今は生き方も多様になって、単身で生涯を過ごす人も多くなりましたね。
となぜ、こんな事急に言い出したかというと、身近に、考えさせられる事がいくつか起きたからです。
1人目のケース
彼は教員をしており、母一人子一人で、生涯独身でした。
そして、55歳になった時、なぜか早期退職をし、古い借家を借りて、一人暮らしを始めました。なぜ退職をしたのか、なぜ一人暮らしを始めたのかはわかりません。
そして、同窓会が開かれたある日、彼がどうしているのかと友達が訪ねると、実は、もう、彼は亡くなり、誰にも知らされることなく、彼のお母さん一人で送り出したと言う事が、密かに伝わりました。
一人暮らしを始め、55歳にして初めての自由だったのかもしれません。彼がどのように過ごしていたのかは誰も知りませんでした。
どういう事情で彼と彼の母親が離れて暮らす事になったのかわからないのですが、あまりに連絡の取れない彼の事を心配して母親が彼の家を訪ねると、彼は部屋の中で、亡くなっていたそうです。
世間体を重んじる母親の手によって、彼の死は公表されることなく、文字通り闇に葬られたのです。お葬式もせず、火葬だけしたそうです。彼の母親も年齢からいうともう80前後にはなっていたと思いますから、もしかしたら、お葬式を出す事が出来なかったのかもしれません。
もしも、彼が57歳の人生と決まっていて、どう生きるかと言う事を考えれば、自由に生きた2年間は幸せだったのかもしれないし、自分で選んだとは言え孤独で悲しい日々だったかもしれないし、それはもう誰にもわかりません。
彼の自立は55歳だったのでしょうか。
2人目のケース
実は75才にして初めて、自分の食事を自分で準備するようになった女性が身近にいます。
彼女は手に職があり、今も現役で仕事をしています。
彼女は父親が早く亡くなり、彼女が家計を支えていたそうです。
そのため、弟が結婚し、母親と弟家族のところに、夕飯、お風呂をもらいにいき、仕事場の2階に寝るだけに帰っていました。昼食も90過ぎた母親が手押し車で運んでしました。
ですが、母親が施設に入る事になり、それと共に食事も自分で用意するようにしたそうです。
そして、母親の施設に面会に行くと、毎回泣かれ、自分も泣きたくなるといいます。食事を自分で用意するといっても、スーパーかコンビニで買ってくる以外にはありません。彼女の仕事場には台所はありませんから。
考えてみれば、彼女の弟のお嫁さんだって、70過ぎになるでしょうから、いい加減あなたも自立してというところでしょうか。
今は元気ですけど、彼女が本当に年老いた時、どうするのでしょうか。
問題は、この後の人の事です。
たぶん年は私と同じか少し上だと思うのですが、もともと彼女はちょっと精神状態がよくなくて、結婚せず、親元にいるんですが、直接見てないので、なんとも、相談されても私もどうしようもないんですが、というか、私が口出す事じゃないんで。
最近、彼女の父親が亡くなり、お葬式になりました。しばらく入退院を繰り返していたので、急に亡くなったわけではありません。ところが、家の中が物であふれて、文字通り足の踏み場もなく、駐車場から、玄関階段に至るまで、人がやっと通れる隙間があるかないかの状態だそうです。
彼女以外に結婚して別居している兄弟が家に入ろうとしたけれど、なんとか、仏壇の前に二人座れるスペースを作るのがやっとだそうです。
そして、彼女のお兄さんのところで結婚式があり、相手の方が挨拶に見えた時にも、玄関に上がる事も出来ずに、おじいちゃんにお線香をあげる事も出来ずに帰ってきたそうです。
どうして、そうなったのかがよくわからないんですが、彼女がいろいろ買い物をしてきて、それが、開けないまま積み重なっているのだというんですが、どうしたらいい?と相談されました。
私、彼女の存在すら知りませんでした。どうも、「困った子」と言う事で、親はいいなりになっていたようなんです。買い物も何か買わないようにする方法もあると思うのですが、「暴れると困るから」と言うのです。
まずは、彼女を病院に連れて行くべきだと思いますが、もう85になる母親では無理でしょうね。
もっと、早く、相談すれば、彼女の治療も出来たでしょうに、と、決めつけてはいけないですけど、とても正常とは思えません。
もしかしたら、若年性の認知症と言う事も考えられますよね。
ちゅって、私に相談されてもねえ…。ちゅうか、私がでばるってどうよ?
義理の義理の仲の人の話だよン。
昨日、その問題を相談する為に我が家にやってきました。
まあ、込み入った話のようだし、私お茶出して(これもまあ、大騒ぎしたんですけどね、Bこさんがね)あと、引っ込もうと思ったら、その中の私と年の近い人と、その娘、なつっこく「よしこさん、おばちゃん」とやってきました。
まあ、もともと、我が家の家族とは、とても親しく付き合っている親戚なので、同じ年頃、子どもも自分の子どもと同じぐらいなので、夕飯食べてく?なんてしていたので、当たり前と言えば当たり前なんですけどね。
もう、Gオさんや、Bこさんじゃあ、相談にならないと思ったんでしょうね。
まあね、全く話かみ合ってなかったし、わかるけど、こっち頼られてもね…。
それにしても、
……むずかしいねえ。
とにかく、精神科と、公的機関(地域包括センターなど)に相談したらと答えておきましたが、それで良かったのかなあ。
というか、私が動く事じゃないからさ…。
むかし「ケセラセラ」と言う歌が流行ったことがありました。
よしこさんもご存知のことと思います。
que seraとスペイン語で書きますが、日本語の歌の文句通り「先のことは分からないです」
人それぞれに、どんなところでどんなことが起きるか分からないもので、その終着駅もそれぞれさまざまですが、本人がそれを納得するしかないことだと思います。
「ありがとう 幸せだった」と言おうが、世の中を呪って死のうが、お迎えは、遅い早いの違いでしかなく、平等に来るものです。
こういう相談には、スペイン語の「ケセラ」の気持ちをもって対応するしかないでしょう。(口先はどうでもなります。深入りしないで、、、相手も聞いてもらえばそれで、、、と言う場合がありますので)
ああ、それともうひとつ、やはりスペイン語で「アスタマニヤーナ」と言う言葉がありますが、「明日やります」と返事しながら何もせず先送りにしてしまうことですが、政治家の独占にしておく手は無いと思います。
くれぐれも、こういう相談は聞き置くだけにしましょう。
そうですね、もしかしたら、話を聞いてもらえばよかったのかもしれないです。こういう話って人には話せないですしね。金銭的な事もあって(年金はお母さんの遺族年金だけですから、どのぐらい使ってしまうのかわかりませんが、かなり行き詰っているみたいです)切実になっているようですが、私が口出しすることはできないですからね。「明日やります」「検討します」「調べておきます」日本語はこういう時便利ですね。なるようにしかならない。なるようになる。落ちるところに落ちる。「そう、大変ね~~」と同意をして、あとは「……」です。ありがとうございました。