ホテルに帰る前に、夕暮れの遅いロシアなので、イルクーツク市内墓地(ロデイシェボ、第32地区マラドボ村)に行く事となった。
市内の大変大きい地元の墓地の一番奥まった所の一角にあった。
墓地は2003年に来た時はきれいに整理され、墓一つ一つに日本語とロシア語で名前が記されていて、観光墓とも言われていた。(写真はその時のもの)我々が訪れた直後に遺骨収集が行われ、そのコンクリートの墓枠が無くなっていた。中心部に大きな慰霊碑があり前年は盗られて無くなっていたが、今年は「日本人墓地」とプレートが入れられていた。
しかし収骨後のあり方に大変疑問を感じる、血・肉や焼骨後の灰の染込んだ土地である。
観光墓と云われても良い、例え埋葬の場所が違っても良い、遺族は粗末にされて居ないのだと感じ取りたい。
ここは慰霊碑が有るから良いが、収骨後荒れ放題、ゴミ捨て場同然、ここで書けないような状態の所がある。広い土地である、何とかささやかな公園にでも出来ないものかと願う。
市内の大変大きい地元の墓地の一番奥まった所の一角にあった。
墓地は2003年に来た時はきれいに整理され、墓一つ一つに日本語とロシア語で名前が記されていて、観光墓とも言われていた。(写真はその時のもの)我々が訪れた直後に遺骨収集が行われ、そのコンクリートの墓枠が無くなっていた。中心部に大きな慰霊碑があり前年は盗られて無くなっていたが、今年は「日本人墓地」とプレートが入れられていた。
しかし収骨後のあり方に大変疑問を感じる、血・肉や焼骨後の灰の染込んだ土地である。
観光墓と云われても良い、例え埋葬の場所が違っても良い、遺族は粗末にされて居ないのだと感じ取りたい。
ここは慰霊碑が有るから良いが、収骨後荒れ放題、ゴミ捨て場同然、ここで書けないような状態の所がある。広い土地である、何とかささやかな公園にでも出来ないものかと願う。