インドへ来てからちぎれちぎれの記憶をつなぎあわせながら探している場所がある。1987年10月、今から27年前に初めてインドに上陸した時に泊まった宿のこと。
あの頃、25パイサ硬貨があった。チャイ一杯が確か都会で10パイサ。田舎で素焼きの小さなカップが2パイサくらいだった。今や都会で10から20ルピー。田舎で5ルピー~10ルピー。
デリー空港にパリ発中東のあちこち中継し、シリアのダマスカスで乗り換えて降り立った。ターミナルを出ると物乞いやら白タクの客引きの喧噪をぬってとりあえず料金交渉して黒&黄色のアンバサダーに乗り込んだ。インド経験者の当時のBFが「以前に泊まった場所に行こう」ということで最寄りであった「Ashoka Hotel」に向った。
着いてみると、当たり前のように合意した料金ではない破格に高い値段をふっかけられAshoka Hotelの正面玄関のボーイさんに助けてもらった。ふっかけられた、という値段は100ルピー。合意したのは確か40ルピーだったのではなかったかな。
ちょっと劣化しているのだけれど…当時は超一流のラグジュアリーホテルであった。
Ashoka Hotelから美しい街路樹のPanchsheel Margを歩いて数分。「宿」と言って着いた場所は、キャンプ場のような広い敷地にプレハブのバンガロー(物置小屋サイズ)がポツポツ並んでいてトタン扉に大きな南京錠がついていた。トイレ&シャワーは敷地の端の共同。女子用トイレというのがなかった記憶。道路に面した場所に半屋外の食堂があり、宿泊客も外部の人もそこには出入りができた。メニューはChoumein(焼きそば)やChop suey(あんかけ焼きそば)という外国中華メニューからトースト、オムレツというメニューがあったんだな…
さらに記憶があるのはそのキャンプ場の宿泊客は一般の旅行者(まして外国人などいない)でなく兵隊ぽい人たちを見たような…。
あれは一体何だったのか?どこだったのか?
初めてデリー中心、Ashoka Hotelのすぐそばにあるインド空軍の奥様たちが運営しているというSanthushti Shopping Complexというオアシスのような美しい場所に立ったときに記憶が甦ってきた。ここかもしれない!
この付近で育った番長に聞くと「キャンプ場があったかどうか分からないけれど軍系の人のための宿泊施設があってもおかしくない…しかしキミなんでゲストハウスとかに泊まらなかったの?」確かに…
今日、用事あって付近を通っていて「あ!ここ!」思わず声をあげた。
車を降りて近づいてみると、その場所はノルウェー大使館。建替え大工事中。ここが1987年当時にも大使館だったのかそのキャンプ場的宿舎だったのか…ちょっと調査してみることにする。