曲がり角で みつけたもの

思秋期になり曲がり角に差し掛かってきました。その中で感じた事、見つけたものを記事にしていきます。

Gオさんの悪くなった原因は→薬の間違った使い方にあった

2013年02月02日 | 身体・病気関係

Gオさんがなぜ今回こんなことになったのか。

87歳にして週1回のゴルフ。しかも大会では時々賞をとり、賞金とまではいかないものの、果物だの肉・魚等の賞品をゲットするほどの腕前。暑いからとか寒いからなんてこちらの心配をよそに、車を運転して行っているぐらい元気なおじいちゃんだったんです。

確かに、喘音はずっと気になっていましたが、特別生活に支障もなく、少なくとも私には全然苦しくもなんともない。俺は64歳(の体)だと豪語していて、ヒマゴの成人式にも出席(?)すると張り切っていたんです。

私も年末から風邪をひいていたので、それを理由に今年は、とどちゃんにGオさん、Bこさんの事は任せたぜ。わたいは、必要最低限の事はするけど、あとは寝るぜ!!と、実際、洗濯や食事の用意などはするものの、話しをするのも自分自身が大きい声が出せる状況になかったので、GBさんのことは見ないようにしていたんですよねえ。

Gオさんは「よしこ、大丈夫?」って聞いてくれるので、私は「全然大丈夫じゃないです~~。苦しいです~~。珍しく発熱です。つうても37.1℃ですけどねえ」

「え~~。早く寝て~~」「うん、隙間はずっと寝ちゃってるから大丈夫よ」なんて言っていたんですけど、翌朝Gオさん、起きてこなくて、Bこさんが「Gオさん、昨夜咳がひどくて熱もあるんだよ。」と言うんですよね。

しかも、何も食べられないって。こんな事は初めてなんです。今までは熱が出る事があってもそんなことはなかったので、でも、自分も丁度仕事が忙しく、本当は自分自身も大変だったので、休みたいけど休めない時。

レントゲンを撮り、色々検査をした結果、悪い結果ではなかった(Bこさん曰くなのでそこは当てにならず)ので、「軽い」点滴を3日続けてやってきたそうな。でも、熱は下がったものの、喘音はひどくなるばかり。

今日は私が付き添いますからと言って無理やり付いて行くつもりが、その日の朝、Gオさんは待ってられないので、朝1番に行くつもりで、(後でわかったが、前日の夜から前の薬が効かない為強い抗生物質が出ていた)支度をしている(食後というか薬服用後)20分ぐらいの間に、Gオさん、立っていられない状況になってしまったんです。

なんとか、掛かり付けの呼吸器専門の個人医に着き時間前でしたが、すぐ酸素吸入を開始。

その時の酸素飽和度は91。酸素を入れて、少しずつ回復。96,97をキープできるようになり、酸素を外して様子見。

丁度連休前の金曜日だったので、夜間早朝の発作が怖いので、連休中だけでも入院したくださいと、説得され、先生が直接、自分の同期の先生に電話をして、その先生は休診日だけれど、緊急に見てくれると言う事で、転院します。

その時は薬の事には頭が回らず、もう、これは肺炎を起こしたに違いないと、とにかく病院に急ぎました。そして、転院後の病院で、Dr.がレントゲンの前で、首を傾げていて、治療の前に長い問診がありました。私もてっきり真っ白になった肺が写っているものと思っていたのですが、むしろ肺は綺麗でした。それこそ、たぶん気管支炎や、肺炎もやり、喘息のある私の肺のX-reyよりもよほど、クリアな肺でした。

そして、問診の時に薬の服用の事や病歴、今の体の状況を聞かれ、足のむくみ、さて、手はどうですか?と尋ねられた時に、前から気になっていた上腕部に出来ている、赤いあざ(その時はすでに黒くなっていたが)が出来ることを伝えました。

そのあざは、綺麗な朱色というか紅色で、いわゆる打ち身の時の色とは違い、凄く鮮やかな色なんです。そして、2~3センチぐらいで上腕部にだけでき、少し盛り上がってぶよぶよした感じです。爪の付け根に水泡も時々できて、何度も病院でちゃんと見てもらったらと促したら、皮膚科に掛かり、「年寄りはよくこういうのが出来るので、心配ありません。」と言われたそうです。

関係ないかと思いますが、こういうのが出来るんですが…と言いかけたら、Dr.が

「それだ!確かに年寄りには出来やすいものではあるんですが…、薬を真面目に飲んでおられたからですね。(え?どういう事?)これは、今飲んでいる薬をすべて見直していく必要があります。常用の薬、時々飲む薬、とにかく飲んでいる、あるいは飲んでいた薬をすべて持ってきて下さい。(紅班というものらしい)

薬の検討をするとなると、やはり通院では無理ですし、今は薬が効かない状況になっていると思われますので、症状がどんどんひどくなる可能性があります。家ではとても対応できませんので、入院して下さい。」と言われました。

実際にどんどん、症状は苦しくなり、咳で肋骨にひびが入り、「お願いだから退院させてちょうだい」騒ぎがあったわけです。

そして、元の生活に戻れない宣告があり、その後退院前の説明まで、(Gオさんには伝えていたのかもしれないのですが、本人には理解できていなかった可能性があります)詳しい説明がなかったので、一体、Gオさんはどうして、こうなったのか、いまひとつ理解できないままでいました。

この後、退院時のカンファレンスと、そのあと、元の掛かり付け医に行って、わかった事を次回まとめたいと思います。



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