五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

日本人の心の危機

2005-10-15 17:28:15 | 迷いのエッセイ

玄奘さんの御仕事を楽しみにしておられる読者の皆様には、大変に御迷惑をお掛けしておりますが、間も無く再会いたします。その代わりというわけでもございませんが、小さな話題を取り上げてみたいと存じます。

■毎日国内のニュースには必ず「殺人」事件が含まれています。積年の恨みを晴らした話はほとんどなく、行きずりの殺人や盗みに関連する殺害事件が多いようです。「かっとなって殺した」という犯人の言葉が報道されるのも珍しくありません。利潤追求のあまり企業が起こす事故や事件で、驚くような多くの人々の健康や生命が失われるニュースも無くなりはしないようです。

■子供を放置して死亡させてしまう実質的な子殺しも後を絶ちませんし、離婚や家庭の崩壊が増えるに連れて、小さな命が邪魔になって殺してしまう事件も無気味に増え続けているようです。殺害に至らない暴行や虐待となると、その実態はまったく分からないようです。現実のこうした恐ろしい「修羅」「地獄」の様相に麻痺してしまった私達の心は、それだけでは満足せずにフィクションの世界でも殺人を読んだり見たりしたがっています。

■テレビ蘭を眺めていると、ワイド・ショーの蘭とドラマの蘭には必ず「殺」と「死」の文字が印刷されているような気がします。誰もが寿命と思える安らかな死を迎えた有名人の死は、多くの弔問客の送る言葉で飾られますが、「無念の死」「悲しい死」の方がずっと多いようです。私達は、少し前の日本人が持っていた心情とはまったく違う乾いてひび割れた心を持っているのでしょうか?

民間の賃貸住宅で自殺や殺人事件が発生し、借り手がつかなくなった場合、家賃相当額を当面補償する全国初の互助会が発足した。「怖い」などと敬遠され、経営破たんしたケースもあるが、住宅保険では補償の対象外。被害は増加傾向にあるといい、家主側が自衛策を講じた。来年3月までに家主3000人、3万~4万室分の加入を目指している。
 社団法人の東京共同住宅協会と全国賃貸住宅経営協会東京本部(会員計約2万人)が10月、「日本賃貸住宅経営者協助会(あおい協助会)」を設立、加入募集を始めた。対象は全国約1000万戸の民間賃貸アパート、マンションなどのオーナー。1室あたり月300円の掛け金で、発生した部屋が空室になった場合、月額10万円までを自殺で最大1年間、他殺では最大3年間補償。また、隣接する部屋(4室まで)も同額を最大1年間補償する。
 国の統計によると、昨年の自殺者は3万2325人。殺人事件は1419件発生し、うち6割近い823件が住宅内で起きた。「協助会」の阿部重康理事長によると、ここ数年、家主から自殺や殺人事件の救済の問い合わせが目立ち、共同住宅協会が今春、家主約500人を対象にしたアンケートでは、約9割が救済制度創設を求めたという。このうちアパートで入居者が同居人を殺し、遺体を解体した事件では、1カ月以内に他7室の入居者も全員退去。家主はローン返済ができなくなり、自宅を売ってこのアパートに移り住んだ。
 こうしたケースでは、家主は加害者側に損害賠償請求できるが、時間と費用がかかるうえ弁済能力がないことも少なくない。また自殺では、家族に請求しにくいとの心情もある。一方で法的に「事件」は重要事項として説明義務があり、隠して貸せない。
 阿部理事長は「老後の蓄えでアパート経営をしているような小規模オーナーを守るのが目的。補償をするだけでなく、自殺や事件が起きないよう、入居者向けのメンタル相談事業や、警察との防犯連携にも力を入れたい」と話している。
 ▽リスク管理に詳しい不動産コンサルタント業ジェイ・アムズ社、谷利浩副社長の話 損害が目に見えるものについては大抵、保険商品があるが、怨(おん)念とか霊とか非科学的なものへの恐れや縁起かつぎには個人差があり、それを保険商品にするのは難しい。とはいえ現実に、自殺や殺人の起きた物件の資産価値は3~5割程度下がるといわれ、リスクとしては非常に大きい。オーナー同士が集まって補償し合うのはいい方法だと思う。毎日新聞 2005年10月15日

■殺人事件が一年間に1419県発生しているという具体的な数値を示されますと、一日当たり平均3件以上の計算になりますから、毎日欠かさず「殺人」事件が報道されているという印象は正しいことになります。そして、私達がまったく知らないままに処理されている事件の方が多いという事にも気が付きます。

■「殺してはならない」という戒律は、どの宗教にも定められています。そして、仏教以外の宗教では、結婚と出産を祝う儀式が定められているものです。仏教は、「六道輪廻」を無限に繰り返す原因を「無明」と考えて、これを脱出して輪廻の外に出る事を最終的な目標にしていますから、出生は「無明」の証でもあります。付け加えますと、今生で菩薩行を極めて解脱するか、少しでも功徳を積んで次に人となって菩薩行を継続して涅槃を目指す可能性が有るとも考えられています。

■仏教においては、「殺害」を禁止する戒律は更に広げられて、「不殺生戒」は生きとし生きる物すべてを対象としています。そこから肉食を禁じる運動も起こりましたが、釈尊御自身は、乞食をした残飯の中に肉が混ざっていても捨てたりはしなかったようです。草原の遊牧生活を中心としているチベットやモンゴルに広まった仏教では、肉を一種の薬と解釈して出家者も食べています。不殺生戒は、慈悲の問題として考えられているようで、生きている物を殺して食べたいと思う心に対する警戒を怠っては行けないと教えています。そして、出家者の命を支える薬として食べる羊肉は、菩薩行を進めるのに欠かせない物となっているのです。

■とは言っても、チベット仏教の歴史を紐解けば、寺院同士のすさまじい破壊と殺し合いが記録されています。僧侶達が直接手を下せないので、傭兵やモンゴル兵を使って寺院間の闘争は行なわれました。15世紀にツォンカパという名僧が現れて仏教を改革した後は、血生臭い争いは減って行きましたが、宗派間の争いは無くなることはなかったようです。それでも、チベット地域での戦乱はなくなって大英帝国の軍隊や人民解放軍が入った時には、狩猟用の火縄銃と娯楽用の弓矢ぐらいしか武器が無かったのです。

■仏教が根付いた場所では、呪いや幽霊という存在は認められず、ただ鬼(妖怪)や化け物の言い伝えだけが残っている事は有るようです。日本では、縄文時代以来の死者の魂が怨霊となるのを怖れる心が、不思議なくらいに強く残されています。一時の「超能力者」騒動はオウム真理教の悪夢で下火になったようですが、それに代わって「霊能力者」「霊視者」「預言者」「占い師」が大流行しているようです。これも日本に仏教が根付いていない証拠のように思えます。

■中国の古い土着信仰に「魂魄」という考え方が有ります。死後に飛び去ってしまう「魂」と、遺骨にこびり付いて歯なれない「魄」とを区別して考えるものです。ですから、葬式には「魂」をあの世に送る意味と、「魄」が迷い出さないように封じ込める意味の二つが有ります。御札や呪文が発達して、日本にも位牌という文化が入って縄文以来の「魂鎮め」に愛用されています。弥生時代あたりに神道の原型が出来上がったと考えますと、「御祓い」や「お清め」も随分と古い伝統という事になるのですが、「地鎮祭」や船の進水式、結婚式や自動車の安全祈願などなど、誰も迷信とは言わずに熱心に続けられているようです。勿論、これらは仏教とは無縁なので、神社の管轄です。

■しかし、引用した新聞記事を読んでみますと、「御祓い」は既にその効力を失っているとしか思えません。仏教も根付かず、神道系の信仰文化も崩壊してしまっているのならば、科学的思考のみで生活を組み直さねばなりません。しかし、日本人の心はそれを拒否しています。そこに付け込んで、似非仏教や似非神道が金儲け出来る隙が出来ているのでしょう。幽霊商売は非常に危険なものですから、そんなものに惑わされるくらいならば、長い伝統で鍛えられている各宗教の教えに耳を傾けてみれば良いのですが、それが面倒だと思う浅はかさが、これまた似非宗教の良いお客様になってしまいます。

■毎年3万人を楽々と越えてしまうような自殺者がおられるという事それ自体が、日本の仏教も神道も、完全に敗北している事を証明しています。これはとても残念な事ですし、恐ろしい事でもあります。合掌

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