五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

生命の扱い方

2005-08-24 21:09:00 | 迷いのエッセイ
今回は玄奘さんから横道に反れることにします。

■1977年に『あらいぐまラスカル』というアニメ番組がフジテレビで放送されていました。おっとりした少年と少しばかりやんちゃなアライグマとの生活を描いた作品でした。まだ物珍しかった動物でしたから、縫いぐるみ人形が沢山売れたようです。その後、1983年4月TBSテレビが『わくわく動物ランド』を放送を開始しました。関口宏さんの司会で動物の生態などに関するクイズを芸能人が考える番組でした。エリマキトカゲを紹介して大評判となって人形や玩具が爆発的に売れました。この頃までは、犬と猫を家族の一員として暮らしていた日本人でしたが、80年代後半から明らかに日本人は世界一となった経済力の使い道を見失いました。

■世界中から贅沢な食べ物や飲み物を集めて味わい、衣服や装飾品も分不相応な物が盛んに輸入されました。そんな輸入品の中に、「生命」が紛れ込む下地は既に出来ていたような気がします。最近、珍しい鰐(わに)を密輸して、特別な許可を受けた事を証明する書類を偽造して密売していたとして逮捕される事件が有りました。その容疑者とされた人物は、本物のエリマキトカゲを日本に輸入して動物販売業界で名を上げたという経歴の持ち主でした。エリマキトカゲは、エリマキを開いて後足で立って走る姿を三菱自動車がCMに使用して話題となり、TBSの『わくわく動物ランド』が紹介して大人気となりました。しかし、無駄には動かない爬虫類が過激な運動を起こすのは生命の危機を感じた恐怖状態に陥った時の反応なのですから、日本人はトカゲが命懸けで走る姿を「愛らしい」と思ったことになります。

■1973年には「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」所謂ワシントン条約が採択されていますし、1982年7月23日には、IWC(国際捕鯨委員会)が商業捕鯨禁止を決定しています。ワシントン条約では日本の象牙や鼈甲(げっこう)を使った伝統工芸の存続が問題となりましたし、商業捕鯨の問題は動物愛護に名を借りたヴェトナム戦争で使用された枯葉剤が国際的な重大問題とされるのを避けるための米国の裏工作が有ったこと、そして民族ごとの食文化を世界会議の多数決で決めて良いのか?という問題も残されています。そして、捕鯨の禁止が海洋の食物連鎖を崩しているとする指摘も出されています。これらは、文化や生命観の違いに根差す難しい問題ですから、多くの専門家が調査研究と議論を重ねて行かねばなりません。

■しかし、ペットの問題は宗教に直結する問題ではないでしょうか?動物愛護は「不殺生戒」と似た思想のように見えますが、ユダヤ・キリスト教の創世神話に根を持った生命観から発したものだと考えられます。人間が創造される前に神が動植物を創っておいて、アダムとイブはそれらを自由に食べる権利を神から与えられます。ここから神と人と家畜との階層世界が出て来ますし、大規模な奴隷貿易にまで到った人種差別問題も生み出しました。キリスト教の教会組織は、羊の群と羊飼いの関係を常に念頭に置いて運営されている事実も有ります。ですから、キリスト教文化圏から提出される動物愛護には、最初から家畜は別枠に入れられていますし、神が人に食べ物として与えた生命のリストも組み込まれています。

■仏教では、「六道輪廻」の説によって人間は最上階ではなく五番目に置かれています。これは戒律を守って仏教を学び、輪廻を脱する可能性を秘めた「過程」として人間を考えたものです。悪しき心と行いによって、今生が終った後、一段下の「修羅道」に落ちるか更に「畜生」「餓鬼」「地獄」の何処に落ちるか分かったものではないという強迫めいた教えです。不殺生戒は、肉食の禁止と解釈される事も有りますし、貪りや残虐な心の戒めと解釈される事も有ります。こうした思想には、環境問題を考える大切なヒントが含まれているのですが、動物愛護との関係は今まで仏教界では吟味された事が無いように思えます。

■飢えた虎の親子を救うために、釈尊の前世譚として薩捶(さった)王子が自らの身を捨てて食わせる物語が、金光明経捨身品に出て来ます。法隆寺の玉虫の厨子(ずし)にも描かれている御話ですが、仏教では凡夫の自殺は禁じられていますから、一般的な動物愛護とはまったく違う事になります。小さな生き物に愛くるしさを感じたり、傷付いた生き物に憐憫の情が湧くのは、確かに慈悲の心の芽を見付ける切っ掛けにはなり得ますが、釈尊が説いた大いなる慈悲を学ぶのは簡単ではないでしょう。可愛い動物に心引かれる時、知らない内に三毒と言われる「貪瞋痴」の第一に挙げられている「貪り」の心に支配されている場合が有ります。


 北米原産のアライグマによる被害が古都・教との社寺で目立っている。世界文化遺産に登録されている社寺の中にも、建造物にツメ跡が残り、天井裏にすみついた例がある。繁殖力の強いアライグマが、成育に適した山に囲まれた古都で、爆発的に増える恐れがあり、京都市は調査を開始。京都仏教界も5日、国などに対策を求める声明を出す予定だ。
 京都市では10年ほど前からアライグマが目撃されている。痕跡は東山区、北区、左京区、右京区、西京区などの山沿いに集中。……調査した同市の41社寺のうち、清水寺など31社寺で確認された。……アライグマによる被害は全国で広がっており、最も被害の多い北海道では04年度に1385匹が捕獲され、同年度に神奈川で977匹、大阪で222匹が捕獲された。……鎌倉市……仏像が倒された例……岐阜県多治見市の名刹・永保寺では国宝の観音堂にすみつき、屋根に大穴が開く被害があった。
 アライグマは今年6月施行の外来生物法で特定外来生物に指定され、現在は輸入や飼育、移動や遺棄が禁止されている。
                2005年8月5日 朝日新聞より


■大きな仏教寺院は、広い庭に池なども配置されていてアライグマには最適の繁殖地になっているとの事です。多くのお寺でペットを飼っているのも見かけますし、動物好きが高じて1979年には、千葉の或るお寺では飼っていた虎(別に住職さんが御経を真似る予定ではなかったので念のため)が逃げ出して大きな騒動になった事なども有りました。そして、墓地経営の延長線上にはペットの永代供養なども用意されるようになっています。新聞記事に有る、京都の和尚さん達が何を求めているのかは判然としませんが、「観光資源」を保護するためにアライグマを殺害するように求めているとすれば、少々問題が難しくなります。「山川草木悉有仏性」にアライグマは含まれていない!と軽々しく断言も出来ませんし、「諸法無我」なのですから建築物が遅かれ早かれ朽ち果てて行くのは仕方の無いことでもありますから、生命をどう扱うべきかを仏教界が真剣に考えて来なかったツケが、こうした形で表われているようにも思えます。

■年間30000人以上が自殺するという、自分の命さえも粗末にする世相に対して、仏教界から的確な発言も聞かれませんし、捕鯨問題やブラックバスなどのスポーツ・フィッシングの流行についても発言は無いようです。人として生まれ合わせた「奇跡」の意味を説くことから始めねばならないのですが、世襲の職業になってしまった寺の住職という存在は、守るべきものも多く、寺社の経営が大きな問題となってもいる御時世ですから、多くは望めないのは分かりますが、血を分けた我が子を殺す荒(すさ)んだ心と、テレビで観た愛らしい生き物を所有したいと熱望して、飽きたら捨てる心情には共通しているものが有りそうですから、生命の扱い方に関する発言が仏教界から出ることを希望します。たとえそれが、キリスト教以上の動物愛護思想であっても構いません。アライグマ寺を宣言して下さっても構いませんし、ペットの死に場所を提供する施設となると宣言する寺が表われても良いと思います。或いは、人と畜生には絶対に越えられない隔たりが存在する故に、「学問修行の妨げとなる動物」を断固として駆除するという結論でも良いと思います。ただ、「商売道具が損害を受けた」という理由だけは御遠慮願いたいものです。合掌

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