母親の入院以後、いや、その前から、とげとげしてくる自分の気持ちが抑えられず、自分でも不機嫌な顔をして、イライラオーラが出ているのが、そして、その、イライラオーラがめらめらの炎のようになっているが自分でもわかる。
何にそんなに腹が立つのか。あげれば色々あるんだけれど、なんだか分からない、モヤモヤ黒々した、変な物体が、私の心の中に一杯になって、しかもどんどんふくらんでくる。
その、正体がなんなのか、ちゃんと言葉にできない。
母親のところに行かなくてはいけないのに、「忙しくて行かれない」全く行く時間が無いわけではないのに、足が向かない。体が動かない。
参加しているNPOの活動もやらなくてはならないことがあるのに、そちらに向く気も起きない。
先にやらなければ、それに、母親のところにも行くのが遅くなれば、結局自分が大変なのに、ただただ、悶々と、イライラの中にいたら、家のチャイムが鳴った。
2階にいた私よりも先に、Gオさんが出てくれた。
まだ、Gオさんが玄関のかぎを開けるよりも先に、ヒステリックな声で話し始めたのは、新しく引っ越してきた裏の家の奥さんだった。
実は4月から町内の同じ班の班長が変り、回覧板の回る順番が逆になったのに、そのうちで、元のように回すため、何度も行ったり来たり。
回覧板に回す順番もつけてまわしても、また、逆にしてうちに戻してしまうため、回覧板の中も見やすいように整理して、表の回覧順番のところに、蛍光ペンで大きく矢印を入れて、回したのだ。
さすがに気がついて、「逆に回すようになったんですね!?何度も何度も回ってきて(って3回まわれば大概気付くと思うが。終いには飛ばして回したが、次の人も逆に回した)同じ班のしかも前の班長さんで、いろいろ世話を焼いてくれていた奥さん=私の友達が亡くなったのに、一度も顔を出してない)一体なんですか?いつから逆になったんですか?」
Gオさんが「何度も直接言おうと訪ねたけれど、いつ行ってもお宅、お留守でしょう。仕方が無いから何度も紙に書いて置いて来たんですよ。」と言うと、
「あのねえ、今うち大変なんですよ。病人が出ちゃって、入院しちゃっているもんで、読んでいる暇もないもんで、とにかく、私、忙しいですよ。今も急いで出たいのにこんなもんがあったもんで。必要もないものは家を飛ばして回して下さい!とにかくね、私、いま大変なんですよ!こんなもの読んでいる暇なんかないんですよ!」と回覧板をうちに置いて行ってしまいました。
でね、普通なら、腹が立つでしょ?
それなのに、なんかね、自分のわけのわからない心の中のどよ~~とした、重しが、すっととれちゃったんですよ。
以前話をした、その奥さんは、そんなことを言うような人ではなかったんです。
さっきのその人はまるで別人でした。
どなたが悪いのか、本当なら、心配になって、同情するところなのに、みっともないなあって思いました。
その、みっともない姿は、今の私の姿だと思いました。
なんかね、急に、すとんとおちたというのか、楽になりました。
なんだろう。
人は皆、取り乱し、混乱し、訳の分からないことを言うものなんだって。
実家の母も、多少の痛みや炎症があっても、自分で歩けたし、何でも出来たのに、手術後は、思い通りにならず、気持ちがいわゆる荒むというか、そういう状態なんだなって、思えました。
弟たちも、今まで、子育ての時はそれこそ、家事は全部母親に任せ、しかも、義妹はその作業に不備があれば厳しく責め、手が不自由になっても、「お義母さん、何でもできるじゃないですか。私よりもほっぽど元気じゃないですが。やらなきゃボケちゃうますよ」なんて、言って、家事もかなりの量を未だにやってもらって、それが当たり前で来たのに、たかが足の指の手術ぐらいで、こんなことになるとはと、戸惑っているのでしょう。
役に立っていたおばあさんが、一転介護ですからね。
たぶん、おそらく、全く介護だの、介助が必要になるなんて、思ってもいなかったでしょうからね。
人間って勝手ですよね。
結局、私も同じです。
要するに「忙しいのにやってやらなきゃならない」
母親の状態ではなくて、自分の時間が削られることに、イライラし、仕事のやりくりをせず、今まで通りに生活している弟夫婦に腹が立っているのです。
本当なら、痛みに寝られない母親を思いやらなくてはいけないのに。
足もだけれど、手も思うように動かず、松葉杖がうまく使えない母親を手助けしてやらなくはいけないのに。
裏の奥さんが見本を見せてくれて、自分の心の重りの正体に気がつきました。
そして、重しがど~~~んと落ちて、心も体も軽くなりました。
今日は、以前のように、母親のところに行けそうです。
それでは、いってきま~~す。