『日本のマルクス主義者』(鈴木正)「尾崎秀実」(風間道太郎)という著作が鎌倉中央図書館にある。「昭和」と「満州國」を追いかけていて「尾崎・ゾルゲ事件」にある感触を得て、読了した。結論として尾崎はロマンチストが正解か?それに、ちょっと少女臭さのある純情なロマンチスト。あえて言えばだが、理想主義とはちょっと違う気がする。中国専門の卓越した評論家で鳴らしたらしいが、歴戦の歴史を持ち育った中国人民と彼がどのように交流できたのか―ー見たい気もする。そして彼はコミュニストではない。中国に対しても書物からの理解か、ゾルゲやスメドレーの示唆に負うところが多いのではないのか? 彼らの示唆を大胆に、論理的に展開した分かり易さがあった。実践では中国の上海に居たのは短かったのでは。中国は10年居て新しい発見が、突然古い中国文化の深層が露出して出遭ったりする。文化地層が深く、しかも広大な国だ。北京、上海、広東、四川、新疆とは一国ではない別の国のようだ。一般日本人が中国で辛酸を舐めても小利口になるだけが精一杯だろう。尾崎が上海で何を見て何を学んだのか?
尾崎は伝説化、偶像化されている部分がある。これではゾルゲ事件は全貌が分からない。ゾルゲ事件の全貌はとても把握できないが、謀略のイメージを喚起する「スパイ事件」と言うにはあまりゾルゲが、変な言い方だが「真摯」だ。そして、事件の筋立てが直線的で単純、情感的だ。資料が焼却されて紛失したのか極めて少ないのもこの時代の「事件」の特徴だ。
「ゾルゲ事件」(当時は「尾崎事件」と言ったらしい)はゾルゲが機密情報を盗聴したり盗撮して日本の弱点を探しソ連に通じた事件ではない。治安維持法という、言論の自由の無い近衛内閣の下で起こった情報収集と分析に過ぎない。今日で言うなら、外務省の情報分析官(かつて佐藤勝氏が勤務していた)の仕事の範囲だと思える。
「宮廷派(木戸幸一を中心にした裕仁天皇側近グループ)と東条の捏造(デッチアゲ)事件」と言う視点で追求した方が真実が見えるのではないか。東条はその直後首相として、木戸から裕仁天皇に奏上される。宮中の他にも尾崎のシンパは居たのかもしれない。それを東条だけが知っていたーーのでは?
日本近代史の最大の謀略・冤罪事件の一つであることは間違いないーーと、そんな印象を受けるがどうだろうか?
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沖縄タイムスに載った7月28日付け共同通信によると鎌倉大仏が半世紀ぶり”健康診断”に入ると言う。「鎌倉大仏(阿弥陀如来像、国宝)で知られる神奈川県鎌倉市長谷の高徳院は28日、来年1~3月に大仏のクリーニングや、保存修理に向けた損傷状態の調査をすると発表した。大仏は1959~61年に『昭和の大修理』をしており、佐藤孝雄住職は『いわば50年に一度の健康診断』としている」と伝え、工期の来年1月13日から3月10日までで、その間拝観できなくなります。来年の話ではあります。
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