親も皆80近く、あるいは過ぎてくると、いくらしっかりしていても、それぞれに何か言うところが出てきて、少なくとも見守りは必要になってきました。先日はオット父の騒動を期に、夫婦間にも微妙ないや、かなり大きなひびが入り、親子、夫婦、義理の家族等、また自分の体の事も含め、大きな曲がり角に来ているなと感じています。
そんなこともあって、今までのブログを止め、新たにこちらに開設したのですが、こちらもまた、いろんな事があって、考えさせられることが多くなりました。
と、珍しく私にしては、「考える」なんてテーマなんですけど、いや何、そんなこんなで、
今まで読まなかった分野の本やブログを読むようになった
そのことで、より、深く、考えさせられることが出てきたんですねえ。
もちろん、本屋さんで本を買って読んでう~む、となったこともあるんですが、今、女性会館というところの図書館で、ちょっと他ではあまり扱っていない本が置いてあって、たまたま、その近くに行ったときに、時間があったので女性会館の図書館でぺらぺらと覗いていたんですが、深く読みたくなって、貸出カードを作って本を借りて読んでいます。
そのうちの1冊は
「一人でもだいじょうぶ 親の介護から看取りまで」 おち とよこ著
一人っ子の著者が両親を介護し看取るまでの16年を通しての記録と介護からお葬式、亡くなった後の様々な手続きなど、実際に困ったことやその解決(出来なかった事も含め)がわかりやすく書かれています。
その中でいろんな事が心に残りましたが、まず、えっと思ったこと。
一人娘で別居をしている、長く入院していらしたお母様が退院して間もなく、一人でお風呂に入り(自分のことは自分で出来た)溺れそうになった事件。
リューマチで手足が不自由がお父様が見つけたけれど、助け出す事が出来ず、電話が掛かってきたときの事です。とにかく隣の人に電話をして様子を見に行ってくれるように頼み、急いで駆け付けると、廊下で毛布にくるまり、隣の方と医師とお父様の見守る姿が目に飛び込んだそうです。
あまりに長いお風呂におかしいと思ったお父様が様子を見に行くと、湯船の中でか細い声で助けてと言いながら必死で浴槽の縁につかまっているお母様を見つけたそうですが、手足が不自由で引っ張り出す事など出来なかったお父様があわてて、電話をしてきて、娘さんからの電話で隣の人が駆けつけて引っ張り上げてくれたそうです。
決して深いお風呂ではなく、ごくごく一般的な大きさの湯船だったそうですが、体重が軽くなっていたお母様が浴槽の中でバランスを崩して浮き上がってしまい、体勢が直せなくなってしまったようなのです。
私のオットの母親も痩せすぎの方なんです。最近高齢者の栄養失調が問題になっているんですけれど、たぶん40kgあるかないかだと思いますが、私にははっきり言わないのですが、どうも掛かり付け医に指摘されたようです。
オット母は、お風呂も、それからトイレも異様に長いんですけど、食後の居眠りの様子を見ていると、時々食器の上に突っ伏してしまったり、横に倒れ込んだりしていますから、お風呂の中やトイレでも寝てしまっているんでは…と思うんですよね。時々お孫さんをお風呂に入れていて、おばあちゃんが寝てしまって抱いていた幼児が溺れてなくなるって事件がありますが、おばあちゃん自身もずぶずぶっといってしまうかもしれないですし。
本の方は、もちろん、介護の事、入院の事、施設の事、延命治療の事、終末の事、いろいろ参考になる事が、愚痴を綴るのではなく、実際に役に立つ情報として書かれていて、とてもよかったです。
私自身も講習会で勉強していることでなかなかできないのが、
受容と容認です。
まあ、平たく言うと相手の言うことを、ちゃんと聞いて、受け止めて、それをそうだね、困ったねと共感するってことなんですが、これが修行の出来ていない私にはなかなか難しい事です。
オット母は耳が遠くて補聴器も高い奴を買ったのに使っていない事もあって、同じ事を何回も説明しないといけないのですが、3度目になるとやはりいら~といた気持ちが周りに伝わってしまうのですねえ。
先日も3歳になったばかりのマゴが、私が3回め、大きな声で言おうと息を吸い込んだ瞬間
「だ~か~ら~ね!」
と言ったのです。まさしく私も言おうとしていたのに気がつきました。
まさしく「負うた孫に教えられ」ですね
もう、1冊借りてきたのは、
「55歳からの夫婦学 快適な老後をむかえるために」
です。さて何が書かれているのか気になるでしょ?
の秋、本番です
そうそう、なぜブログを変えたかなんですが、前のブログ、結構身内や友達に知らせているんですよね。オットにも。嘘を書くつもりはないので、そうすると、相手にとっては悪口ですものね。子どもにも言ってあるんですけれど、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんの事や、ウチの内状を書かれるわけですから、嫌じゃないですか。でも、私とすると、自分の気持ちを正直に書きたいわけですよ。
いままでのブログは、一時休止としてあるのですが、2ヶ月たった今でも明らかに検索で私のブログを探しているんですよ。前のブログのタイトルで。ちょっと他にはないタイトルなので、よくわかるんですよね。
差し支えない記事で、並行してやっていこうかとも思うんですけれど、前のところは写真を入れるのがちょっとめんどくさいんですよ。一度これに慣れてしまったら、余計面倒に感じてしまって。でも、心配しているだろうなって思いながら、そのままになってしまっています。
それと面白い事に、中身はすごく変わったわけではなく、ただ、前よりも誰が書いているのか特定されにくくしただけなんですけれど、(日記は多くなったかな)お付き合いする方が自然と淘汰されたというか、きっと前は義理(?)でコメントなど下さっていたのかなと思うのですが、これを機に、全くと言う方が何人かいたりして、ちょっとその辺もオモシロイ(なんて言っていいのかどうかわからないんですけど)ななんて思ったりしています。
前はちょっとアクセス数が気になったり、ランキングなんかも見ちゃったりしたんですけど、(結構写真部門とか野の花部門なんかは上位に行っていた)それも気にならなくなって、そして、以前は「今日、何々見つけました❣」なんて、早く書かなきゃなんて思っていたんですけど、そんなこともなくなり、むしろ少し落ち着いてから記録(それにしては雑だろ)しておこう、自分の為にって感じになりました。
最近読んだ本の中にも、認知症を防止する日記の付け方ってあったんです。
それは、次の日前日に自分のしたことを5つ書いてみる っていうことなんです。
かなりこれって難しいですよね。
前日何をしたか?
5つ答えろ
えっと~、やばい、1つも思いだせない…
うんとお~、思いだせ~~~
そうね~ 自分の周りのことを書くと、嫌でも悪口になっちゃいます。良いことって、何か書きにくいし必要もないし・・・ネ~
私のブログ、友人が何人か見てくれていますが、
その人達はコメントは一度もありません。夫はPCにさわらない人なので、まあ安心ってとこかな?時には見てほしいと思う事もありますが(笑)
私の場合は、自分の日記代わりだったり、こんな事があったのよ~ って、誰かにおしゃべりする気分でかいたいます。
それより、紹介してくださった本がきになりますね!
秋も深まり、思愁期も深まりっていうところでしょうか?昨日も娘とマゴ、そして、オットの両親の世話にちょっと疲れ気味です
一番最初のブログの時は自分では気をつけていたつもりだったのに、娘の友達がちょっとしたことで、もしかして、あなたのお母さんが書いているブログじゃないの?と御注進があり、知られたくない事も知られてしまったと怒られ、2つ目のブログにしたんです。自分とすると、娘が結婚し子どもを産んだ時の気持ちを正直に書いていたつもりなんですで、むしろ読んでほしいと言うこともあったんですが、書かれた方の気持ちはどうなの?というのです。だから、今回は身内にはわからないようにしたいと思ってね。検索に掛からないように気をつけているんですよ。
自分の友達にも何人かお知らせしたんですが、読んでくれる人は少なく(はっきり言ってほどんどいない)のに、とんでもないところからわかってしまったので、気をつけないとです。