れた憂鬱な表情なく、いつ会っても目がキラキラしてこの人ってどうしてこうなんだろうかと不思議ではあった。その秘密が今日分かった。

何と!

会社員の顔の他にインド女性ラリーのプロ選手。

えええ??

いつもの数倍カラット目が輝き「数年前にフラッとショッピングモールで『ウィメンズラリー開催』というポスターみてこれに出たい!と咄嗟に思ってね。

ラリーって何だか全く無知なまま申し込んでボロ負け」そんなデビュー戦から数年。一応、今の軸足は会社員なのでプロとは言え一切の報酬は受けないのだけど数年のうちにはそっち一本でやってくことが目標とか。勿論、プロ選手である以外は典型的なインド女性で適齢期にはしっかり見合い結婚済。

で、F1で何するの?

Marshall(レースの運営の裏方)のチーフでレース当日スタンバイする600人を束ね、レース前には数日間トレーニングを行うトレーナーなのだそう。で、1週間の休暇を、という話らしい。

これまでの人生において良くも悪くもギョッとする裏の顔を持つ人は数々知り合ったがこんな意外な話は聞いた事がなかった。それほど普段付き合っていると普通の、私の思う典型的な新世代インド女性だったのである。

ね、写真撮らせてもらっていい?

アハハハと豪快に笑って…

帰り道に一緒に話を聞いていたインド人ボスがつぶやいた…「一回きりの人生だよなあ。オレ、ヒマラヤラリーに出るのが夢でさあ。何度も何度もレースに申し込もうと思いながら自分に言い訳してさ、仕事もあるし…彼女の話聞いていてオレ何迷ってきたんだって恥ずかしく思ったよ」

「ボ、ボス…(そこですかい!?)」

ヒマラヤラリー:走行距離2000キロ。ヒマラヤの山を駆け抜けるラリー。(Outlookより)


不便なインド生活ということにして

2012年09月18日 | 日記

新しくインドへ進出計画を練っていらっしゃる日系企業の方にお目にかかる。「やはり何ですか、こう生活面で日本食の調達とか色々ご不便ありますよね」不便?ふべん?うーん、何と答えるのがよいのやら。

あれは15年前のことか、バックパッカーではなく初めて仕事でデリーへ来た時にご縁あって某日系商社勤務の方のお宅へご招待にあずかった。お家に貯蓄してある日本食材で焼き魚、茶碗蒸し、天ぷら、野菜煮物、〆は炊き込みご飯だったか。和食レストランの松コースみたいに立派な奥様の手料理をごちそうになった。日本から到着して一日目の新橋塩鯖定食サラリーマンの同僚とエラく恐縮した。傍らで遊んでいたお子さんにビタミンなどのサプリメントを飲ませていらした情景を思い出す。聞くと定期的にシンガポールへ買い出しに行かれ、トン買いをされ、大きな冷凍庫に貯蓄をされているのだとか。当時は日本食レストランもなかっただろうからお客様が来られるとご自宅へ招かれ松コースでもてなされていたと思う。商社の奥さんというのは大変だなあとつくづく思った。

私が来た2010年からたった二年のうちにもデリー&グルガオンは外国人の暮らしには便利になった。新しいスーパーやレストランがオープンし、選択肢が増えた。あるものを買うのでなく吟味して買う、あるいはもう少し待てばもっともっといいものが手に入る、みたいな。

一体どこがどう不便なのかね?

DLFゴルフ&カントリークラブ

Westin Hotel イタリアン、日本&チャイニーズレストラン。飲茶美味しい!

 Croma 電気製品はこんな量販店

 

 Le Marche ちょい上の特選食料&日用品スーパー

デリーメトロ:デリー&郊外にはこれとオートリキシャー

大和屋:ま、いつも写真のような品揃えではないけれど

Avalon Courtyard: ザ・ニッポン(日本食レストラン完備。しかもお手頃)

Iroha: どれにしようか迷いに迷う。シュークリームにショートケーキ…

Aman Hotel:ちょっと贅沢気分でSpaへ。日本に比べると格段安い。

言葉が通じない訳でもないし、電波&インターネットは繋がるし、何より対ルピーで日本円強し。フランス、台湾、香港、インドと通算で22年海外生活になるけれどここにいて「モノ」で不便を感じることはあまりない。そのものがなければ立派な代替品あるし。

あまり欲しいモノがないから無駄遣いなし。(貯めておけば1年定期預金で9%の利息!)家ごはん好きなので外食も消極的。味噌も醤油も白飯もラーメンも無ければ無いで全く影響なし。

でも期待を裏切らずに不便ということで口裏合わせておいた方がいいのかね、インド(デリー&グルガオン)生活。



言葉の壁、心の壁。

2012年09月15日 | 日記

私の坦々(違う?)としたインドでの日々…出会いや見つけた記事やアクシデントやら出来事を気が向いた時にここに記して2年。このところ繰り返し起こるドタバタの中で気づき叫びたくなったことを今日は書いておく。

仕事上、日本とインドの狭間に立ってこちらとあちらの言い分を通訳して意思疎通の手助けをするだけではなく双方が納得できるポイントを見つけて次のステップに進める、ことを使命とする仕事が多い。(本当の使命はそこにはないのだけど…)

インドにいる自分としては、日本の非常に特殊なドメスティックな事情をインドに説明することよりも、非常に限られた日本国内の情報(しかも、それはほとんどが日本のメディアのフィルターにかかった日本語オンリーの情報)を元にインドを誤解、曲解した多くの日本人に正しい理解を持ってもらうことに汗をかく。

数日間のインド旅行で騙された、盗難にあった、見たくない悲惨な子供たち&汚いゴミの山を見て不愉快な思い出だけが残り嫌いになった人は残念ながらどうでもよい。私はインド政府観光局の人間でもないし、それもインドの現実だし。

人口減少、高齢化でもはや企業として活路が見いだせない日本市場、そして進出時期は早かったが日本経済低迷で本社の足腰が弱り、巧妙かつ最速スピードで追っかけてきた欧米・韓国企業にグングン抜かれ厳しい日本企業の中国市場のこれからを考えると「あとはインド市場のみか?」という切羽詰まった状況でのインド進出。インドを必要とするのは日本だ。

人口12億人24歳以下の若者が人口の半分を占める、中間階級層&消費パワー急増この二点が進出計画書の冒頭に太字で踊る。それは疑いもない事実。だが参入には相当の費用がかかる。外資規制ルール、広い国土ゆえの流通・宣伝・販促、「遅れてやってきた」日本企業が強い地場企業、中国でもコテンパンにやられた外資企業と肩を並べるためには相当の規模予算とそれを継続する体力が必要。

…とそこまでは何となく理解している企業は数少ないながらあるけれど…東南アジアのどこそこで成功の方程式をあてはめようとする、日本でのやりかたを踏襲、という一方的な思い込みで進めようとする。根拠を求めると「それで他地域は成功したから」話にならない。

食い下がり、それではダメだという根拠を説明するのは、そんな企業の大切な1ルピー、1ルピーを無駄にはさせたくないからという理由なのだが…「いいからこっちの言った通りにやってくれ」

そんな人たちは、言葉を「壁」と言う。でも本当の壁は心の中にある。島国の自分たちと何が違うかという比較にばかりこだわるから答えが出ない。単純に日本の市場規模x10倍するから帳尻あわない。ハリヤナ州とケララ州を埼玉県と岡山県みたいな例えにするから、日本の中間階級層とインドのそれとをなぞり合わせるから、結果なし。全部白紙にして自分の足で目で耳で手でインドを確かめて、そこで成功した人たちがどういう考えのもとにステップを歩んできたか耳を傾ける。真剣にインド学に入門すべきと思う。

ああ、それから日本人。もっと鏡の前で笑顔の練習をしましょうね。笑顔は愛想をふりまく、へつらう、のでなく「自信」という意味ですからね。への口してないで。

 


素敵な人。

2012年09月02日 | インド女性

昨年、日本の友人の紹介で見に出かけた小さなイベント。そのパフォーマーであるアフガンの古典楽器奏者のケンゴさんとオディッシーダンサーのマサコさんに出会った。こちらは申し訳ないほど前知識なく客席に座っていたのだが二人のそれぞれの気迫のパフォーマンスに感激した。

以来、インド国内では一般公開のイベントはなかなかなく残念に思っていたところ昨晩、Taj Hotel主催のイベントにマサコさんが出演されるというので観に行った。このイベント、実はチャリティーディナーでインドの国のために戦っている兵士と戦死された遺族のために資金を募るのが主旨。黒タイ&フォーマルドレスの上流な方々がオークションでアーティストの作品を競り落とし、その収益金を寄付するというそういうイベント…ということを現地に到着して知る私(汗)。

ともかく美しく、そして気迫に観客が圧倒されるステージだった。

「海外で活躍する日本女性」という表現が好きではない。日本人のわりには凄い、女性のわりには凄い、なんかそういうスモールスケールなニュアンスがあるから。小野雅子さんは、オディッシーダンスを名門のインド古典舞踊学校Nrityagramで学ぶために渡印され、以来インドを拠点に活動されている。「日本人のわりには凄い」のではない証明はインド政府公認のオディッシーダンサーであり「女性のわりには凄い」のではない証明としてアメリカニューズウィーク誌で2008年には「世界で尊敬される日本人」の一人に選ばれている。活動は、インドは勿論のこと欧米含めた世界を舞台に活躍。自身がダンサーということだけではなく生活拠点であるオリッサ州ブバネシュワールで舞踊学校を開校し次世代の育成も積極的に行われているという方。

私のように舞踊には何の造詣もなく、縁もゆかりもない人も観る(拝むという表現が適切かも)と瞬きするのも惜しいようなそんな美と情熱と妖艶世界。日本だけでなく…正真正銘インドがそして世界が誇る舞踏家。