『ねっとわあく死刑廃止43号1997.10.20.』に、
死刑廃止派が、犯罪被害者への人権侵害について触れている部分があったので、珍しいと思った。
私自身、死刑廃止派であるが…死刑廃止派に不満がある。それは、死刑囚が男性ばかりのせいか、おかしな意味での男性人権団体的になっているような、変な死刑廃止派をたまに見かける。これが死刑囚の半分以上が女性だったら違ったのだろうだろうが…(どのみち、おかしい話。)
・被害者が巷から悪く言われるのは、性犯罪、ストーカー殺傷事件といった『加害者が男で被害者が女性』である場合が多い犯罪。さらに、被害者女性と加害者男性が面識があったとなると、被害者への叩きがもっと酷くなる。
決して、「性暴力者や暴力者は圧倒的に男性が多い」「性暴力被害者の9割が泣き寝入り」ということは皆触れないし、それどころか社会全体でその話題は揉み消されるような、おかしな空気がある。
・「男が男から殺されたときは、被害者男性にも要因があったのでは?」とはあまり言われない。ただ、被害者男性が在日外国人であったときも、レイシストからの被害者叩きが酷い。
・性暴力で、加害者が男で、被害者も男のときも、加害者の叩かれ方が異様になる。これは、日本がLGBTS(性的マイノリティ)差別国ゆえ。
メディアもこぞって、「性犯罪で冤罪をかぶると男の社会的信用性が失墜する」ことばかり書く。メディアの世界も男社会なのだろう。決して、性暴力にあった女性達の心の傷については触れないし、「男子の教育や、倫理観、性教育を見直すべきでは?」という話にもあまりならない。
日本の教育者たちは、性暴力について、女子にばかり「自己防衛を怠るな!」という説教をする。
(日本の教育者たちも根本的におかしい。私は、そもそも、教育者というものが嫌いなのであるが…)
その結果、女性が被害にあったとき女性自身が「自分が悪い」と自虐に走ってしまう。さらに、警察に通報もためらう。
性犯罪被害者には男性もいるのだが、世の中にはびこるジェンダーのせいで、女性とは別の意味で警察に相談できない。
死刑廃止派というのは、左傾が多いせいか『在日差別問題』はすごく言うが、とことん、性暴力・ジェンダー問題から逃げる思想集団だと思っていた。しかし『ねっとわあく死刑廃止』49号あたりで、やっと、性暴力被害者についての話が出てくる(でも、遅い。49号は廃刊になる直前あたり)。
そのかなり前までは、1990年半ばあたり、死刑廃止活動家の一部から、「女は被害者面するべきではない」「女が犯罪者を育てている」といった、今のセクシストそのものの発言が死刑廃止派からされている記録があった。それを見た私は、言葉を失った。
死刑廃止派は、犯罪をなくしたい思想者のはず。彼等は、社会的弱者(犯罪被害者になりやすいカテゴリーの層)や、犯罪被害者とも理解しあい、寄り添う気があるのだろうか?と、首をかしげてしまった。
1990年代半ばあたりは、"差別嫌いの人権派"だと思っていた死刑廃止活動家の間でも、「女性は辛い目にあっても我慢するべき、不満をいうな、育児は全て女親の責任」…そういう考えが当然という酷い有様だったようだ。まあ、女性差別は今も酷いし、同時に性的マイノリティ差別もかなり酷いが。
以下、貼ったのは、分散会の様子。
以上